溶けない意思④
「意志・・・」
シャルルが、ヘルハウンドの群れと戦うドドラの背中を見詰めながら呟いた。
勇者として生まれ、勇者として育ち、勇者として魔王討伐のパーティに加えられた。ユーグロード王国最強パーティの一員としてダンジョンに潜り、魔物を討伐し、そして世界を救う。それが、当前の責務なのだと、ずっと思っていた。それが、自分のあるべき姿だと信じていた。
しかし、現実はどうだっただろうか?
最強パーティでは役に立たず、最後尾で荷物を持って隠れていることしかできなかった。1人だけ場違いなほどレベルが低く、しかもスキルも無い。ひたすら、お荷物でしかなかった。最終的に、生贄としてダンジョンに置き去りにされた。今でも置き去りにされたことを、到底許す気にはなれない。
しかし、今となっては、置き去りにした気持ちも分かる。
ドドラがヘルハウンドの火炎放射を避けながら、その頭部に鎚矛をメリ込ませる。体液を噴き上げながら倒れ伏した。その背後で隙を窺っていた1匹が、矢のような勢いで飛び込んで来る。ドドラは左手を突き出して犠牲にし、そのヘルハウンドを組伏せた上で、喉元に鎚矛の石突を刺し込んだ。一拍遅れて、足を痙攣させ動きを止める。
しかし、残った2頭が同時に口から火炎を吐き出した。深紅に染まる視界。それでもドドラは、揺るぎない目で真っ直ぐに前を見据える。
勇者として生まれ、努力をしただろうか?
強くなろうと、必死に鍛錬しただろうか?
―――いや、目を盗んでは遊び、剣の素振りは数を誤魔化し、魔法の詠唱は手を抜いた。
それでも、勇者は勇者だった。何も持っていないのに、何も成し遂げていないのに勇者だった。
職業欄に勇者の称号を持つ者は、その時代に1人しか生まれない。ドドラの言う、特殊な技能を持った存在だ。祖父が我が家は勇者の家系だと、自慢していた記憶がある。もしかすると、本当に勇者の血が流れているのかも知れない。
だけど、圧倒的に不足しているものがある。
勇者という名称に、満足していたのかも知れない。
最強パーティのメンバーであることに、慢心していたのかも知れない。
何のために戦い、どこを目指していたのか。
何のために剣を握り、何を護ろうとしていたのか。
何も無かった。
何も考えていなかった。
世界を救う?
考えたことさえなかった。
ただ、そこにいた。
誰も救うことなんかできなかった。
だけど、それが悔しいとは一度も思わなかった。
ドドラが最後の1匹を打ち倒し、真っ赤な鎚矛を頭上に掲げる。
その後ろ姿が眩しくて、シャルルの目から涙が溢れた。
鎚矛を手にしたドドラの膝が折れ、その場に崩れ落ちる。いくら気持が切れなくても、身体は限界を迎えていたのだろう。
ちょうど夕陽が沈み、周囲が暗くなり始めている。ドドラの状態を考えれば、今日はこの辺りで野営するしかない。シャルルはドドラを担ぎ、近くにある岩陰に移動した。
ドドラを岩陰に寝かせると、シャルルは周囲の警戒を始める。火傷や裂傷などは簡単に癒すことができるが、決して手を出さない。それをドドラ本人が望んでいないからだ。もし黙って治療してしまったとしたら、目が覚めた瞬間に山を下りてしまうだろう。それほどまでにドドラの意志は強く、この試練に真摯に立ち向かっているのだ。
全てが暗闇に覆われると、周囲から魔物の反応が消える。この付近には夜行性の魔物はいないのかも知れない。その代わりに、ポンペイ火山の気配が一層強く感じられるようになった。
マグマに照らされる噴煙はほぼ真上に上がり、空気には硫黄の臭いが充満している。何より火口から発散される熱が、既にここまで届いている。早朝から出発すれば、明日の午後には火口に到着できるだろう。問題は、「溶岩の濁流」である。
翌朝、夜通し周囲の警戒をしていたシャルルが、ドドラの動く気配を捉えた。ドドラは苦悶の表情を見せながらも、上体を起こして周囲を見渡す。
「そうか・・・ポンペイ火山に来ていたんだったな」
そう呟くと、鞄から回復薬を取り出して口に含んだ。既に薬で回復できる限界を超えているが、気休め程度にはなるだろう。
鎚矛を杖代わりにして歩き始めたドドラの後を、シャルルは黙って付いて行く。
溶岩の隙間を、ドドラは迷うことなく頂上に向かって突き進む。道らしい場所を歩いていないにも関わらず、全く迷う素振りも見せない。後ろからその様子を見ていたシャルルが、あることに気付いた。
「ドドラさん・・・もしかして、マッピングのスキルを持ってますか?」
「ああ、頭の中に地図が映像として浮かぶかどうかってことだな?
持ってるぞ。職人ばかりのドワーフの中では、かなり珍しいスキルだと言われたことがある。恐らく、代々探索を続けてきたからだろうな」
それを耳にしたシャルルの目がキラキラと輝いたことなど、ドドラには分かるはずもない。
ヘルハウンドや火トカゲをどうにか撃破しつつ先へ先へと突き進む。昨日以上に満身創痍になりながらも、ドドラの足は止まらない。




