第1話 チンピラ勇者は逃亡する
真夜中。
ふと、勇者――アレクサンダー――は強烈な殺意を感じて目を覚ました。
即座に聖剣を呼び出し、その殺意の元を斬りつける。
聖剣が空を斬る……
かわされたのだ。
アレクサンダーはベッドから跳び起き、距離を取った。
聖剣に魔力を注ぎ、光を灯す。
視界に移ったのはアレクサンダーの仲間、勇者パーティーの一人である暗殺者の少女。
フィーアである。
「よう、フィーア。随分と過激な夜這いだな。でも俺にも準備があるんだ、毛の処理とか……できれば予め伝えてくれた方が嬉し……」
「――」
その返答はナイフであった。
亜音速にまで加速したナイフがアレクサンダーの喉元に迫る。
猛毒が塗ってあることを知っているアレクサンダーは、これに触れることなく、避ける。
さらに距離を取る……
が、八本のナイフが風を斬りながら迫りくる。
それを聖剣で弾き飛ばす。
「こりゃあ、話が通じないな」
「……」
白い髪、頬に入れ墨、真紅に光る瞳の少女が静かにアレクサンダーを見つめる。
その目に意思は見えない。
あるのはただ、純粋たる殺意のみ。
フィーアは元々話が通じるタイプではない。
そもそも会話すらしたことがない。
何か言葉を発したところすらも見たことがない。
そのことを良く知っていた勇者アレクサンダーは会話を諦め、窓を突き破って外に逃れる。
そのまま逃亡を図ろうとするも……
「待て、勇者。アレクサンダー」
「待ってもらえると嬉しいです」
アレクサンダーが降り立った中庭には二人の人物。
一人は帝国騎士、アレクサンダーの仲間であった男、ハンス。
もう一人は回復術師、聖女、同じくアレクサンダーの仲間であった女、テレジア。
ハンスは手に槍を、テレジアは手に鎚矛を持っている。
「不法侵入だぞ、ハンス、テレジア。玄関から入って来てくれ」
「悪いが、アレクサンダー。……この屋敷は既にお前のモノではない」
「あなたには反逆罪の容疑が掛かっているんです」
「……」
ようやくアレクサンダーは状況を飲み込んだ。
つまり『勇者』という、意思を持つ兵器は帝国にとって脅威なのだろう。
『魔王』が討伐された以上、意思を持つ兵器は不要。
故に処分しに来た。
分かりやすい話だ。
「……一応、お前ら俺の仲間だったよな?」
アレクサンダーがそう確認する。
一応、共に人類のために魔王と戦い、友情を育んだ仲……のはずである。
「私は帝国騎士だ。陛下に命じられた以上、その職務を果たすのみ」
「でも反逆を企てたのでしょう? 私事と仕事は分けないと……私も悲しいです。まさか、あなたが反逆なんて……まあいつかやると思ってましたが。犯罪者みたいな顔してますものね」
何て薄情な連中だろうか。
アレクサンダーの心は悲しみに覆われる。
特にテレジア。
聖職者のくせに人を人相で判断するとは、果たしてどうなのだろうか?
「別に、反逆なんてしてないんだけどな」
「ならば、捕まってくれ。正々堂々、裁判でそう主張すれば良い」
「まあ筋書きが決まっているので、どう主張しても死刑になるんですけど……安心してください。墓参りには毎日行きますから。あなたが神の国へ行けるように日々祈っておきましょう」
ハンスとテレジアが降伏を勧める。
それと全く同じタイミングで、アレクサンダーの背後から殺意が膨れ上がる。
寸前のところでフィーアのナイフを避け、懐に隠していた煙玉を地面に投げつける。
辺り一面に煙が広がる。
三人が視界不良で動けない隙に、アレクサンダーはその場から逃亡した。
「いってぇ……フィーアの奴め、悔し紛れにナイフ投げてきやがった」
アレクサンダーは血が溢れる脇腹を押さえる。
ポタポタと、血が地面に垂れ落ちる。
毒も回ってきて、正直あまり良くない状況だ。
「ふぅ、まずは帝都を脱出しないとな……その後は、どこに逃げるか? 王国は……ダメか。絶対に関所は封鎖されている。傷を考えると、戦闘は避けたい……」
もう一つ、都市国家同盟という選択肢もあったが……王国と同様、厳しいだろう。
簡単に予測できてしまう。
どこか、意外な場所……
ふと、アレクサンダーの脳裏にある場所が浮かび上がる。
「あそこはもう、魔物もいない。……イケるか」
斯くしてアレクサンダーは『魔王城』に逃げ込んだ。
「何もないな……まあ予想通りではあるが」
主人を失い、機能を停止した魔王城の中を進む。
魔物もいなければ、罠すら発動しない。
自生した植物と動物だけの楽園と化していた。
「ふぅ、ふぅ……ようやく、最深部」
魔王城の最深部、『宮殿』に辿り着いたアレクサンダーは地面に倒れ込んだ。
さすがのアレクサンダーも、もう限界だったのだ。
「……大丈夫ですか」
声を掛けられた。
アレクサンダーは顔を上げて、声の主を確認する。
髪は薄暗い迷宮の中に溶け込むような、暗い、紫がかかった黒色。
瞳は紫水晶のように美しい。
肌は雪のように白く、そして容姿も大変整っていた。
しかし少女は美しかったが、着ている服はまるで奴隷のようにボロボロ。
細く白い首に取り付けられた漆黒の首枷が痛々しい。
そんなアンバランスな少女が立っていた。
「天使なら、巨乳が良かった。ちょっと、交代してきてくれないか?」
ドン!
アレクサンダーの頭に衝撃が走り、意識がプツリと切れた。
「ん、ここはどこだ……」
アレクサンダーは起き上がった。
何故か、頭に鈍い痛みを感じる。
「うん?」
ふと、違和感を感じて脇腹に触れる。
そこには布が巻かれていた。
誰かが応急処置をしてくれたようだった。
取り敢えず、アレクサンダーは腰に下げていた剣、聖剣を確認する。
「良かった、聖剣ちゃんは無事か」
今のところ、アレクサンダーにとって唯一の仲間ということになる。
聖剣までどこかに行ったら、さすがのアレクサンダーも泣くかもしれない。
「目が覚めましたか。勇者様」
アレクサンダーが顔を上げると、そこには首枷を嵌めた少女がいた。
手にはトレーを持っていて、そこにはパンと葡萄酒らしきものが乗っていた。
少女はアレクサンダーの前にトレーを置いて尋ねる。
「傷は如何ですか?」
「君が治療してくれたか。まあ、まだ痛むが……食って寝れば治るだろう」
アレクサンダーはそう言ってパンと葡萄酒に手を伸ばし、口に入れる。
数日ぶりの食事はとても美味しく感じた。
「……毒の心配はしないのですか?」
「飢え死にするくらいなら、毒を食った方がマシだ。で、君は誰だ? 俺は所謂『勇者』だ。名前はアレクサンダーだ。呼び方は、好きにしてくれ。お勧めはアレクちゃんだ」
「ではアレクちゃん」
「……君は冗談が通じないタイプかな?」
「いえ、冗談ですよ。勇者様」
どうやら冗談が通じるタイプのようだ。
アレクサンダーは少しだけ安心した。どこぞの暗殺者のように、会話が成立しないと困るからだ。
「私の名前は……そうですね、スクラーヴェと呼ばれていました」
「奴隷とは、随分と素敵な名前だな」
「でしょう?」
アレクサンダーが皮肉を交えて言うと、少女はおどけて見せた。
気が合いそうでアレクサンダーは少し気分が良くなる。
「いくつか聞かせて貰おう。まず何故俺が勇者だと分かったか……は聖剣を持っていたからか。君は、何者だ?」
「魔王の娘です」
「へぇー、つまり君は魔物か?」
「そもそも魔王は人間ですよ。……闇の魔術に手を染めて、あんな化け物のような姿になってしまいましたが」
「ふーん。まあ知ってたけど」
魔王が元人間であったことは、ある種の暗黙の了解であった。
人間を殺すよりは魔物を殺す方が、後味は悪くない。
そういう理由で口に出すのは憚れていた。
「俺を憎まないのか?」
「いえ、むしろ感謝をしています。何しろ、人の事を奴隷奴隷と呼ぶような男ですからね。父と思ったことは、産まれてこの方一度もありません」
「なるほど」
アレクサンダーは葡萄酒を飲み干してから頷いた。
少女が自分を助けた理由が分かり、少し安堵する。
「つまりその服装は奴隷だから、か。てっきりファッションだと思ってた」
「随分と奇抜なファッションですね……まあ、それはともかく。あなたには頼みがあります」
「ほう……この絶賛、犯罪者として逃亡中の元勇者様に頼みとは何かな?」
アレクサンダーは目を細める。
命は助けて貰ったが、それはそれ、これはこれだ。
「あなたにこの迷宮の主人になって欲しいのです。まあ、つまり……魔王になってくれ、ということですね」
「魔王?」
「ええ、ついでに……私のご主人様にも、なって頂きたいなと」
少女はそう言った。
アレクサンダーは首を傾げる。
美少女のご主人様になるのは吝かではないが、魔王になるのは考え物だ。
「分かりやすく、説明してくれ」
「はい」
少女の説明によると……
まず、魔王が死んだ時点で迷宮の支配権は少女に譲渡されたようだ。
死と共に、血縁者に譲渡されるシステムになっているらしい。
だから今の少女が現魔王と言える。
だが……
「服従の首輪、は知ってますか?」
「聞いたことはあるな。貴重な場違いな工業品だとか……まさか、それか?」
「そのまさかです。この首輪を付けると『主人』に設定された者に対し、絶対的な服従を強いられます。普通は『主人』が死ねば解除されますが、先代魔王は優れた闇の魔術の使い手でした。あの男は自分が死んだ後、自分を殺した者に『主人』が移り変わるように改造したのです」
少女は不愉快そうに言った。
それが意味することはつまり……現在の主人はアレクサンダーであるということだ。
「両手を上げて」
「……」
無言で少女は両手を上げた。
とはいえ、これだけでアレクサンダーは納得しない。
両手を上げるくらいなら、誰でもできるだろう。
「服を脱いでみろ」
「……」
無言で服を脱ぎ始める少女。
恥ずかしそうに局部を隠し、顔を赤らめ、アレクサンダーを睨む。
「絶対に、そのまま動くなよ? 瞼一つ、動かすな」
アレクサンダーはそう命令して……
聖剣を引き抜き、少女に斬りかかる。
首筋、薄皮一枚で止め……
じっとアレクサンダーは少女を見つめる。
少女は身動ぎ一つ、しなかった。
「よし、信じよう。命令は解除だ、服を着ろ」
「……信じてくれたようで、何よりです」
少女はほっと一息つき、体を震わせた。
剣で斬りかかられて怖くない人間はそうそういないだろう。
「しかし何でそんな設定に改造したんだ?」
「……私が奴隷から抜け出せないようにしたかったからでしょう。あの男の、一時の欲求ですよ」
忌々しそうに少女は言った。
相当、恨んでいるようだ。
「まあ、つまりですね……私の主人はあなたになっています。ご存じかは知りませんが、服従の首輪は事故防止のために『絶対服従をやめろ』という類の命令は受け付けないようになっておりますから、ご主人様になってくださいというよりは……ご主人様になって頂きます、という事後承諾です。そして命令の支配権は私にある……つまり実質あなたのモノですから、すでにあなたは魔王と言えますね」
「なるほど、なるほど……」
まさか勇者と魔王を兼任することになるとは思わなかった。
アレクサンダーは肩を竦めた。
「試しに魔物を召喚してみてくれ」
「分かりました」
少女は頷く。
すると魔法陣が出現し、そこからゴブリンが現れた。
「へえー、凄い」
「こんな感じです……さて、どうします? 勇者様。犯罪者として逃亡中? とのことですが。強姦でもしましたか?」
「さすがにまだしてないな。ちょっと、反逆罪の濡れ衣を着せられてな……」
アレクサンダーはそう言ってゴブリンを見る。
少女の力を使い、迷宮に立て籠もれば当分の間は命を繋ぐことができそうだ。
幸い、迷宮の中には食べ物がたくさんある。
だが……
(それだけじゃ、面白くないな)
アレクサンダーは笑みを浮かべた。
「良いことを、考えた」
「……良いこと?」
「ここに国を作ろう。人を集め、都市を作り、軍隊を組織する。そうすれば安泰だ」
少女の目が見開いた。