迷走
真剣に将来を考えている。高校3年生ともなれば当たり前だろう。進学か就職か自分の進むべき道はなんなのか。ただ、私の場合、高校3年生だから将来を考えている訳ではない。もっと前から考えている。考えている、というよりも考えさせられている、と言ったほうがしっくりくる。
そもそもうちの家庭環境がそうさせた。わたしの父の職業は音楽プロデューサーなのだ。わたしが生まれた頃、最初父は全くの無名ミュージシャンだった。メジャーデビューはしたものの、泣かず飛ばず。小さなライブハウスで、わずかなお客さんの前で演奏する日々。
もちろんそんな状態で父一人の稼ぎで生活できるはずもなく、母は昼も夜も働きに出ていた。思い出せるなかで一番古い記憶。わたしがまだ幼い頃、家にひとり置いとくわけにも行かないので、父に連れられよくライブハウスの楽屋に行っていた。ほとんど公演が夜なので、わたしは寝てしまってることが多かった。公演も終わりに差し掛かる頃、決まって母が迎えに来てくれた。わたしは半分起きているような、寝ているような境目の中で、母におぶられた。
終盤に入ったのか、お客さんのアンコールの呼び声を聞きながら、ライブハウスを後にした。きちんとアンコールを聞くことは一度もなかった。重いドアを開け、ライブハウスの地下から地上に続くひんやりとした暗い階段を登る。壁越しに聞こえてくるぼんやりとした父の声が子守唄になって、わたしは再び瞼を閉じる。眠りに落ちる直前、母からごめんね、と言われた。当時のわたしには意味が分からなかった。
それから数年後、父の曲もようやくCMに起用されたり、アニメの主題歌になったりして、あの小さなライブハウスに行くことはなくなった。そして、いつの間にかわたしも家でひとり、留守番できる年齢になっていた。その間母は、持ち前の自立精神で会社を立ち上げた。なんの会社かというと、防音壁で騒音対策する会社だ。時代の流れからだろうか。ニュースでよくあるご近所トラブルでも、騒音に対し、かなり問題視されており、防音壁の需要も高まっている。父が家のスタジオで、ギターを弾いたり曲を作ったりしていることも、会社を立ち上げるきっかけになったのかもしれない。母は今では出張も多く、ほとんど家には帰ってこない。それが我が家では当たり前になっていた。
でもふたりとも、わたしの学校の送り迎えは分担してやってくれた。高校の吹奏楽部の練習は、夜8時くらいになることもあり、どちらかは必ず学校まで迎えに来てくれた。でもわたしを家まで送り届けた後も、それぞれ仕事がある場合もあり、家族で団欒するなんて事は、ほとんどなくなっていた。
今日は父が家の前で車を止めてくれ、わたし一人だけ、暗いしんとした家のなかに入る。テレビをつけると父が作った曲が流れていた。君はひとりじゃないよ、ずっとずっとぼくがそばにいてあげる。一体誰に向けて作った曲なのか、皆目検討もつかないまま、昨日の残りのカレーを温めてひとりで食べる。もくもくと食べ、食器を片付け、リビングのソファーに寝転がる。バラエティー番組やら今日のニュース番組やらを見て、わたしはうとうと眠ってしまった。そして気づくと深夜12時をまわっていた。テレビもつけっぱなしにしていたらしい。偶然にもそこで珍しく、音楽番組で父がインタビューされている映像が流れる。
「ところで西部さん、最近はメジャーデビューされたバンドを手掛けていらっしゃると聞きましたが?」
「そうなんです。今回手掛けたのが、プリーメルという埼玉出身の男性4人組のバンドです。まず、ボーカルのコウイチはハリのある声、言葉を明確に発音する歌いかたが特徴で、聞き手の耳に残る歌い手なんです。そして作詞はほぼギターのサナダがしています。彼は昔から本を読むのが好きで、自分の世界観を大切にしています。彼が生み出す詞はプリーメルの核の部分とも言っても過言ではないかと思います。優しくも、的確に、聴き手に伝えられる彼の詞は、今後心を揺さぶられるファンが多く根付くだろうと期待しています。」
「さぁ、そんなプリーメルのデビューシングルをテレビの前の皆さんに聞いていただきたいと思います。西部さん、曲は?」
「you are not aloneです。」
「これはCMにもなっている曲ですね。」
「そうです。誰しも周りに自分をサポートしてくれる人がきっといるはずです。周りの人たちに支えられて自分はここにいるんだ。自分の孤独から抜け出し、これからの人生を歩んでいこうという、出発点に立った、今の彼らにぴったりの曲です。」
「それでは聞いていただきましょう。7月25日リリース、プリーメルのファーストシングルでyou are not aloneです。どうぞ。」
君はひとりじゃないよ、なんて、この詞をかいたサナダってひとはずいぶん周りの環境に恵まれた温暖なヤツだ、そう思いながらギターのイントロが流れる。父の言うとおり、ボーカルのコウイチって人はかなりハリのある声だ。そしてこの声量は喉が強く、腹筋を十分使わないと出なそうだ。ギターは細かいピッキング、かなり正確だ。ベースは独特の奏法なのか、かなり歪んでいるが自然に曲に溶け込んでいる。ドラムはリズムの軸となってバンド全体をきちんとまとめている。
デビューしたてとはいえ、プロの演奏家として、申し分なさそうだ。ただ、歌詞を除いては、の話だ。きちんと分析しながら集中して聞いていると、後ろから声が聞こえる。
「聞いてくれてたのか?」
父だ。珍しく帰ってくるのが早い。とは言うものの、もう時刻はまもなく午前1時。だが父の場合は、もっと深い時間に終わることが多く、帰ってくる頃にはわたしはほぼ夢の中。夜、お互い学校や仕事が終わって家の中で顔を合わせるのは珍しい事だ。
「いや、うとうとしちゃってて、気づいたらこれついてた。それで見てただけ。」
「…そうか。真剣に見てくれてるように思ったけど。」
やはり父にはお見通しのようだ。だけど歌詞に納得してないことを悟られると、理由を問われるから面倒臭い。だからなんでもいい、適当な言い訳でごまかす。
「ギターの人、かっこよかったから。」
「サナダくんはインディーズの時から人気あるからな。ただ、お前が見てくれてたのはそこだけじゃないんじゃないだろ?」
そこだけじゃ、ではなくむしろそこはどうでもいいんだけど、と思いながら回答を考える。だが考える間もなく、父が口を開く。
「お前、明日スタジオ来るか?」
「は?」
予想外のことに驚く。小さい頃はよく楽曲を作るスタジオに連れていかれた。だが年齢が上がるにつれて、わたしも学校が忙しくなり、スタジオに足を運ぶことはほとんどなくなった。
「プリーメルのリハーサルがあるから、お前それ見に来ないか?真剣に音楽と向き合ってる彼らの姿を、お前にもっと知ってほしい。」
「知ったところで?」
もう心の中で自問自答するのがめんどくさくなって、ついに父に問いただす。
「お前がプロの演奏家を本気で目指しているのであれば、彼らの音楽に対する姿勢を知っておく必要がある。」
言うんじゃなかった。ソロコンクールで優勝したあのステージの上で、その場しのぎで言ったコメントが一人歩きしてる。元をたどれば、確かに音楽の道に進みたいと思ったこともあった。幼い頃、プロのオーケストラの演奏を父と一緒に見に行ったことがあった。そこで、フルートのソロパートがあり会場全体が注目した。その演奏にわたしはまんまと魅了されたのだ。それがきっかけでわたしはフルートを吹くようになった。小学生まではよかった。大会があれば年少の部で優勝するまで上達し、その度両親は褒めてくれた。わたしが欲しいものも、結果がいいと買ってくれたしね。
だが、上達するのと同時に自分も年齢を重ね、現実がクリアに見えてくる。現実とは父の存在だ。父は音楽に対し、真剣に向き合っていた。ギターはもちろん、歌だって上手いし(プロだから当たり前だが)、楽曲作りも数えきれないほどしていた。音楽で食べていける人はほんの一握りなんて、言葉にするのはほんとに簡単で、父はその一握りになろうと、血の滲む努力を惜しまなかった。わたしもそれは認めよう。でも父が音楽に向き合っている間、母はほぼひとりきりでわたしの面倒を見て、昼夜問わず働きに出て、自分の時間なんてこれっぽっちもなかったはずだ。父が一握りの人間になろうとすればするほど、母は父とあまり口を聞かなくなり、会社を作って自分の殻に閉じ籠ってしまった。と、わたしは思っている。
つまり、どんなに才能があっても売れるかどうかわからない音楽の世界など、綱渡りと一緒なのだ。もしかしたら父は、ロープから落ちて、這い上がれない所まで落ちていたかもしれない。なんとか渡りきれたからよかったものの、父の場合、ロープにいる時間が長すぎた。その間、母はゴールでただ待っていることができず、その先に歩みを進めてしまったのだ。その距離はもう縮まらないところまできているかもしれない。
確かに父は音楽で成功を納めたかもしれない。ただ、それまで母は、わたしを育てながら自らも働きに出るという、大変な苦労をした。わたしも両親が常に家に居ないことで、幼い頃はひとりで寂しい思いもたくさんした。家族が完全にバラバラになってしまった訳ではないが、それに近い状態になってしまった。修復するのには、接着剤ひとつでは到底足りないだろう。そんな身近にいるふたりを見てきて、わたし自身、音楽の道に進むのが本当に幸せなのかどうか分からなくなった。
普通に会社勤めをし、安定した生活を送ることが幸せか、はたまたこれまでやってきたフルートの技術に磨きをかけ、困難が待ち受ける可能性もある、プロになる道が幸せか。プロになれたとしても、わたしには音楽プロデューサーの名がついた父がいる。いわゆる七光りと書いてある看板を背負わなければならない。
その様な理由から、わたしの中の天秤は、かなり揺らいでいる。なので父からのリハーサル参加への誘いは、そんなわたしの本質を見抜いているんじゃないだろうか、そう思わざるを得ない。ここで、将来進むべき道の明確な答えが出るかどうかは分からないが、わたしはまず、どこかしらに一歩を踏み出す必要があるんじゃないか。そう思い、父からの誘いを受けることにした。