第20話 チンピラ勇者は約束を踏み倒す
それからしばらくして、獣人族たち一万人が迷宮へと移送……という名の追放が行われた。
迷宮までの食糧は王国が負担することにはなっていたが……
王国が負担したのは食糧だけ。
獣人族たちはまともに財産すらも持ち出せず、迷宮に移り住まざるを得なかった。
「まあまあ、そんなに暗い顔をするな、族長さん」
「……」
暗い表情の族長に対し、アレクサンダーは励ますように言った。
獣人族たちは現在、迷宮の第一階層にいる。
そこでアレクサンダーたちが用意していた炊き出しを受けている最中だ。
「……故郷を追われたのですぞ?」
王国は現在、農地不足に悩まされている。
開発できる場所と言えば、獣人族が暮らしている森林地域しか存在しないのだ。
故に獣人族たちは人族から森を追い出されることになったのである。
「それについては御愁傷様としか言えないな。ただあんたらが住んでいた森も、本来の故郷ではないだろう?」
「それは……そうですが」
彼らにとっては、その森は故郷であったかもしれないが……
元を質せば、王国が用意した隔離地区である。
歴史的には獣人族とは無関係の土地だ。
「この迷宮を第二、第三? の故郷だと思ってくれれば幸いだな」
「……」
「まあそう簡単に割り切れないか」
王国から帝国へと移住し、その後も各地を転々として生活してきたアレクサンダーには、故郷を懐かしく思う気持ちというのは理解できない。
もっとも羨ましいとも、思うところはあるが。
「それで……我々はどこに住まわされ、何をさせられるのですか?」
獣人族の族長は低い声でアレクサンダーに尋ねた。
アレクサンダーは肩を竦める。
「迷宮の好きなところに住んで、好きな仕事をすれば良い。ああ、もうすでに人が住んでいるところはダメだぞ?」
「……どういうことですか?」
「言葉通りの意味だ」
族長は呆気にとられた表情を浮かべる。
アレクサンダーは溜息を吐いた。
「どうやら認識の齟齬があるようだな……俺は別に君らを奴隷として酷使しようとは思っていない。揉め事を起こさず暮らし、そして落ち着いたら税金を払ってくれれば。それで十分だ」
アレクサンダーの言葉に族長は目を見開いた。
「……本当ですか?」
「嘘をついても仕方あるまい? まあ信じないのは勝手だがね。とにかく、住む場所を決めてもらわないと困るな」
アレクサンダーがそう言うと……
尚も疑うような表情を浮かべつつも、族長は答えた。
「我々は森に住む種族です。ですから、できれば森のあるところに住ませて頂けると嬉しい」
「森と言ってもいろいろある」
アレクサンダーはそう言って指折り数え始める。
「まずここの第一階層である『大山脈地帯』は全体の八十%が森だ。続く第二階層『大森林』は九十九%が森。第三階層『大草原』、第四階層『大荒野』、第五階層『大平原』、第六階層『大湿原』は一見名前から森が無さそうだが、それぞれ十%、二十%、三十%、三十%ほどが森林になっている。第七階層『熱帯多雨林』九十九%が森……だが、ここはあまりお勧めしない」
暑くてジメジメしていて最悪だ。
と、アレクサンダーは苦笑いを浮かべて言った。
族長はしばらく考えてから答えた。
「そう、ですね……森林も大切ですが、平野部もあった方が……全く農業をしないわけではないですから」
獣人族は元々は狩猟民族である。
とはいえ、彼らが完全な狩猟民族だったのは千年以上も前の話であり……現在は半農半猟の民族である。
「ならば第五階層『大平原』が良いだろう。あそこはまだ開拓が全く進んでいないからな。人族も住んでいないから、軋轢も少ないはずだ」
「では、そこに住まわせてください」
「ああ、分かった。生活基盤が整うまでは支援を行うからあまり心配はしなくて良いぞ」
アレクサンダーがそう言うと、半信半疑と言った表情を族長は浮かべた。
さてそれから二月後。
アレクサンダーとメアは獣人族たちの様子を見に、第五階層の森を訪れた。
森の外側には畑が広がっており、そして森の中を切り開いた先に家が建てられている。
家は森の木々を使用したのか、ログハウスだった。
「これはアレクサンダー様! よく来てくださいました」
「ああ、迷惑にならない範囲で見せてくれ」
「そのようなことはありません! どうぞ、隅から隅まで見ていってください!」
族長の想像以上の歓待にアレクサンダーは苦笑いを浮かべた。
以前の、アレクサンダーを疑うような暗い目はどこにもない。
「畑では何を育てているんだ?」
「それは人族とは変わりません。小麦や野菜などを育てております」
「なるほどね」
農業に関してはさほど人族と変わらないようである。
それから族長はアレクサンダーを森の奥へと案内する。
「どうして森の中に家を建てるのですか?」
メアが木で作られた家を見ながら尋ねる。
すると族長は柔らかい笑みを浮かべて答えた。
「我々は生活の糧を主に森から得ておりますから。人族が平野部に家を建てるのは農業のためでしょう? それと同じです」
「農業はあくまで副業、狩猟が主な収入源ということか?」
「狩猟……いえ、そういうわけではありません」
アレクサンダーの問いに族長は首を横に振った。
そして自分についてくるように言った。
族長が案内したのは森の一角だった。
本来生えていたであろう木々が伐採されており、別の苗木が植えられている。
「これは?」
「我々が主食にしている、栗の苗木です。どうにか、一部だけは故郷から持ってくることができまして。こうして育てています」
「そういえば、どこかで本で読んだな。獣人族は栗やどんぐりを食べると」
アレクサンダーは呟いた。
栗やどんぐりが獣人族の伝統的な主食である。
栗は植えて育て、どんぐりは自然に実っているものを食する。
これが人族と獣人族が相容れない理由でもある。
というのも、人族は豚を森に放ち、どんぐりを食べさせるからである。
最初期の獣人族と人族の衝突は、どんぐりを巡っての争いであった。
この争いは実質、人族の勝利という形で終わっている。
帝国ではもはや獣人族たちはどんぐりを食さず、人族と同様に豚を飼っている。
王国では隔離地区で細々と伝統が守られているが……現在耕地不足に悩まされている王国政府は積極的な森林開発を進めており、獣人族たちは伝統的な生活を捨てざるを得なくなっている。
「確かエルフもどんぐりや栗が主食なんだっけか?」
「エルフとは……あまり交流がありませんでしたが、彼らは我々以上に森と密接な暮らしをしていたと聞いております」
獣人族とエルフは共に森に住む種族だが、前者は森の奥深くで生活するのに対し、後者は森と平野部の境界で生活をする。
実はその生活圏は重なりにくく、両者は互いのことを詳しく知らない。
「もう一つ、お見せしたいものがあります。ついて来てください」
そう言って族長が案内したのは家畜小屋であった。
アレクサンダーは感慨深そうにつぶやく。
「へぇ……多少は豚も飼うのか? それともヤギとか、馬か?」
「いえ……見てもらった方が早いかと」
そう言って族長はアレクサンダーたちを小屋の中へと案内した。
その家畜小屋にいた動物は……
「もしかして鹿か?」
「鹿って、飼えるんですか? 初めて知りました……」
アレクサンダーとメアは驚きの表情を浮かべた。
二人にとって、鹿は家畜ではなく……狩猟される動物である。
「野生に生息している鹿とは少し異なります。コツノ鹿と我々は呼んでいます。見ての通り、普通の鹿よりも角が小さめなのが特徴です。それに人によく馴れ、大人しい。まあそれ以外はあまり野生の鹿と変わりませんが」
物珍しそうにアレクサンダーは鹿を見る。
言われてみると確かに野生の鹿よりも角が小さめで、一方で体は大きい。
「なるほど、豚が育てられない代わりに養鹿をしているのか」
アレクサンダーはポンと手を打った。
どんぐりは獣人族が食べるため、同じようにどんぐりを消費する豚を食べることはできない。
その代わりに、身近にいる鹿を育てたのが始まりなのだろう……とアレクサンダーは考察した。
帝国の北部では鹿の仲間であるトナカイが家畜として活躍している。
小型のトナカイだと考えれば違和感はない。
「食べていかれませんか?」
「まあ御馳走してくれるなら頂こうかな。なあ、メア」
「はい」
メアも鹿肉に興味があるのか、頷いた。
そのままアレクサンダーとメアは族長の家へと案内された。
どんぐり珈琲を飲みながら待っていると、料理が運ばれてきた。
大きな葉っぱの上に、焼いた肉やパンが置かれている。
「まずこちらがどんぐりと栗のパンです。こちらが鹿肉のステーキ、野イチゴを使ったソースを掛けてお召し上がりください。こちらは鹿の刺身、ロース、レバー、ハツです。そしてこれが鹿の脳味噌で……」
族長がテーブルの上に並べられた料理を解説する。
どうやら鹿を丸々一頭、アレクサンダーとメアのために潰したようだ。
「これは御馳走だな……しかし良いのか? 生活はまだ安定しているとは言い難いだろう」
アレクサンダーが尋ねると族長は柔らかい笑みを浮かべた。
「アレクサンダー様は我々の救世主です。むしろこの程度のおもてなししかできず、申し訳なく思っています」
「それは……まあ、そう言うなら遠慮はしないがな」
アレクサンダーは肩を竦めた。
「美味しかったですね。特に鹿肉のお刺身は最高でしたね……」
「脳味噌と睾丸にはビビったが、中々イケたな」
魔王城に帰還したアレクサンダーとメアはお腹を擦りながら言った。
牛や豚に劣らず、獣人族の育てる鹿肉は美味だった。
「それにしても……獣人族の皆さん、幸せそうでしたね」
「はは……まあ、連中にとっては王国の外なら大概住みやすいだろうな」
アレクサンダーは苦笑いを浮かべる。
メアは少しだけ、悲しそうな顔を浮かべた。
「でも……あの人たちを受け入れるために、王国の人族の方の移住を禁止したんですよね? 何というか、複雑な気持ちに……」
「別に禁止していないけど?」
「え? でも……条約を結びましたよね?」
メアは首を傾げた。
するとアレクサンダーは大笑いをしてから、メアに説明を始める。
「ああ、あれはな……」
一方その頃、迷宮の地上部。
そこには百人ほどの、王国出身の難民たちがいた。
どうにか王国を抜け出し、新天地である迷宮を目指してきたのである。
迷宮への移民を担当する官僚が彼らに尋ねる。
「えー、どこの出身ですか?」
「カルヴィング王国です……どうか、受け入れてください。重税を掛けられ、強制労働をさせられ……あそこにいれば我々は飢え死にしてしまいます」
代表者の男がそう言うと、官僚は大袈裟に反応する。
「王国出身! それは残念です。我々は王国人を受け入れていないのです。王国と条約を結びまして……王国から来た方は王国本国へと送還することになっています」
「そ、そんな! お願いです、せめて女子供だけでも!!」
代表者が縋りつくが……官僚はお役所対応で、ダメだと首を横に振った。
そして……これまた予め指示されていたマニュアル通りの対応をする。
「皆さんが帝国出身か、都市国家同盟の出身であったのであれば許可を出せたのですがね。あー、残念ですね! できれば、王国出身というのが言い間違いであって欲しいのですが……そんなことありませんよね? 皆さんは王国出身なんですよね? あー、残念だ、残念……帝国出身だったらなぁ!!」
「……」
代表者は一瞬、困惑した表情を浮かべた。
しかしすぐにその意図を汲み取り、大袈裟に叫ぶ。
「すみません、言い間違いでした! て、帝国の出身です!!」
「帝国出身! それならば問題ありません!! どうぞどうぞ、お通り下さい!!」
「というわけだ、メア。同じ人族なんだし、王国出身者と帝国出身者なんて見分け付かないからな、仕方がない。悪いのはちゃんと国境を取り締まらない王国だ」
「……」
メアは何とも言えなさそうな表情を浮かべた。