第14話 チンピラ勇者は吸血鬼に農業の解説をする
アレクサンダーが奴隷を購入してから一月。
都市国家同盟から三万人規模の移民がやってきた。
それに加え帝国から一万人、王国から一万人の移民がやってきたことで……
迷宮内部の人口は十五万に達した。
難民、ではなく移民である。
というのも帝国は王国に対し反攻作戦を開始し、徐々にだがその支配領域を取り返しつつある。
もっとも王国もさらなる軍を投入しており、その戦況は帝国優位のまま膠着状態。
結果、戦場そのものが移動することはなく新たに難民が発生することはなかった。
しかしアリーチェ含む、都市国家同盟による宣伝工作により……
帝国と王国から、貧しい生活をしている下層民や差別されている者たちが続々と迷宮に集まった。
故に彼らは難民ではなく、移民と言える。
「ご主人様、新たな移民の名簿が完成しました。ご確認ください」
「ああ、ありがとう……ユニス」
アレクサンダーに名簿を手渡したのは……
美しい赤髪の少女だった。
年は十二歳ほど、気の強そうなつり目が特徴的だ。
メイド服を着込み、腰に剣を差している。
(まさか、あの一番見た目的に汚かった子供が、ここまで美少女になるとは)
ユニスは、アレクサンダーが一目見た時にドン引きした、顔に酷いデキモノのあった少女である。
大変醜い容姿で、顔から膿が滲み出ていたりと、まさに「酷い」容姿だったが……
『聖女』テレジアの回復魔術と、高価な医薬品による治療で完治。
結果、美少女へと生まれ変わった。
アレクサンダーとて一般的な男であり、聖人君子ではないので、当然容姿の良くない女性と良い女性ならば後者を選ぶ。
……よほど後者の性格が悪くない限りは。
ユニスという少女は顔も美しかったが……
能力が高かった。
それなりに剣で戦うことができ、さらに高い行政能力を持っている。
アレクサンダーが購入した、成人の奴隷たちですらもユニスの処理能力には敵わない。
すでにユニスは文官・武官の事実上のまとめ役になっていた。
「それとご主人様、治安維持部隊の人員募集が終わりました。これがその名簿です……定員の二倍以上の者がオーバーしているため、何らかの選考を行うべきかと」
「ああ、ありがとう」
アレクサンダーはユニスから書類を受け取る。
素人のアレクサンダーでも、大変読みやすい形式になっている。
「こういうの、どこで覚えたんだ?」
「実家がそういう職業に就いておりまして」
「ふむ……貴族だったのか」
「はい」
ユニスは頷いた。
アレクサンダーは、ユニスが奴隷堕ちした高貴な身分のカルヴィング人であると予想を立ててはいたが……
今まで聞かなかった。
あまり過去は詮索しない方がよいと思っていたからである。
しかし少し話題を振っただけで、すんなりと答えてくれたことにアレクサンダーは驚く。
そんなアレクサンダーの心情を察したのか、ユニスは口を開く。
「過去は過去、気にしてはおりません」
「そうか……まあお前が良いなら良いけど」
貴族が奴隷堕ちすることは滅多にない。
たとえ借金塗れになろうと、どんなに困窮しようとも……必ずどこかで助けが入る。
血筋による固定階級制度は、カルヴィング王国にとって絶対だからだ。
よほどの犯罪でも犯さない限り、奴隷堕ちすることはない。
もっとも……さすがのアレクサンダーも、わざわざトラウマに土足で踏み込むような真似をしてまで、ユニスの過去を尋ねる気はないが。
「ご主人様には感謝しております」
「おお、それは結構なことだ」
感謝されて悪い気はしない。
元々、感謝されるために……忠誠心を抱いて貰うために助けたのだから。
無論、ユニスも当然アレクサンダーのそういう打算的な気持ちも知っている。
だが元より、国と騎士の関係というのは、国は騎士に対して忠誠と服従を望み、騎士は国から恩恵と保護を望むという……ある程度打算的なものが含まれる。
ユニスにとっては、アレクサンダーがどのような思いを抱いていようとも……
助けてもらった見返りとして、忠義を尽くすというのは極めて自然な思考であった。
「勇者様、宜しいですか……あ、ユニスさん」
「これはメア様」
ユニスはメアに対して頭を下げた。
「そんな仰々しい真似はやめてください……」という台詞は、すでに一月前に言い尽くしている。
ユニスはこういう人間なんだと、すでに諦めたメアはユニスに軽く会釈をするとアレクサンダーの前まで移動する。
「勇者様、都市国家同盟から新たに物資が届きましたよ」
「そうか、よし……出迎えにいこう。転移を頼む」
「はい……では、ユニスさん、お仕事頑張ってくださいね」
「はい、メア様」
アレクサンダーとメアは転移で、第ゼロ階層『水晶の森』まで移動した。
そこにはすでに、多くの馬車が止まっており、さらに遠方からも荷馬車の群れが続いていた。
「やあ、アレクサンダー。調子はどうだい?」
「アリーチェか。直接来るなんて珍しいな」
「まあ、たまにはね」
アリーチェはウィンクをする。
メアに頼めばわざわざ馬車に乗ってやってくる必要などないが……しかしメアの転移魔法は出来る限り秘匿した方がよい。
故に公式訪問には使えない。
そういうわけでアリーチェはわざわざ、御足労してここまでやってきたのだ。
「アレクサンダー、君の望む通り……衣服、農具、家畜を持ってこさせたよ」
「ありがとう、助かるよ」
アレクサンダーは笑みを浮かべる。
難民や移民たちの中には、文字通り身一つで移住してきた者も多い。
そのため衣服や農具が不足気味になっていた。
迷宮の宝物庫には、そういうガラクタの類もたくさんあったため今までは何とかなっていたが……人口の急増もあり、追いつかなくなっていた。
そのためアリーチェを介して、衣服や農具をまとめ買いしたのだ。
「それと家畜だが……牛五十、馬五十、羊二百、ヤギ二百、ブタ二百、鶏千。お望みの物を持ってきたよ」
「本当に恩に着る」
農業に於いて家畜は絶対に必要不可欠である。
また人間が生きていく上で、最低限のたんぱく質は確保しなければならない。
すでに農業基盤が整いつつあることもあり、アレクサンダーは家畜を仕入れることを決意した。
牛は畑を耕すために必要な畜力として。
馬は畑を耕す目的もあるが、また物資の運搬のために。
羊は羊毛と羊肉の確保が目的で、ヤギはヤギ乳を得るため。
ブタは食肉のためであり、鶏は食肉……というよりはむしろ鶏卵を得るためである。
「一応聞くんだけど、育てられるんだよね?」
「新しく来た移民の中に、畜産をやってたやつがいてな。一先ず『大草原』に放って、数を増やそうと考えている」
幸いなことに、草はいくらでも生えているのだ。
もっとも豚に関しては草よりもどんぐりを食べるので、『大草原』ではなく『大荒野』で育てられる予定だが。
「あと、数日すれば建築士や医者、鍛冶師なんかの技術者も派遣される。しっかりと給料を支払ってあげたまえよ?」
「そりゃあ、こんな辺鄙なところに来て頂いたんだ。当然、相応の額を払うさ」
一先ず事務連絡を終えたアレクサンダーは都市国家同盟から派遣された荷馬車を迷宮の中に通す。
そして彼らへの道案内を官僚と兵士に託すと、人気のないところに行き、メアの転移魔法で迷宮の奥へと進んだ。
「へぇ……以前よりも随分開拓が進んでるじゃないか。それにあと数か月もすれば、小麦の収穫も期待できそうだね」
「ああ。土地が肥えていて、降水量も安定しているおかげで……特に苦労することなく豊作を迎えられそうだ、とのことだよ」
アレクサンダーは農業については素人なので、分からない。
全ては農民任せである。
「農法の種類とか、そういうのは聞いているかい?」
「あー、そうだな……えーと、確か、あれだ、休耕地にクローバーを植えるタイプの三圃制だったかな? それをやってる農民が多い。まあ人に依るんだけどな」
「改良三圃制かい?」
「そう、それだ」
三圃制農業というのは農地を三つに分け、春耕地、秋耕地、休耕地の三つを年ごとに入れ替えていくという農法である。
『改良』三圃制はその休耕地にクローバーなどの牧草、またはカブなどの根菜類を植える農業だ。
「輪栽式じゃないんだね」
アリーチェは少し意外そうに言った。
現在、大陸で行われている農法は大きく分ければ三つ。
三圃制農業、改良三圃制農業、輪栽式農業である。
比率としては三圃制農業が一割、改良三圃制が四割、輪栽式農業が五割といったところか。
改良三圃制から輪栽式農業に切り替えるには農地の再整備を含む、いろいろと面倒な作業を行わなければならないため、輪栽式農業そのものが生み出されてからはそれなりの時が経過しているが、まだ広がりきっているとはいえない。
とはいえ迷宮はこれから開拓される土地。
最初から輪栽式農業をやる前提で農地を整備した方が良いのではないか……とアリーチェは考えていたのだ。
「俺も同じことを思ったんだけどな。輪栽式農業ってのは、面倒くさいらしいぞ。手間が掛かるんだとさ……まあその分、同じ畑から得られる食糧は増加するらしいんだが……」
アレクサンダーは頭を掻いた。
「その手間で畑を広げて、小麦を育てた方が結果的には生産できる食糧は多くなるんじゃないか、との話だ」
「なるほどね、土地は有り余るほどあるわけだから……その方が合理的かもね」
アリーチェは納得したのか、頷いた。
しかしアレクサンダーは苦笑いを浮かべる。
「ただぶっちゃけ、人に依るぞ? 俺は具体的に指示なんて出してないからな。人によっては輪栽式農業で手間暇掛けた方が良いって主張する奴もいるし、そもそも牧草を育てる手間が面倒だって言って三圃制にする予定だって、言う奴もいれば……土地が余ってるんだから農地は適当に二分割で、耕作面積を増やした方が良いってやつもいる」
まあつまりバラバラ、ということだ。
同じ農民とはいえ、出身地や文化、宗教すらも異なる難民・移民なのだからやり方が人によって異なるのは当然と言えば当然である。
「つまり集約的な農業と粗放栽培、そのバランスの問題ってことかな?」
「多分そういうことだろう。まあ今はいろいろやってみた方が良いんじゃないかと俺は思ってるよ。迷宮には迷宮の、適した農法があるだろう……今はそれを探る時期じゃないかね?」
多分だけど。
と、アレクサンダーは肩を竦めて言った。