それぞれの道⑥
パテトは湖を前にして座り、目を閉じる。
自らの体内を駆け巡っている魔力に関しては、幼い頃からそこにあることを感じていた。しかし、それをコントロールしようとしたことは一度もなかった。魔法は使えないし、獣化に必要な魔力であれば適当に練るだけで十分に足りていたからだ。しかし、神獣化となればそうはいかなかった。
パテトは丹田に意識を集中し、魔力とは別の動きをする気を感じ取る。
武闘家や剣士でない限り、気の存在を知る者は少ない。しかし、獣人であるパテトは直接戦闘に特化しているため、幼い頃から自然と感じ取ることができた。
気とは、即ち生命力である。己の中にある生命力を意識的に高める、或いは、抑制することを気のコントロールと呼ぶ。それを自在に実行できるようになれば、一時的な身体能力の向上や、逆に隠密での行動が可能となるのだ。
パテトは心を落ち着かせる。
呼吸を整え、鏡面のような湖面を意識し、己の内面を平坦にする。
身体の内側に流れる魔力を、暴れる気を抑え込み、緩やかに体内を循環させる。
獣化―――やはり、魔力が霧散する。気が無駄に放出され、同時に消え去った。
獣化は、魔力と気を合成することにより行う獣人固有のスキルだ。
全ての獣人ができる訳ではない。しかし、武術指導された獣人は、余程のことがない限り獣化できると考えて良い。それほどまでに、獣人にとって獣化は極一般的なスキルなのだ。
獣人は、元々魔力量で他種族に劣る。しかし、獣化に必要な魔力に限定すれば、不足している訳ではない。ただ、神獣化となれば話は別である。
神獣化するには、獣化で使用する10倍を超える魔力が必要となる。更に、神獣化した後に消費する気の量が格段に増加するのだ。獣化して戦闘可能な時間が1時間である者ならば、神獣化後の活動可能な時間は5分だ。
「お腹空いたなあ・・・」
時々聞こえていたパテトの声が、徐々に聞こえなくなる。
騒がしかった空間が、シンシンと鳴り響き静寂を取り戻していく。
パテトが、背後の空間に溶け込んでいく。
無駄な魔力の消費が無くなり、気が体内で膨張していくにも関わらず外に漏れ出さなくなった。
「おいおい、たった1日程度で、この領域に達してしまうのか?やってられないな」
「同意です」
エリウとイアが思わず溜め息を吐く。
座り込んで1日。パテトが自ら湖に飛び込んだ。
今日の水温は、限りなく氷点下に近い零度。湖面は、いつ凍り始めても不思議ではない水温だ。その中を、意識を集中させたパテトがゆっくりと沈んでいく。前回と違うのは、パテトの心が平静を保っていることだ。
冷静に自分の内面と対話し、魔力と気をコントロールする。効率的な運用で、効果的に魔力を高める。そして更に、気を全身に巡らせて魔力と融合させる。ついに、最適化された魔力と気は、パテトの中で高純度の獣気となって昇華された。
―――獣化!!
体内を凄まじい闘気が駆け巡り、無意識下で凍えてた手足の震えが止まった。パテトは、首輪を装着したままで、獣化に成功したのだ。爆発的に上昇する身体能力は潜水時間を延ばし、水中での行動力も飛躍的に改善された。そもそも、元来パテトは、水が苦手ではない。
パテトは獣化に成功したことに歓喜し、同時に空腹であったことを思い出した。
ヤバイ、お腹ペコリンでバタンキュウー待ったなし―――そう内心で呟き、目の前を優雅に泳ぐ魚を見詰める。その内の1匹に狙いを定め、足をバタバタと動かして接近を試みた。
あと少し。
グウキュルルルルルとお腹が鳴る。
最低3匹は捕まえたい。贅沢言うなら、5メートルくらいの魚を捕まえて、頭から丸齧りしたい。
その願いが叶ったのか、単に不幸体質なのかは分からない。パテトの手が魚の尻尾に届きそうになった瞬間、湖底方向から強大な影が迫って来た。その気配に気付いたパテトが、咄嗟に半身になってその影を躱した。
戦闘態勢を整えたパテトが、通り過ぎたソレを視認する。なんとソレは、5メートルはあろうかという巨大魚であった。パテトをひと飲みにできそうな口を広げ、臨戦態勢でパテトを睨み付けている。その歯の構造からも、間違いなく肉食魚である。
前回のパテトであれば、飲み込まれたかも知れない。しかし、今のパテトは獣化を果たし、しかも猛烈に空腹なのだ。食料として判断されれば、即食である。
瞳に異常な光を灯すパテト。巨大魚は、その脅威に気付くのが遅過ぎた。
水中であるにも関わらず魚以上の俊敏さで接近し、水圧をものともしない蹴りが、下方から巨大魚の腹部に突き刺さった。口から胃袋を半分吐き出し、巨大魚が噴火に巻き込まれた石のように上昇していく。そして、湖面をも突き破り空中に舞い上がった。
エリウとイアは、その巻き添いでずぶ濡れになった。




