サリウの動乱⑧
突然、静寂が訪れた。
剣戟も悲鳴も、息を飲む音さえも途絶えた。
光輝くシールドが、一瞬にして全ての人々を包み込んだ。あらゆる悪意からその身を守り、決して破壊されることがない絶対防御。比喩ではなく、砦にいた数百人全ての人に。そして・・・
「―――――ギガヒール」
木漏れ日にも似た優しい空気で、その内部が満たされる。
音も無く、マリアを掴む太い手が地面に落ち、温かい腕に抱き締められた。
「僕は、仲間に裏切られ、ダンジョンの奥深くに置き去りにされました。
あの日から、どうしても、心から人を信じることができません。もし、また裏切られたら・・・そう思うと、どうしても、他人に深入りすることができません。でも、もう一度だけ、信じてみようと、信じたいと思いました」
シャルルは、マリアを背後に護るように下ろす。
「これが終わったら、ステータスボード登録の保証人になってくれませんか?」
オーガの叫び声と共に、再び怒号が響き渡る。しかし、どれだけ攻撃しても、体当たりしても、シールドが破損する気配はない。怒り狂う魔物の群れに向け、シャルルが呪文を唱え始める。
「ラーライララーライラ シー スクジラン 天の精霊 地の精霊 古の契約により 我ここに命ず 天の盟約 地の制約 ここにその義務を果たし 我に千の降り注ぐ罰を行使させよ―――――」
シャルルを中心に風が吹き、全てを巻き上げるように竜巻が天に昇る。大気が轟き、黒雲が空を覆い尽くす。
「千雷の豪雨!!」
稲妻が天を駆け抜け、雷鳴が轟くと同時に、大地に千を超える雷が落ちる。大地が明滅し、あらゆる生物が瞬時に灰と化した。その名残の紫電が地面を這うようにして流れていく。
雷系最上級魔法。その魔力消費量から現在使える者は無く、幻とされる超高等呪文である。
「すごい・・・」
それを見届けたマリアが、感嘆の声を漏らす。砦と民、兵士達を襲っていた全ての魔物が、一撃の魔法で灰になっていた。駆け寄ろうとするマリアを、シャルルが止める。
シャルルの視線の先、50メートルほど離れた場所に、緑色の巨人が立っていた。再生する巨人、Cランクの魔物であるトロール。切ろうと、潰そうと、僅かな肉片からでも瞬く間に再生するという、討伐が困難な魔物である。
シャルルはトロールの元へと駆け出し、擦れ違い様に銅の剣を一閃する。胴が真っ二つになるが、その瞬間から、トロールは再生を始めた。
再生したトロールの剛腕がシャルルに襲い掛かる。その破壊力は凄まじく、樹齢百年を超える巨木を一撃で粉砕する。次の瞬間、人間1人分ほどもある拳が、轟音とともに大地にクレーターを作った。しかし、既にシャルルの姿はそこにはない。
シャルルを見失ったトロールがキョロキョロと周囲を見回し、10メートル余り離れた場所にその姿を見付ける。ニタリと歪な笑みを浮かべると、巨大な口から涎が糸を引いて垂れた。
「再生能力といっても、それを超える攻撃には耐えられないよね」
オーガの金棒を振り翳し、唾を撒き散らしながらトロールが突っ込んでくる。巨大な足が地面を踏む度に地響きが起きる。
「召喚・・・・・」
そう呟いた瞬間、シャルルの足下に深紅の魔法陣が浮かび上がる。魔法陣に浮かぶ文字を、マリアでさえ一文字も読めなかった。
「炎の魔人―――――イフリータ!!」
迫り来るトロール。その目の前に、深紅の炎が顕現し、天まで炎の柱を突き上げた。内部は高温を表す白色、周囲は深紅に染まった熱の塊。その直下では、その熱によって石が真っ赤に焼け、その形を崩している。吹き上げる熱風が一瞬にして天に駆け昇ると、その場に炎を纏った女性が姿を現した。
炎の魔人イフリート。通常、猛り狂う男性の姿をしている。しかし、ごく稀に燃え上がる髪を持つ女性の姿で存在するものがいる。その名を、イフリータ。その凄まじいポテンシャルは並みの冒険者では相手にすらならず、Sランク指定の魔物である。
「主、お呼びでしょうか?」
恭しく頭を垂れるイフリータに向かい、シャルルは右手を突き出した。それを目にすると一礼した後、再び深紅の業火に姿を変える。その炎はシャルルの手に収束していき、一本の剣に変化した。
「フレイムソード・・・炎の剣。あの魔神、スルトが持つと言われる伝説の剣。この世を燃やし尽くす、炎を操りし魔剣」
一部始終を目にしたマリアが呟く。
トロールの持つ金棒が唸りを上げ、炎の剣と激突―――すらしなかった。金棒は音も無く二つに切れ、そのまま、炎の剣身がトロールを切り裂いた。
再び胴で真っ二つになるトロール。自身の再生能力を信じ、シャルルを見下ろして笑う。しかし、今度は先程とは違い、その切り口がら燃え上がった。トロールの笑みが消える。再生が追い付かない損傷に、次第にもがき苦しむ。
そして、地面を転げ回った後で消滅した。
静寂が辺りを包み、一拍置いて歓声が湧き上がる。
イフリータはいつの間にか姿を消し、人々を守っていたシールドも解けている。あの彼方まで続く魔物の群れ、先が見えない絶望の中からの生還。しかも、3000体を超える魔物を一匹残さず討伐。ゴブリンに組み伏せられ、複数のコボルトに殴られ、オークに殴り飛ばされた人達は、腕を突き上げ、武器を振り上げ、お互いに抱き合い、笑って、泣いて、歓声を上げる。
そんな人々を見詰めるシャルルの背中に、マリアがそっと手を添えた。
「僕が・・・もっと早く決断していれば、もっと被害が少なくて済んだのに・・・」
シャルルは参戦することを少し躊躇った。もう、勇者ではない。世界の平和を護るつもりもないし、誰かのために戦う理由も見付けられずにいた。そんなシャルルの目に写ったのは、マリアの献身だった。
その時、生まれて初めて誰かを護りたい、誰かのために戦いたい。そう思った。しかし、決意するまでの時間に、大勢の人が亡くなった。それは―――
「・・・僕のせいだ」
「違いますよ」
その思いを見透かした様に、マリアが口を開く。
「私達は、自分達の意志で、自分達の大切なものを護るために戦いに挑みました。そして、斬り付け、殴られ、乱戦の中で力尽きる人もいました。でも、こうして、みんなの大切なものは無事です」
マリアの言葉に、シャルルが目を見開く。それを目にして、マリアが薄く笑みを浮かべた。
「では、報告に、サリウに戻りましょう」
マリアはすぐに、暴走したダンジョンの確認と確保を指示。そして、周囲に散乱している魔石を集める指揮を執る。暴走したダンジョンは未確認のものであり、調査が必要だ。それに、3000体分の魔石ともなれば、ダンジョン砦の修復と強化も可能であろう。
テキパキとした仕事ぶりに、思わずシャルルは見入ってしまう。全体のバランスを調整し、的確に指示するなどシャルルには到底不可能だ。
不意にマリアが振り返り、シャルルの手を掴んだ。
「さあ、報告に戻りましょう。お父様も、お喜びになられますわ」
「は、はい」
兵士達はダンジョンの捜索と魔石の回収作業に置いてきたため、護衛はシャルルただ1人。それでも兵士達からの不満が出ることはなく、逆に安堵された。
決死の覚悟で疾駆した道を、今度は急がず、ゆっくりと進む。そして、ダンジョン砦を発って約20分後、サリウの城壁が見え始めた。




