第27話 チンピラ勇者は少し反省する
「よう、フィーア。元気か?」
アレクサンダーは牢の前に立ち、フィーアに話しかけた。
四人のフィーアが一斉にアレクサンダーの方を向く。
もっともこの四人のフィーアは全て同一の意識を持っているため、アレクサンダーの方を向いたフィーアは一人である。
ややこしい話ではあるが。
アレクサンダーを見たフィーアは、その後小さく頷いた。
つまり「元気である」ということだ。
「やあ、フィーア女史。お久しぶりだね、前はあまりお話できなかったが……知っての通り、フロレンティア共和国の執政官、アリーチェだ。ところで血を飲ませて貰っても構わないかい?」
アリーチェがそう尋ねると、フィーアは首を横に振った。
血を飲むのはダメのようだ。
「仕方がない……アレクサンダーので我慢するか」
「別に俺の血はお前のためにあるわけじゃないけどな」
「私の体も君に食べさせてあげてるんだ。等価交換さ」
「食べるの意味合いが俺とお前では違うけどな」
アレクサンダーは呟いた。
そんなアレクサンダーを放置して、アリーチェはフィーアに話しかける。
「君はホムンクルスなのかい?」
「……」
フィーアは首を横に振った。
アリーチェはアレクサンダーに尋ねる。
「違うらしいけど?」
「そう答えるように命じられているんですよ」
そう答えたのはハンスとフィーアの監視を今までずっとしていたリリアナである。
もうすでにリリアナはフィーアに様々な質問をしており、ある程度のことは分かっていた。
「ホムンクルスなのか、人工精霊なのか……その辺りの質問をすると首を横に振る。フィーアの意志なのか、帝国がそういう風に答えるように縛っているのかは、分かりませんけど」
「血は美味しいかな?」
「……僕には血の味は分かりませんが、人間と殆ど変わらないので、美味しいんじゃないですか?」
リリアナは困惑気味に答える。
アリーチェはリリアナに近づき、その白い首筋を舐め回すように見た。
「よくよく見ると、モンテメラーノ女史の血も美味しそうだね」
「い、いや……美味しくはないと、思いますけどね」
血を吸われる、というのは中々の恐怖である。
体から血が流出する時の、何とも言えない不快感はあまり味わいたいものではない。
「リリアナの血は不味いと思いますよ、アリーチェ様」
「ちょっと、聖女様。そうやってすぐに挑発するのは良くないですよ?」
現れたのはテレジアとメアであった。
手にはハンスとフィーアの食事を持っている。
「へぇ、テレジア。それはどういう意味だい?」
「食事ですよ、ハンス」
テレジアは怒りで眉をピクピクさせているリリアナを無視して、ハンスの牢の前に向かう。
そして小さな扉を開けて、そこから食事を入れる。
「ありがとう、テレジア」
「いえいえ……ところで皆さんお集りになって、何をなさっているのですか?」
テレジアは主にアリーチェを見ながら言った。
いくらメアの瞬間移動という便利な移動手段があるとはいえ、フロレンティア共和国の宰相であるアリーチェがここにいるのは珍しい。
「フィーア女史がホムンクルスと聞いてね。血が美味しいかどうかを確かめに……ところでロイメルク女史の血も美味しそうだね?」
「それは……ありがとうございます。吸わせてあげませんけど」
舌なめずりをするアリーチェから、テレジアは一歩距離を取った。
さすがのテレジアも血を吸われるのは嫌なのだ。
「暗殺者さん、ご飯です」
一方メアはアリーチェから距離を取りながら、フィーアに食事を渡す。
フィーアは一瞬顔を上げて、立ち上がり食事を受け取る。
そしてパンを口にして……
吐血した。
「……え? 暗殺者さん!!」
メアが悲鳴を上げる。
メアの悲鳴を聞き、アレクサンダーを含め全員がフィーアに視線を移し……目を見開いた。
「フィーア!? メア、どうした?」
「わ、分かりません。パンを食べた瞬間に血を吐いて……」
「取り敢えず、牢から出せ。治療をする……って、他のフィーアも血を吐いて倒れてるじゃないか!!」
アレクサンダーは目を見開いた。
それが意味することは、つまりメアが与えたパンが要因ではないということだ。
「全員を一か所に集めてください。私が治癒魔術を掛けます。メア、あなたは私の私室から魔法薬をありったけ持って来てください」
「は、はい!」
テレジアの指示を受けたメアは即座に瞬間移動で跳んだ。
その間にアレクサンダーがフィーア四人を牢から出して、同じ場所に並べる。
そうしている間にもフィーアから血が溢れ出る。
「血液は私が対処するよ。私は吸血鬼……血液魔法なら得意だ」
「テレジア、僕も手伝うよ。フィーアはホムンクルス、厳密には人間と少し違うし……それに僕も多少は治癒魔術が使えるからね」
テレジアに加えて、リリアナとアリーチェが治療に加わった。
「おい、アレクサンダー! フィーアがどうかしたのか?」
「血を吐いて倒れたんだ。あー、説明している場合はない。俺は清潔な水と布を持ってくるよ」
アレクサンダーはハンスの問いに簡単に答えると、すぐに駆け出した。
「四人中、三人が死亡……か」
「死亡っていうか、死んでないけどね。命は共有しているわけだし」
テレジアたちの治療により、フィーアは辛うじて一命を取り留めた。
しかし四つの体のうち、三つが機能を失ってしまったが。
四つのフィーアの体の中の内臓は、まるで爆発したようにグチャグチャになっており……
比較的軽傷の体に、他の体の臓器を移植するという形で何とか生き延びさせることができたのだ。
治療術に長けるテレジア、血液流出を最小限に止めさらに輸血を施したアリーチェ、そしてホムンクルスの体に詳しいリリアナの三人が揃っていなければフィーアは確実に死んでいただろう。
「で、原因は分かったか? リリアナ」
「まあね。残った三つの体を調べてみたけど……遠隔操作によって、体内を破壊する魔術が仕掛けられていたよ」
「今のフィーアは大丈夫か?」
「怪しい魔術は治療の際に解除したよ。……やっぱり詳しいことは中を見てみないと分からないものだね」
リリアナは肩を竦めた。
なぜか嬉しそうな表情を浮かべている。
……ホムンクルスの体を調べることができて、喜んでいるのだろう。
こと研究になると、リリアナは倫理感が蒸発してしまう。
「しかし体内を破壊、ね……下手を打ったな」
アレクサンダーは帝国を強請ったことを後悔した。
フィーアが死にかけたのは明らかにアレクサンダーが原因である。
アレクサンダーが帝国を脅したため、帝国が予め用意していた強硬手段に打って出たのだ。
「ところでフィーアの容体はどうなんだ?」
「一週間は安静ですよ……というか、暫くは動けないと思いますよ」
テレジアがアレクサンダーの問いに答える。
そして溜息を吐いた。
「しかし……帝国政府も随分と、酷いことをしますね。仮にも彼女は貴重な戦力でしょう? 私も含めてですけど、帝国にとって重要な戦力を相次いで失って大丈夫なのでしょうか?」
「まあ暫くは王国との間にかなり大きな軍事的な差が開くだろうな。もっともすぐに追いつくだろうけど」
あっさりとフィーアを破壊した。
それはフィーアを、またはフィーアに近い存在を新たに作り出すことが可能だからであろう。
帝国と王国では、帝国の方が中央集権的であるため、魔導研究は進んでいるのだ。
「そんなことよりも……彼女に輸血を施したせいで私は空腹だよ。アレクサンダー、あとで……というか今から吸わせてくれ」
そう言ったのはアリーチェである。
確かにアリーチェの顔色はあまり良くない。
というのもアリーチェはフィーアに血液を与え続けたからである。
体に合わない血液を入れると、場合によっては死んでしまうことがあるため……
輸血は慎重に行われなければならない。
が、しかしアリーチェは吸血鬼であり優れた血液魔法の使い手である。
血液の『型』を魔法で相手に合わせて輸血するくらいのことはできる。
とはいえ、さすがにかなり疲弊してしまったようだ。
「今回はアリーチェ、本当に君がいてくれて助かった。そうだな……今日はいくらでも吸わせてやる。それはともかくとして、帝国との交渉はどうするか?」
アレクサンダーが予想する帝国の対応は二つ。
一つは「良くも捕虜を殺してくれたな!」と白々しく怒ってくる。
もう一つは「お互いフィーアのことは忘れよう」と持ち掛けてくる。
このどちらかである。
アレクサンダーは前者ではなく、後者の方が可能性が高いと考えていた。
前者の場合、帝国が完全にアレクサンダーと敵対することが確定するからだ。
今の今まで和平交渉をしていたのに、急にそれをひっくり返して態度を急変させるとは思えない。
「問題はフィーア女史だろう。帝国は死んだと思っているかもしれないけど、実際は生きているからね。まだ生きているぞ! と言って強請るか、それとも隠しておくか……」
「……隠すのが賢明かな?」
「私もそう思うよ」
アレクサンダーの言葉にアリーチェは頷いた。
アレクサンダーが少し臭わせただけで、帝国は強硬な手段でフィーアを殺害させたのだ。
まだフィーアが生存していることを知れば、今度は何をするか分からない。
「伏せ札として、こちらで預かっておくのが賢明だろう。可能ならばフィーア女史が君の方に寝返ることだが……どうかな? モンテメラーノ女史、可能性としてあり得るかな? もし彼女が魔術的な手段で洗脳させられていたり、強制的に従わせられていたらこちら側についてくれる可能性はあると思うけど」
アリーチェの言葉にメアが顔を顰めた。
そして無意識に『服従の首輪』に触れる。
メアからすれば他人事ではない。
「ん……、魔術的手段による思考誘導や多少の洗脳、行動の一部規制等があったのは間違いないです。ただ、人の心を操る魔術というのは大変高度なものでして。少なくとも長期間、掛けていられるようなものではありません。メア君が首にしているような『服従の首輪』ならば肉体の完全な支配が可能ですが、それは現代魔術では不可能です。場違いな工業品じゃないと……と、長々と語りましたが、早い話、彼女の帝国への忠誠は非魔術的な洗脳によるものですから、今すぐこちらに寝返るかと言われると、怪しいところです」
短期的には難しい。
と、リリアナは答えた。
「つまりフィーアからの情報で、交渉に優位に立つのは難しいか……まあ今回は素直にハンスの奴で妥協をしておくか。……ハンスにはフィーアは死んだと伝えて置こう」
ハンスとフィーアは別に特別に仲が良かったわけではないが……
同じ帝国に仕える臣下である。
そんなハンスに対して「フィーアは帝国によって殺された」と伝えるのは心苦しい。
が、それはそれ、これはこれである。
フィーアの身の安全のためにも、そして何よりフィーアという伏せ札を伏せ札として機能させるためにもハンスにフィーアの生存を伝えるわけにはいかない。
ハンスならば、必ず帝国に密告するからだ。
「さてさて……上手く切り抜けられると良いが」
アレクサンダーは呟いた。