海の王者と消えた大陸④
残り少なくなった腕で体勢を整えながら、クラーケンは触腕を力任せに振り回す。
本来ならば、これで全てが片付くはずだった。
船に絡み付き、海中に沈めれば終わるはずだった。
一体何なのだ?
片方の触腕は既に斬り飛ばされ、その他の腕さえも半数以上を失った。
頭部のヒレを斬られ、泳ぐことさえも困難に陥った。
全てを吐き出した胃袋は空になり、力も入らない。
これは夢か?
悪夢なのか?
記憶にあるのは2000年前からだ。いつから自分がこの海に君臨し、どれだけの年月を生きてきたのかも分からない。ただ、この海の王者は自分であり、誰にも負けたことも、いや、苦戦したことさえなかった。それが、どうだ。小さき者に手も足も出ず、抵抗らしきことさえもできず切り刻まれていく。残った触腕が宙を舞い、全ての足を失った。もはや、攻撃することも、逃げることもできない。
逃げる?
そんな選択肢は無い。
最後まで、王者として―――
クラーケンが最後の力を振り絞り、片方のヒレで猛烈な速度で泳ぎ、大ジャンプを見せる。既に腕を失ったクラーケンには、その巨体を活かした体当たりしか攻撃手段がなかった。しかし、起死回生を狙った攻撃さえも、シャルルにとっては絶好のチャンスでしかない。
「―――雷神閃!!」
晴れている空に閃光が奔り、クラーケンの身体を凌駕する極太サイズの雷槌が落ちる。それは大ジャンプにより空中に浮かんでいるクラーケンに直撃し、その体躯を一瞬にして黒焦げにした。雷系の最上級呪文の1つであり、忘れられた古代魔法である。その威力は雷撃の数十倍と伝えられ、水生生物にとっては最悪の魔法だ。
遠雷が轟く中、その巨体は海面に落下して轟音と大波を発生させる。その波はサンエレナード号を激しく上下に揺らしたが、直ぐに終息した。
誰もが息を飲む。そんな中、一度は海中深く沈んだクラーケンが、その反動で勢い良く浮上し、水飛沫を上げてサンエレナード号の目の前に横たわった。
一拍置いて、甲板から歓声が上がる。
ここに、最悪の海獣と呼ばれたクラーケンが討伐された。魔王と戦ってきたシャルルにとっては、ただの鈍重な魔物でしかなかったのかも知れない。
シャルルは器用に氷の上を移動し、サンエレナード号の甲板に飛び乗る。そして、待っていたエドワードの拳に、自分の拳を強引に合わせた。
「よし、次に行こうか」
唖然として硬直していたエドワードが、黒焦げで浮かんでいるクラーケンを見て呟く。
「もしかして、本当に倒したのか?」
数千年もの長い間、センタマリア海の王者として君臨していたクラーケンが呆気なく倒されたことが、未だに信じられないようだった。しかし、シャルルにしてみれば、クラーケンはただの巨大なイカでしかなかった。恐らく、歴代の勇者は魔王と激闘を繰り返してきただけだ。クラーケンは海に棲んでいるため、単純に強敵と遭遇しなかっただけではなかろうか。
パテトが強引に口に突っ込んだクラーケンを噛み締め、ようやくエドワードにも実感が湧いてくる。しかし、その余りの不味さにクラーケンだった物を吐き出した。
「だよね。これ、最悪に不味い・・・」
顔を顰めながらも一生懸命口を動かすパテトは、恐らく最強の捕食者だ。
「さあ、次に行こう」
若干ゲ〇臭いシャルルが、再びエドワードに声を掛けた。エドワードは我に返ると、大きく頷いた。
「シャルル、お前は一体何者だ?強いだろうとは思っていたが、予想以上だ。これでもクラーケンは、海に棲む中では最上級に位置する魔物だ。それをこんなにあっさり倒してしまうなんて、普通に考えて有り得ないだろ」
胸板に人差し指を突き立てられたシャルルは、苦笑いを浮かべる。
「今は、冒険者だよ。Aランクのね」
その返事を聞き、益々訝しげな表情を見せるエドワード。しかし、一度目を伏せて溜め息を吐くと、笑みを見せた。
「まあ、お前が何者であろうと良いか。古い爺さんの仇を取ってもらったことには変わりない。それに、俺達は仲間みたいなもんだしな」
お互いに拳を合わせ、その後で肩を組んで笑った。
その後、クラーケンの身体は暫く海面を漂っていたものの、少しずつ沈んでいき、最終的には深海へと落ちていった。海獣の餌になるのか、新たなクラーケンが誕生するのかは分からないが、それはシャルルの感知する範囲ではない。
「散々暴れたからな、とりあえずこの場所から移動しよう。昔から、海を騒がすと海神の天罰が下る、とか言われているしな」
そんな不吉なことを口にすると、エドワードが右手を上げる。すると、それを待っていたかのように、乗組員達が動き始めた。
「それで、どこに行くんだ?」
風を掴んだ船が、加速度的に速くなる。その舳先は陸地とは逆を向いているようである。
「北だ。航海日誌によると、そこにレリムア大陸の欠片がある」




