帝都クレタ③
妖精の小道―――
淡い光に満たされた優しい空間。
そこに足を踏み入れると、もう後戻りすることは許されない。
運命に導かされるまま、次の分岐点まで進むことしかできない。
それは、完全な選択であり、妖精王との契約である。
その先に、どんな悲劇が待ち受けていようとも・・・・・
イリアは妖精王との約束により、妖精の小道に足を踏み入れた。その先に待つものは、聖教徒達の安寧とシャルルへの懺悔である。癒しに満ちた光の中、前にしか続かない道をイリアは一歩ずつ進んで行く。やがて道は終わりを迎え、その先にある空間へと到着した。
全く知らない場所であるにも関わらず、不思議とイリアは不安を感じなかった。それは、全てを受け入れることを決めたイリアの覚悟が、そうさせているのかも知れない。
そこは、女神テレス像の前だった。
この世の全てのものに愛を与え、この世の全てものを許す慈愛に満ちた横顔。目を閉じ、両手を合わせて祈りを捧げる姿を目にし、イリアは思わず跪いた。それは聖女候補としての条件反射なのか、それとも畏怖によるものなのかは分らない。
「おや、貴女は、どこから入られたのかな?」
不意に、温和な老人の声が室内に響いた。
慌ててイリアが振り返ると、そこにはテレス聖教の聖職者らしき男性が立っていた。純白の聖職者用の衣服と帽子から、イリアはその男性が大司教であることを認識する。直ぐに向き直り、腰を折って自分の名を告げた。
「お久し振りでございます、大司教様。イリア・テーゼでございます」
イリアの名を聞き、大司教は大きく目を見開いた。
「イリア・テーゼ・・・聖女候補の、ですか?確か現在は、ユーグロード王国の大聖堂にいるはずですが・・・」
「はい。確かに、先程までユーグロードにいました。ですが、妖精王のお導きにより、この地に参りました」
「なんと、妖精の小道を通られたのですか!!」
大司教はイリアの説明に驚愕する。妖精の小道は、妖精王に認められた者しか通ることができない。教会の記録において、妖精王に認められた者など、ここ200年以上現われていなかった。
大司教は一度大きく頷くと、イリアに告げる。
「分かりました。一体何がユーグロード王国で起きているのか、なぜ貴女が妖精の小道を通ることを許されたのか、あちらでお聞かせ下さい」
「承知致しました」
イリアは頭を下げ、大司教に同意を示した。
イリアはクレタの大聖堂で保護された。「妖精の小道」を通って現れたという噂がどこからともなく広がり、連日、大勢の人々がイリアに会うため大聖堂を訪れた。大司教は、大聖堂にある教会の1つをイリアのために解放することにした。
訪れた人々は、イリアを「妖精王に認められた聖女」と呼ぶ。しかし、イリアはそれを耳にする度に否定した。聖女とは、聖職者の職位ではない。聖女とは女神から神託を受けた者の呼称である。確かに、現聖女であるジャンヌ・サマーナを除けば、イリアは唯一の女神魔法適合者だ。しかし、女神からの神託を受けていない。今のイリアには、何かが欠けているということなのだろう。
聖女と名乗ることが許されているジャンヌは、現在クレタにはいない。イリアの話を聞いたその日の内に、ここクレタの大聖堂を発った。イリアが逃げてきたユーグロード王国に、逆にジャンヌは向かったのだ。
ユーグロード王国のテレス聖教徒を救うために。
ユーグロード王国の国民を勇気付けるために。
アニノート国の人々を励ますために。
新国王のダムザに蹂躙された人々を助けるために。
―――そうだ。
ようやく、イリアは気が付いた。
大聖堂を訪れる人々は、テレス聖教の人達ばかりではない。この街に住む人達が、イリアの元を訪れている。その全ての人達のために、イリアは安寧と平和を願うのだ。
テレス聖教は、女神テレスが始めたものではない。
暗黒の時代に、人々が女神テレスに平和を祈り、幸福を願ったことから自然発生的に広がったものだ。イリアが妖精王に告げた、テレス聖教徒の安寧を護るために―――という内容では不完全なのだ。イリアが護るものは、この世の全ての人々の平和と幸福でなければならない。
そして、今のイリアは、この世の全ての人々を護りたいと思っている。
この世の全ての人々の幸福と安寧を祈り、この世の全ての人々を厄災から護る。そして、妖精王によって約束されたシャルルとの再会の時を待つ。自分が犯した罪を懺悔し、その罪を自分の全てで償うために。
今日も、イリアがいる教会には大勢の人々が集まっている。
イリアがふと入口付近に視線を移すと、そこに見覚えのある人影があった。
忘れることができない人物。
あのラストダンジョンで置き去りにした人物。
イリアの罪。
決して許されない罪。
勇者、シャルル―――――




