神都リーベと神竜①
オヅノが姿を消した空間を、呆然と見詰めるシャルル。
取り逃がしただけでなく、今回も水竜の逆鱗を奪われてしまった。一体何をしようとしているのか分からないが、着々と何かが進行している事だけは間違いない。
そんなシャルルの目の前で、水辺に横たわっていた水竜が動いた。それによって、シャルルの思考が現実に引き戻された。
『ム・・・人間・・・オマエ達ガ私ヲ救ッテクレタノカ?』
シャルルの脳内に、直接水竜の思念が流れ込んでくる。恐らく念話の一種だろう。
一瞬驚いたたものの、直ぐにシャルルは納得する。数千年も生きてきた竜種なのだ。人語を理解しても、何も不思議な事ではない。本来、長命の成竜は理知的であり、その知性も教養も高いものなのだ。
「竜士族から依頼を受けて、申し訳ないんですけど倒させてもらいました」
シャルルがそう答えると、爬虫類系の顔で表情の変化は殆ど分からないが、苦笑いしたように感じた。
『マ、マア・・・私ガ完全デアレバ、遅レナド取ル事モナイアガナ・・・』
「それで、大変申し上げ難いんですけど、その、逆鱗を奪われました」
申し訳なさそうに告げると、水竜は反対側の首で自分の首元を確認する。そこだけ鱗が剥がれ、真っ赤に染まっていた。
『ウム・・・逆鱗ト言エドモ所詮ハ鱗。ソノウチ生エテクルダロウ。ソレハ良イノダガ―――』
シャルルは内心「良いのかよ!!」と突っ込みを入れて、その先を待つ。
『私ノ事ナド後デ良イ。不可抗力トハ言エ、周囲ノ者達ニ迷惑ヲ掛ケタテシマッタ。謝罪セネバナルマイ』
そう言って、水竜はアラナイの方向に視線を送る。そこには、崩壊した防柵と倒壊した街並が見えた。
「やはり、逆鱗に貼られた呪符が原因ですか?」
『ウム、私トシタ事ガ、不意ヲ突カレテシマッタ。アノ小サナ呪符にヨッテ、私ハ、自分ガ何者ナノカ分カラナクナッテシマッタノダ・・・』
ヤクモの国とオヅノ・サコン。ヤツラが求めていた物は、水竜の逆鱗なのか、成竜の呪われた鱗なのか。いくら思案すれども、シャルルに正解は分からない。
再び思案するシャルルに、水竜が話し掛けてくる。
『スマナイガ、一緒ニ来テ、仲立チヲシテモラエナイダロウカ?』
「え?」
水竜の姿を見たシャルルの時間が一瞬止まる。全長が30メートル以上ある双頭の成竜である。まさか、謝罪に付添が必要だとは思わなかった。
水竜に頼まれては首を縦に振る以外になく、シャルルはアナライの街まで付いて行くことにした。そもそも、シャルル達が一緒に行かなければ、水竜が襲撃して来たと勘違いされる可能性もある。
『乗レ』
水竜にそう告げられ、シャルル達3人は、その背中に飛び乗った。とはいえ、翼竜のように乗り心地が良いものではなく、ウネウネとした巨大な蛇に乗っている感じだった。
小島からアナライまでは、ほんの数分の距離である。すぐに、街並が見え始めた。案の定、防柵に住民が集まってきた。シャルルは水竜の上を走り、頭の上に乗って大きく手を振る。
「大丈夫!!もう、大丈夫だから、ランティアさんを呼んできて下さい!!」
シャルルが叫ぶと状況を把握したのか、全員構えていた武器を下ろした。
防柵の外側に停止し、水竜の上からシャルルが飛び降りる。そして、目の前に設置されている防柵を剣で切り裂き、そこから街の中に入る。そこに、ちょうど住民に呼び出されえたランティアが現われた。
シャルルと、その背後に佇む巨大な水色の竜を目にし、ランティアは一瞬たじろぐが、その穏やかな雰囲気に水竜の目を見た。
「デスマという組織によって、逆鱗に呪符を貼られてしまっていたんです。その呪いのせいで、理性を失っていたんですよ。ですが、その呪符は逆鱗ごと剥がされたので、もう呪いは解けました」
ランティアの視線が、水竜の喉元に移る。そこにあったはずの鱗が剥がれて真っ赤に染まっていた。
「では、本当に、もう大丈夫ということなんですね?」
シャルルが頷くと、よやくランティアは安堵の笑みを浮かべた。
「それで、水竜がアナライの人達に謝罪をしたい、と」
シャルルが振り返ると、水竜がその双頭を地面スレスレに下げた。
『謝ッテ済ムモノデハナイガ、スマナカッタ』
水竜の声が、全てのアナライに住む人達に流れ込む。水竜の声を聞くなど、この地に住む者達でも初めてのことだった。
街並は破壊され、多くの住民が傷付き、街を離れた者も大勢いる。生活の再建にはかなりの時間が必要であるし、亡くなった人もいない訳ではない。それでも、この地で水竜とともに生きてきた人達の答えは1つだった。
「何をおっしゃいますか。この地に住む者は皆、水竜様の恩恵を受けてきました。澄んだ水、良好な環境、魔物もここには近付きません。我々は、遥か昔から水竜様に護られ、共にあったのです。怨むことなどありません。それに、そもそも、この件については暗躍する組織の仕業とのこと。水竜様も被害者でしょう。竜にとって逆鱗を失うということは、生命の危機に直結するもの。どうか、ご静養ください」
ランティアが頭を下げると同時に、その場に集まっていた住民も皆頭を下げた。それを目にした水竜は暫く沈黙したのち、再び自らの声を皆の脳内に直接流し込んだ。
『コレヨリ、幾千年、幾万年、未来永劫、コノ私ノ生命ガ尽キルマデ、コノ地ニ住ム全テの者達ノ安寧ト幸福ヲ約束シヨウ。ココハ、私ガ護ル地デアル。何者ニモ、決シテ犯サセヌ。コレハ、盟約デアル」
「おお・・・」
ランティアがその場に蹲り、両手を合わせる。それに倣い、全ての住民も両手を合わせて水竜を見詰める。
そんな中、水竜は一度シャルルの方を向くと、静かに水中に沈み込んでいった。シャルルは知らなかったが、逆鱗を失うということは、大半の竜力を失うということである。水竜が膨大な生命力と竜力を所有していたから死ぬことはなかったが、もっと小さい竜であれば、生命を落としていたかも知れない。
湖底に沈んでいく水竜を見送っているシャルルに、ランティアが声を掛けてきた。
「ありがとう。本当に、何と感謝すれば良いのか分かりません。正直なところ、ただの人間に水竜様をどうにかできるなど、思ってもいませんでした」
正直な告白に、シャルルは苦笑いする。
「どうにかなって良かったです。これで、最終試験も乗り越えましたし」
それを聞いたランティアは、シャルルに訊ねる。
「それで、これからどうするのですか?」
「ああ、この国の都であるリーベに向かう予定です。そこに来るように言われたので」
ランティアは頷くと、謝礼代わりにと申し出てくれた。
「見たところ、貴方達には竜士族の仲間がいません。恐らく、リーベの入口で止められ、中に入れてはもらえないでしょう。竜士族が共にいる、という条件は国法によって定められているので、いかなる特例も認められません。ですから、この街の住民を、貴方達の付き添いとして同行させましょう」
シャルルにとっては、それは願ってもないことだった。
竜士族は他種族に決して心を開かない。どんな理由がそこにあるのかは分からないが、誰もが頑なまでに他種族と接触しない。竜士族の都がどんな所なのかは分からないが、ただの人間がどうこうできる防衛がなされているとは思えない。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
ランティアの申し出を、シャルルは快く受け入れた。




