衝撃
ライブで披露する曲の通しも一通り終わり、コウイチさんの声も少し掠れてきたころで、父が今日のところはこれで終わりにしようかと合図を出した。そのタイミングで父のスマホが鳴る。
「おっと、マナーモードにするの忘れてたな」
一言残し部屋を出ていく。リハーサル中に鳴っていたら迷惑極まりなかった。父の後ろ姿を目で追いかけてると、コウイチさんが話しかけてきた。
「ねぇ、玲香ちゃんはいくつなの?」
「18歳です。」
「俺らと3つ違いか~。…なぁ、ユッキー!」
「…だからなんだよ。」
「皆さんはいつからバンドを?」
「高校の時から。俺ら埼玉出身で高校一緒で。文化祭で演奏したのがきっかけでそこから!知ってた?俺らのバンド名のプリーメルって、ドイツ語でサクラソウって意味なんだ!ちなみにサクラソウって埼玉県の県花でそこから俺が…」
と、意気揚々とコウイチさんが話していると、サナダさんが間を割って入る。
「んなことまで誰も聞いてねーよ。てかさ、せっかく来てもらったんだから、玲香ちゃんにフルート披露してもらおうぜ。」
コウイチさんはせっかくわたしとコミュニケーションとろうとしてくれたのに、サナダさんが水を差すようなことを言う。コウイチさんは子どもが駄々をこねるような不満気な顔でサナダさんを見た。サナダさんはお構い無しといった感じで、わたしを気だるい表情で見つめる。
でもサナダさん、さっきはセッションなんて言ってたくせに、ソロで演奏させる気なんだ。度胸試しだかなんだか知らないけど、一応ソロコンクールで優勝した手前、後には引けない。ひとりには慣れてる。
わたしはケースからフルートを取りだし組み立てる。軽くウォーミングアップし、チューニングを行う。整ったところで演奏を始める。
「じゃ、聞いてください。」
演奏するのは、ソロコンクールで優勝した曲。完成するまではかなりの時間を費やした。腱鞘炎にもなりかけた。みんな黙って耳を傾ける。コンクールの時は、客席が夜電気を消したときくらい暗くて、周りが全然見えなかった。壇上のライトも眩しくて、目を閉じて演奏してた。だって目を開けたところでひとりでやってるのにかわりないから。誰かに聞いてもらうというよりも、自分がただひたすら奏でてそれを聞かせている感じ。今それと違うのは、明るいスタジオで目の前で聞いてくれている人がいるということ。きちんとひとりひとりの顔が見えていて、コンテストの時とは違う緊張感がある。
ひときわ集中して聞いてくれているのはサナダさんだ。わたしもまず、彼に聞いてもらいたいという気持ちが強かった。わたしが将来どの道に進むべきか、導くためのヒントをくれるような気がしたからだ。それと、わたしには全く共感できない歌詞を作詞してたし、なんとなく挑戦的な感じがしたから。なんだか興味をそそられたのだ。まずわたしの腕前を見せて、そのあと彼の反応を伺ってみたかった。わたしはこんなアウェイな中でも曲を完成させることができる。技術は申し分ないはず、そんな思いを巡らせながら曲は終了した。
しんとしたあと、コウイチさんが一番先に口を開く。
「ブラボー!!」
コウイチさんは拍手する。ベースとドラムのふたり、すなわちマシロさんとユッキーさんも続く。
「すごく上手だった!リズムも正確だし、強弱もちゃんとついてるし。かなり練習したんじゃない?」
ニコニコしながらコウイチさんは聞いてくる。
「はい。」
「緊張してるからか、テンポは速かった気がしたけど、技術は申し分ないね。」
「低音もしっかり安定してたし、良かったよ。」
マシロさんとユッキーさんも感想を伝えてくれる。ただ、一番反応を伺いたい彼からは、未だなんの回答もない。わたしの表情から読み取ったのか、コウイチさんが聞いてくれる。
「サナダ、お前もなんかあるだろ。」
サナダさんは立っているのに疲れたのかなんなのか、スタジオの壁際にあった丸椅子に腰を掛けた。フッと息を吐き、意味ありげに口角を上げながらわたしの方を見た。
「ここに見学に来たってことは、君の年齢的にも、将来この業界に進む可能性があるってことだよね?」
「…はい。」
「だとするとよかったね。…お客さんの前で、そんな演奏する前で。」
そんな演奏?わたしは、言われたことの言葉の意味を理解できなくて、サナダさんの顔をじっと見つめた。
「おいサナダ、お前なにいってんだよ!」
コウイチさんが声を荒げる。
「言っとくけどこの業界、君が思ってるほど独りよがりではやっていけないから。君がどういう道を進んできてこういう音楽になったか、俺には想像つかないけど、今のままではお客さんに聞かせられない。」
スタジオ全体が一気にピンと張りつめた空気になった。コウイチさんなんてもう見てられないといったような感じで、顔を手で覆って大きくため息をついた。でもわたしは、サナダさんの言った言葉の意味を咀嚼し、冷静に整理しながら答えた。
「なぜ今のままでお客さんに聞かせられないのかは、わたしがこの業界に進むとすれば、自分で見つけなきゃならない、ということですね。」
意外にわかってるじゃないか、といった表情で、目を見開きサナダさんは頷いた。
「リハまた見に来なよ。俺らの演奏を聞いてもらって、答えを導き出すためのヒントになればいいけど。」
サナダさんはクイズで回答に悩むパネラーを見て、楽しんでる出題者のような表情でこちらを見た。そんな、かなりバッドタイミングで父は電話から戻ってきた。
「あれ、セッション終わっちゃった?」
わたしは無言で頷く。
「なんだ、俺も聞きたかったな。」
頭を掻きながら父は言う。
「聞いたところで、コンクールからなにも変わってないから。」
父に一言残し、プロの時間を裂いたのにはかわりないから、全員に一応お礼を伝える。
「貴重なお時間いただいて、ありがとうございました。」
重い防音扉を開け、スタジオを出る。少し歩くと喫煙ルームが見えてきて、さっきのタバコがほのかに薫る。サナダさんに言われたことは冷静になれば、理解できるところもある。ただ、ソロコンクールを優勝した実績もあるのにも関わらずお客さんに聞かせられないなんて、わたしの心の深いところまで読まれた気がして悔しかった。自分なりにうまく隠して、人前では聞かせられるレベルだと思っていた。
プロからすれば、それは甘いってことか。わたしの中でさえ出せていない回答に、サナダさんの発言だけ、答えになりそうなひとつのヒントをくれた気がした。その場で立ち尽くしていると、後ろからおーい、と声が聞こえた。振り向くとそこにはベースのマシロさんがいた。
「…さっきはサナダが、ああいう言い方してごめんね。…でも、お客さんの心を掴むにはきっと技術だけじゃない、他のものもあると思うんだ。それをサナダは伝えたかったんだと思う。」
マシロさんはわたしに優しくフォローしてくれた。
「…今日みなさんのリハーサル見せていただいて、分かりました。確かに私の演奏は、みなさんとは決定的に何かが違うって。でも違いがあるのは、まだいろんなことに迷いがあるからで。それに気づけたとき、初めてお客さんに聞いてもらえる音楽ができるんじゃないかって、思いました。」
それを聞いて、マシロさんはとても柔らかく笑った。
「俺も玲香ちゃん位の頃そうだったなぁ。迷って、もがいてた。でも同じ夢を描く、あいつらがいたから。この商売、ひとりだけじゃやってけないからさ。」
わたしはマシロさんの言葉を聞いて、心のつかえがひとつとれたような気がした。
「おー!いたいた、先に歩いて帰っちゃったかと思ったよ。」
父がスタジオから出てきた。
「このまま歩いて帰ったら、日付け変わっちゃうから。」
ハハハと乾いた声で父は笑うとマシロさんの方を見た。
「コイツ、当時のヤツにソックリだろ?」
「ですね。当時のヤツにソックリです。」
そう言うと、ふたりは顔を向き合わせてのけ反りハハハと笑った。当時のヤツってとこが誰だか気になったけど、次の父のひとことでそれは水に流れた。
「そうそう、これから母さんと飯食いにいくから。」
「え、お母さんと?」
「そう、お母さんと。さっきの電話。今ちょうど出張から戻って来たらしい。」
こんなに珍しいことはあるだろうか。
私の学校の送り迎えはそれぞれやっていてくれてたから、私自身はそれぞれ父や母と顔をあわせていた。しかしここ最近、父と母が一緒にいるところは見たことがない。実に貴重だ。私がこうしてプロのバンドから練習の手解きを受けることよりも、貴重といっても過言ではない。私がハトから豆鉄砲でも食らったような顔をしていると、マシロさんはそれを見て笑った。
「今日は家族水入らず、仲良くしてください!」
マシロさんに背中をポンと押されるような形で、今日はこの場を後にした。