凶暴な犬とアンデッド①
パルテノを出発したシャルルは来た時とは違う北側の道を通り、次の目的地であるカルタスを目指していた。カルタスはジョルダン侯爵が治める、流通の拠点となっている都市だ。西はドワーフの国であるジアンダ、東は高級保養地であるハノイ、そして北は帝都クレタへと、帝国内における重要な道が交差しているためだ。
「それにしても・・・」
シャルルの口から、思わずそんな言葉が漏れる。道路事情を目の当たりにすると、そんな愚痴が飛び出しても仕方がない。
一旦北に向って「失われた地」を回避、そこから東に向かうこのルートは、綺麗に整備された道だった。命を賭けるどころか、スリ傷を負うことさえも困難な道路事情である。あの山岳地帯の行軍は、一体何だったのだろうか。確かに、ジアンダに行く道をギルド職員に訊ねはしたが、安全な別ルートが存在するならば、当然、そちらを紹介するべきだろう。
山岳ルートでは擦れ違うことがなかった商人も、キャラバンを組んで物資を運んでいる。それはそうだろう。あれほど酒好きなドワーフ達が揃っているのに、パルテノには酒蔵は1軒も無かった。それはつまり、大量の酒を別の場所から買い付けているということを意味しているのだから。
しかし、もしこのルートを利用していれば、ドドラに出会うことも、聖光の鎚を目にすることもできなかった。そう考えれば、結果的にはあのルートで良かったとも思える。
パルテノ発ってから3日目、明後日中には交通の要衝、カルタスに到着するという頃。
道の真ん中を歩いていたシャルルの眼前で、突然、空間が歪み始めた。この術式から感じる魔力は、何者かが転移を発動したものだ。しかし、転移の魔法は古代高等魔法の1つであり、現代において使用できる者はシャルル以外にいないはずだ。
―――では、一体何が起きているんだ?
不測の事態に備え、シャルルは即座に周囲を確認する。前後左右に視線を動かし、一先ず安堵する。現時点において、視認できる人影は1つとして存在しない。
そうしている内にも歪みは大きくなり、空間がピシリという音を立てる。その瞬間、空中に何かが現れた。直観的に、危険が無いことを理解した。
シャルルは反射的にそれ受け止め、その柔らかい感触に動揺する。
空間から現れたもの、それは紫の髪をした少女だった。転移の影響なのか、少女は目を閉じたまま、ピクリともしない。弱弱しい呼吸音が、犬歯が覗く口元から漏れるだけだった。
困惑するシャルル。少女の年齢は、シャルルと同年代か、1、2歳下に見える。落ち着いて観察すると、身体全体に大小無数の傷があり、着衣の所々は破れている。何か事件に巻き込まれたのか、或いは何かと戦ったとしか思えない。だとすれば、これは眠っている訳ではなく気を失っているのかも知れない。
とりあえず放置する訳にもいかず、道端の草むらに寝かせてシャルルはヒールを唱える。少女が淡い緑色の光に包まれ、あらゆる傷が何の痕跡も残さず癒されていった。
容態を窺うようにシャルルが顔を覗き込んでいると、突然、少女の目がバチリと開いた。真正面から視線がぶつかり、反射的に少女が飛び起きる。次の瞬間、鈍い衝撃音と共にお互いが額を押さえて悶絶した。それでも、少女は涙目のまま後方にジャンプし、拳を握って身構える。
「ガザドランはどこ!?」
ガザドランという名前を聞き、シャルルは狼の獣人である元勇者パーティの顔を思い浮かべた。少女も獣人である。しかも、改めて見ると、着衣には金糸が使用されており、かなり高価な品だと分かる。シャルルの脳裏に嫌な予感が過ぎった。
「ガザドランとは、一体誰のことだ?そもそも、ここはアルムス帝国中部の草原。見ての通り、周囲には誰もいないよ」
少女は身構えたまま、目だけで周囲の状況を確認する。そして、ここが言われた通りの草原であることを認識した瞬間、力無くその場に崩れ落ちた。
「まさか、カレンが転移結晶を・・・・・」
そう微かに呟き、少女はシャルルに顔を向ける。
「ねえ、教えて!!ここはどこ!?アニノートまではどれくらいかかるの!?」
その問いにより、シャルルは確信する。ダムザがガザドランに指示し、友好国であるアニノートに攻め入ったということを。
「さっきも言ったけど、ここはアルムス帝国中部の草原。正確には分からないけど、アニノートまでは、おそらく1ヶ月くらいはかかると思うよ」
「1ヶ月・・・・・」
その答えに愕然とする少女。全身を小刻みに震わせながら、その場で立ち尽くす。
そんな少女に対し、シャルルは淡々とした口調で告げた。
「急いで戻ったとしても、君ではガザドランには勝てないよ」
その瞬間、弾けるように少女の顔が跳ね上がる。
「お前も、ヤツラの仲間かああああああ!!」
瞬時に距離を詰め、瞬速の一撃を放つ少女。その拳を避けもせず、シャルルは軽々と右手受け止めた。
「そうだとしたら、君はもう死んでいる」




