完全なる竜⑦
「それでは、早速始めるぞ。ここに並べた本に、竜語魔法に関する全てが書かれている。これは比喩ではなく、真実だ。まあ、国宝クラスの本だな。とりあえず、この竜語基礎で言葉を学び、竜語魔法の真髄を探ることになる」
シャルルはオーズの言葉を聞き、何度も頷く。このオーズという人物が何者かは分からないが、イルミンの知人であるならば信じて良いだろう。
自分の話に対し素直に耳を傾けているシャルルを見ると、オーズは笑みを浮かべる。
「よし。ワシは意外と多忙なのでな、これで一度この場を離れる。今から4日目の朝には、必ず戻ってくる。それまでに、その本の中身、理論は頭に叩き込んでおけよ。それができていなかったら、本当に死ぬぞ」
そう一方的に告げると、オーズはその廃墟を出て行った。
机の上に並べられた分厚い本を眺めて、シャルルが呟く。
「自習じゃん・・・」
椅子に腰を下ろし、並べられた本に手を伸ばす。本は普通の紙ではなく、羊皮紙でできていた。しかも、表紙に複雑な封印の魔法が組み込まれていて、所有者の許可なく開けることができなくなっている。もし、強引に開けば、生命が危険に晒されることは間違いない。この仕様からすると、国宝という話も冗談ではないのかも知れない。
シャルルはオーズが一番最初に置いた本を手に取った。
「竜語基礎・・・勉強とか、本格的に苦手なんだけどな」
そう呟きながら、シャルルは本を捲っていく―――
一方、パテトは巨大な湖を眺めながら佇んでいた。イルミンの転移魔法により、この場所に連れて来られたのだ。ここが一体どこなのか、パテトには全く分らない。
「直ぐに指導者が来るから」そう言ってイルミンは再び転移したが、一向に誰も姿を現さない。誰も来なくても、ここがどこか分からなくても、それは構わない。そのうち、シャルルが見つけ出してくれるだろう。ただ、ひたすらに・・・
「お腹空いたなあ」
そう呟いた直後、パテトは前方に跳んで宙返りし、態勢を低くして拳を握り締めた。得体の知れない何かが、突然、背後に現れたのだ。尋常ではない気配。そして、それを抑えて接近してきた技術。どれを取っても、今のパテトでは相手にならないことが窺えた。
いつでも反撃できる状態を目にしたソレは、パチパチと拍手をした。
「まあまあ、かな。一応、反応していたし、合格ということにしようかなあ」
「だ、誰?」
「はあ?」
そう言って腰に手をやりパテトを睨み付けるのは、真っ赤な服に身を包んだ背の低い女性であった。長い髪をサイドで纏めた女性の鋭い目は、パテトを威圧するように睨み付けている。その真っ赤な着衣は、色こそ違えど白竜が着用していた衣服と同種の物に見える。
「ワタシは、呼ばれたから来たんだけど?別に、自分から進んで来た訳じゃないし。用事が無いなら帰るけど?」
「それは無理。上司の命令は絶対だから。命令違反は死刑」
悪態をつく赤い服の女性。その背後から、今度は青い服を着た長身の女性が姿を見せた。
「分かってるわよ。言ってみただけじゃない!!」
青い服の女性は、肩で揃えた髪を揺らしながらパテトに向き直る。
「私がイア。彼女がエリウ。短い間ですが、よろしくお願い致します」
そして、直角に腰を折り、パテトに頭を下げた。
この時になって、ようやくパテトは、この2人が自分の師匠になる人物だということに気付いた。
「よ、よろしくお願いします」
慌てて頭を下げるパテト。しかし、パテトは猛獣である。相手の実力も知らず、風下に立つことはできない。頭を下げながら重心を落とし、強靭な脚力を活かして一気にエリウとの距離を詰めた。
「よしっ」
正に、神速の一撃だった。しかも不意打ち。絶対に避けられるはずがない。
しかし、次の瞬間、地面に転がっていたのはパテトの方だった。
「狙いは良かったけどさ、相手が悪かったよね。でもまあ、その心意気は良かったよ。ちょっと、本気で面倒見ようかなって、思っちゃったかなあ」
パテトを見下ろして、エリウが嗤う。
「20点・・・というところでしょうか。折角の不意打ちでしたが、スピードが足りません。それに、あれほどの殺気を放っては、攻撃することがバレバレです。気のコントロールをマスターしなくては、全く話になりません」
その隣で、イアが涼しい顔で分析をした。
「そっか・・・」
立ち上がったパテトが服についた砂を叩き落し、そして、再び2人に頭を下げた。
「どうか、アタシを強くして下さい。お願いします」
パテトは無思慮ではあるが、無能でも無知でも、まして無礼でもない。自分と相手の立ち位置を理解し、自分の進むべき道を確認すれば頭を下げる。力ある者に師事し、己を磨くことができる。
「よし、まずはワタシからだな」
こうして、パテトの厳しい修行が始まった。
イリアはイルミンに手首を掴まれたまま、転移によってここに連れて来られた。ココとは、一体どこなのか?―――ここは、世界樹の先端である。
イリアは世界樹の天辺にあるイルミンの庵で、微動だにせず直立している。建物の中心に立ち、バランスを取っているのだ。
庵は魔法盾によって覆われ、その副次効果として世界樹に繋ぎ止められている。しかし、それ故に不安定で、頻繁にユラユラと揺れる。世界樹の高さは約3千メートル。遮蔽物は無く、強風が絶えず庵の壁に吹き付ける。しかも、イルミンは気にすることもなく室内を歩き回るのだ。
「あのう、ここで私は何を・・・」
恐る恐る口を開いたイリアに、世界樹の様子を確認したイルミンが向き直った。
「うむ。イリアよ・・・いや世界に唯1人の聖女よ」
「1人、ですか?」
「もう1人の聖女は、ユーグロード王国によって処刑された。現在、この世界において、聖女と呼ばれる存在はそなただけじゃ」
イリアは愕然として、イルミンの顔を見詰め返した。
聖女ジャンヌ・サマーナは、歴代の聖女の中でも魔法の能力は突出しており、穢れなき人格も含めて、真に尊敬すべき人物であった。直接には関係のないムーランド大陸に向かったのも、「少しでも人々を救いたい」という、祈りにも似た願いのためである。
「4体の魔王が復活し、この世は再び混乱に陥っておる。その混乱を鎮め、人々を安寧に導くのは勇者の運命じゃ。それを助け、正しき道を示すことが聖女の使命じゃ。確かに、先の聖女は優れた人物であった。しかし、そなたには、それよりも強い力が眠っておる。今ここでその力を目覚めさせねば、間に合わぬのじゃ。悲哀も悔恨も、今は飲み込め」
「はい」
イリアはイルミンの言葉に力強く頷いた。それを目にしたイルミンは、満面の笑みを浮かべて右手を上げる。
「では、開始じゃな。イリアよ、ここから自力で、この世界樹を下りるのじゃ」
イルミンがパチンと指を鳴らすと、庵を覆っていたシールドが掻き消える。すると、同時に氷点下の突風がイリアを襲い始めた。
「世界樹には魔物が棲んでおる。しかも、向こうの世界から来た尖兵がの。虫程度であるが、通常の魔法は効かぬ。故に、神代の魔法を使うのじゃ」
「は?え・・・と、知りませんけど」
「今、必要な魔法を、直接そなたの脳内に送った。それを理解し、使いこなすのじゃ。できなければ、死ぬぞ」




