第1話 チンピラ勇者は性女の両親に挨拶をする
ロイメルク家。
それは帝国の名門聖職世襲貴族家である。
神聖教の高位聖職者を何人も輩出してきた名家であり、そして元老院の議席も複数占めている、帝国の大貴族だ。
そんな名門、ロイメルク家の分流の一つが……
迷宮王国へやってきた。
「お久しぶりですね。グスタフ・ロイメルクさん」
アレクサンダーは今代ロイメルク家当主。
テレジアの父親へと手を伸ばした。
グスタフ・ロイメルクはそんなアレクサンダーの手を取った。
「久しぶりだ、アレクサンダー君。……娘を助けてくれてありがとう」
「いえ、仲間を助けるのは当然のことですから。それにテレジアがあのような事態に陥ったのは、俺が原因でもあります」
アレクサンダーは笑みを浮かべた。
傍から見ると彼は好青年のようだった。
……中身はチンピラだが。
「いや……元々テレジアは言動が過激だったこともある。君に責任はないだろう。本当にありがとう」
重ねて、グスタフ・ロイメルクはアレクサンダーに礼を言った。
それからアレクサンダーの後ろに控えていたテレジアが進み出てきた。
テレジアにしては珍しく、非常に申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「お父様……申し訳ありません」
「テレジア、お前は間違ったことをしたのか?」
「それは……」
「お前は自分が間違ったことをしたとは、言ったとは思っていないのだろう? ならば胸を張れ、テレジア」
「お父様……」
テレジアは瞳を潤ませた。
そして無言で頭を下げた。
「さて、アレクサンダー君。私と妻が暮らす家はあるのかな?」
「出来れば自然が豊かなところが良いわ~」
グスタフ・ロイメルクに続き、ロイメルク夫人がのんびりと言った。
アレクサンダーは頷く。
「自然の豊かさならば自信があります。それ以外となると、少し難しいですが……メア、お二人をご案内するぞ」
「はい、勇者様。ロイメルク様、私の手を取ってください」
アレクサンダー、テレジア、ロイメルク夫妻、そしてメアの五人は迷宮内部へと転移した。
「小さいですが、屋敷の方を用意させていただきました。ご不便があったら、教えてください」
「ありがとう、アレクサンダー君」
アレクサンダーがロイメルク夫妻のために用意した屋敷があるのは、第五階層『大平原』である。
人口は第四階層『大荒野』の方が多いが……ロイメルク夫妻が『大平原』への移住を決めたのだ。
「しかし……暖かくて良い気候だ。これなら良い葡萄が作れそうだね」
「それは楽しみだ。葡萄酒が作れるようになったら、ぜひ飲ませてください」
アレクサンダーはグスタフ・ロイメルクに言った。
グスタフ・ロイメルクは聖職者と兼業する形で大規模農園を経営していたのだ。
帝国の貴族の多くは、広大な土地を持つ地主階級である。
「さて、アレクサンダー君。案内してもらって悪いが……屋敷に入る前にいろいろと話しておきたいことがあるんだが、良いかな?」
「ええ、構いませんよ。宮殿へ、ご案内しましょう」
再びメアの転移を利用し、階層を移動する。
そして宮殿の中にある、応接間へと二人を通した。
「メア、ユニスに珈琲を用意してくるように言ってくれ」
「はい、勇者様」
メアは頷き、どこかへと跳んでいく。
ロイメルク夫妻がソファーに腰を掛けると、アレクサンダーとテレジアも二人に向かい合うように座った。
グスタフ・ロイメルクはゆっくりと目を細める。
表情は柔らかいままだが……その瞳には笑みは残っていない。
政治家としての顔を表に出したのだ。
「さて……アレクサンダー君。まず確認だ……オークやゴブリンを貸してくれるんだね?」
「ああ、無論だとも。料金次第だがね」
アレクサンダーも今までの好青年としての仮面を脱ぎ捨てて答えた。
グスタフ・ロイメルクは大規模農園を経営している。
経営している、ということから分かる通り彼自身が鍬を持って農地を耕すわけではない。
小作人や奴隷が労働に従事するのが通常だ。
グスタフ・ロイメルクが帝国で経営していた大規模農園では、その労働の七割程度が小作人、残りの三割が奴隷だった。
小作人は『人間』であるため、連れ出すことができない。
連れ出せるのは『奴隷』だけだ。
しかし三割の奴隷では労働力としては心許ない。
だからこそ、グスタフ・ロイメルクはアレクサンダーからオークやゴブリンを借りようとしていた。
「農民たちに貸すゴブリンやオークの数は制限を設けている。農民たちの間で富の格差が生じないようにね」
アレクサンダーは貧富の格差というものを無くそうとは欠片も考えていない。
だが開拓初期の段階で大きな差が生まれることで治安が悪化し、開拓に悪影響が出ることを考慮し、貸し出す数には制限を設けている。
それは徹底的なもので……
どんなに農民たちが「周りの者たちよりも多くの税を支払うから」「お金を支払うから」と言ってきても、不公平にならないように、と跳ね除けてきた。
だが……
「グスタフ・ロイメルクさん、あなたは別だ。特別に……そう、特別に、有料で制限を超えた数を貸し出そう。奴隷の存在も……この国ではまだ奴隷に関する規定はないし、場合によっては奴隷制度そのものが撤廃されるかもしれないが……あなただけは、しばらくの間ではあるが、特別に許可を出す」
ニヤリ、とアレクサンダーは笑みを浮かべた。
「すまないね、アレクサンダー君」
「いやいや……私とあなたの仲だ。その代わり……」
「分かっているとも。この国のために、いや……君のために、働こう。いや……忠誠を誓いましょう、国王陛下」
グスタフ・ロイメルクは腹黒そうな笑みを浮かべて見せた。
アレクサンダーにとって、グスタフ・ロイメルクは帝国への唯一の交渉窓口である。
そしてロイメルク家が帝国の政界に与える影響は非常に強い。
ロイメルク家が帝国で親アレクサンダー派になるだけで、アレクサンダーは帝国との外交交渉を有利に運ぶことができる。
また、グスタフ・ロイメルクは葡萄の栽培から、葡萄酒の生産、そしてその販売ルートを持っている。
これはグスタフ・ロイメルクだけが、持つものだ。
無論、葡萄を栽培できる農民は多いだろう。
葡萄から葡萄酒を作れる農民もいる。
そして葡萄酒の販売ルートを持つ商人もいないことはない。
だが……
『大量』の葡萄を栽培し、葡萄酒を『大量』に生産し、そしてその『大量』の葡萄酒を売る、葡萄に関する一連の既得権益を一手に握る存在は早々いない。
アレクサンダーにとって、迷宮王国にとって目下の課題は外貨の獲得。
そのためには中小農民の自給自足的な農業だけではダメなのだ。
グスタフ・ロイメルクのような商業目的の、『資本主義的農業』が必要不可欠。
そのためアレクサンダーはグスタフ・ロイメルクを殊更贔屓している。
(まあ……特別待遇は最初のうちだけだ。ノウハウだけ盗んで、あとは普通の一般国民と同じように扱えば良い。多少、影響力を持たれるが……その分税金を搾り取れば良いだけのこと)
(特別扱いされるのは最初のうちだけだろう。この後、この国にどれだけの有力者が移住してくるかは分からないが……それに応じて、我らの影響力は相対的に弱まる。場合によっては、ロイメルク家の力を削ぎ落そうとしてくるかもしれない。土地に対する税金を引き上げたり、奴隷制度を廃止したり、手段はいくらでもある。だから……その時までに、どれだけ迷宮王国の政治と経済を支配できるか、そこが重要となる)
そしてアレクサンダーとグスタフ・ロイメルクは、テレジアの顔を一瞥する。
何を考えているのかは分からないが、テレジアはすまし顔だ。
(幸いにもテレジアは俺に惚れている。俺とグスタフ・ロイメルクならば、俺を選ぶはずだ。もしグスタフ・ロイメルクが増長し始めれば、その時は俺に教えてくれるはずだ。まあ、悪いようにはしないさ。ただ、あまりにも出過ぎた杭は、上から叩かせてもらうだけ)
(テレジアは国王陛下に惚れているが……彼が帝国で捕まりそうになった時は、家族を選んでくれた。きっと、上手く便宜を図ってくれるだろう。……できれば、子供も作って貰いたい。そして強引にでもテレジアを王妃にできれば……我々ロイメルク家の、迷宮王国での百年間の権勢は約束されたも同然)
そして……
珈琲を持ってきたユニスはテーブルにカップを並べつつ、思った。
(……何、この空気)
重苦しい空気に耐えられなくなり、ユニスは逃げるように退室した。
「さて……珈琲も届いたわけだし、小難しい話はここまでにしよう」
「そうですね、陛下。せっかく煎れて頂いた珈琲が冷めてしまうのはもったいない」
そしてアレクサンダーとグスタフ・ロイメルクは再度握手を交わした。
「これからよろしく」
「こちらこそ……忠誠を尽くさせていただきます。国王陛下」
二人は笑みを浮かべていった。
もっとも……目は全く笑っていなかったが。
ちなみにテレジアはアレクサンダーの息子のことをずっと考えていました