サリウの動乱⑦
激闘が開始されて1時間が過ぎようとしていた。
塀を挟んだ魔物との攻防が続く。塀の内側には負傷者が蹲り、僧侶が治癒の魔法を唱え続けている。しかし、枯渇しない魔力はなく、力尽きた僧侶達が至る所で仰向けに倒れていた。遠距離から放たれるゴブリンアーチャーの矢は途切れることなく降り注ぎ、もはや防御魔法が張れる魔法士はいない。一般人に届く矢は増え、後方から呻き声が聞こえている。
「残りの僧侶の皆さんは、全員後方に引いて一般の人達を優先して下さい。前衛は回復薬の使用を!!」
一段高い位置から全体を俯瞰するマリアの目には、傷付きながらも足掻く兵士達と、屍を足場にして塀を乗り越えようとする魔物達の攻防が写っている。戦える兵士達の数は当初の半分に過ぎず、回復の方法も限られる状況では、もはや戦線が崩壊するのは時間の問題に思えた。
その時、ついに塀の内側で悲鳴が上がる。
マリアがそちらに視線を移すと、1匹のゴブリンが血に濡れたこん棒を振り下ろしたところだった。無防備な子供が、そのこん棒によって叩き伏せられる。ゴブリンは瞬く間に制圧されたが、初めて内部への侵入を許してしまったことにより、砦内は恐慌状態に陥った。
「みなさん、落ち着いて下さい!!大丈夫です、もう少し、もう少しだけ頑張って下さい!!」
必死に叫ぶマリアの声に、徐々に落ち着きを取り戻して行く民衆。この状況下においても、マリアは笑ってみせた。マリアは、清廉で神々しいまでの笑顔を人々に向けていた。それは、決意の表明だったのかも知れない。
しかし、それでも現実は刻一刻と憂うべき状態に陥っていく。
数は確実に減ってはきているものの、未だ塀の外は屍以上の魔物で埋まっていた。しかも、打ち倒された魔物が足場となり、高低の優位は失われている。ほんの一部にでも綻びが出れば、一瞬にして崩壊する危険性を常に孕んでいた。
この圧倒的な数的な劣勢をどうにか持ち堪えているのは、マリアの手腕以外の何ものでもない。的確な指示と配置なくして、攻防の拮抗は有り得なかった。
戦線を見渡し、前面が戦場になっていることを確認したマリアは、ついに決断する。
魔物の目は十分ここに引き付けた。不足している馬車は、荷台を代わりに利用すれば良い。サリウまでの距離であれば、耐えられるはずだ。
「一般の人達は馬車と荷台に乗り込み、後方よりサリウへ!!」
しかし、その僅かな光さえも圧倒的な闇に飲み込まれていく。
数十匹のゴブリンが、塀を回り込んで背後から攻めかかってきたのだ。
わざと目立つように攻撃し、そして派手に迎撃し、戦線をダンジョン側に展開した。それは全て、一般人をサリウに逃がす作戦であった。魔物の数も当初よりは減らせた。前面にヘイトを集めたころにより、全ての魔物が正面に集まるはずだった。
それなのに・・・この時になって、背後から攻撃を受けるなど最悪のタイミングだった。
背後を守備する兵士の数は、襲い掛かかる魔物達に比べ余りにも少ない。しかし、補充はできない。動ける者は、もうここにはいないのだ。ゴブリンとコボルトは、前列を見習い次々と背後に回り込む。次々と兵士が倒され、地面が真っ赤に染まっていく。
そして―――ついに、塀の一角が破られた。
なだれ込む魔物の群れ。もはや成す術がない。それと同時に、激戦区である前方にも異変が起きる。
「オークだ!!オーガもいるぞ!!」
後方から戦況を眺めていたのか、ゴブリンやコボルト達F、Eランクの魔物とは違うDランク指定の魔物達。普通の兵士では5人対1体でようやく足止めができるレベル。その魔物が数百体。地響きを起こし、ゴブリンやコボルトを圧し潰しながら突き進んで来る。その更に後方に、青い巨体を揺るがすトロール。Cランク指定である、再生する巨人が姿を現した。
ついに、マリアの動きが止まった。
もう、どうすることもできない。
後方から雲霞のごとく突入してくる魔物。前方から押し寄せるオーク達は次々と塀を薙ぎ倒す。阿鼻叫喚。舞い散る血飛沫が、マリアのところまで届く。マリアの立つ櫓にも、オークが突貫し、足下の木材が崩れていく。
マリアの目から大粒の涙が溢れる。
しかし、これは自分の身に起きるであろう悲劇を悲しんだものではない。逃げ惑う民衆を、戦って打ち倒される兵士達を、誰も救えなかったことが悔しかった。申し訳なくて―――
「ああ、神様・・・・・もし、今までの祈りが届いているのならば、どうか、お救い下さい。私がこの身を捧げることで叶うなら、この命を捧げますから」
オークの薄汚れた手が、マリアの足を掴む。護衛の兵士が反撃しようとするが、オーガの金棒によって弾き飛ばされる。逆さまに持ち上げられたマリアの鼻先に、オークの生臭い息が吹き付けられた。
静かに目を閉じるマリア。
既に、砦は崩壊した。何の希望も、何の光も届かない。
もし救える者がいるとすれば、それは勇者ただ1人―――――




