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ラナク海戦⑧

 入り江の沖に停泊する船団が、緩やかに南から北へと動いていた。それは、満潮から干潮へと潮が流れ始めたことを意味している。湾内はユーグロード側の船で溢れ返り、中型船も大型船も容易に前進することができない。小船を避けさせて通路を作る。その僅かな時間が、勝敗を決することとなった。


「全ての兵士は、速やかに海から離れて下さい!!」

 マリアの声が響き、それに呼応して指示が広上がっていく。


 旗艦から陸地に逃げるアルムス帝国の兵士達を見下ろし、ラバナルは高らかに笑う。

「ハハハハハハッ、見ろ、まるで虫けらのようだ!!」


 しかし、その傲慢な表情は、背後から迫る炎に包まれて消え失せた。


 燃えていたのだ。

 船が、兵士が、海そのものが。

 呆然とするラバナル。

 その眼下には燃え盛る海。

 その中を、逃げ惑う味方の兵士達。

 逃げなければ。

 すぐに逃げなければ。

 燃え上がる海面。

 前方も後方も、真っ赤に染まっている。

 そして、旗艦までもが炎に包まれていた。

 なぜだ。

 なぜ海が燃えているんだ!!


 ラバナルは操舵室から転げるようにして甲板に飛び出した。そして、まだ燃えていないボートに乗り込むと、すぐさま沖に向かうように指示を出す。


 兵士などどうでも良い。貴重な人材である自分だけは、生き残らなければならない―――そう思い込むことで自分の行為を正当化し、戦場からの離脱を試みる。

 しかし、当然のことながら四方は火の海だ。逃げる場所などどこにもない。それでも、船を捨て、味方の兵士を踏み台にして、ナバナルは防御壁の筏まで辿り着いた。


 筏に上がって入り江を振り返ると、何もかもが炎に包まれていた。

 全滅だ。有り得ないほどの敗戦だ。それでも自分だけは、トラトス王国の船団に乗り込み―――そう思って沖合いに目を向けると、トラトス王国の船団までもが炎に飲み込まれていた。


 愕然とするラバナル。その時、その首にヒヤリと冷たい物が当てられた。

「その服装、敵将だな?」


 ナバナルが顔を上げると、いつの間にか、口元をスカーフで隠した兵士が立っていた。首には、その兵士が手にしている剣が添えられている。その状況に、流石にラバナルも自らの最期を悟る。


 大きく息を吐き、筏の上に姿勢を正して座った。

「私の名はエルトリア共和国評議員ラバナル。この船団の将だ。討ち取って手柄にするが良い」

「当然だ」

 散々足掻いたラバナルだったが、最後だけは潔くカーナルに首を差し出した。



 開戦前、大量の荷車と共に入り江の南側に移動していた第一部隊の隊長カーナルは、その時を静かに待っていた。


 カーナルが指示されていたこと。それは、満潮から干潮に向けて潮が動き始めると同時に、大量に荷車で運んできた物を海に流すことだった。

 荷車に積んできた物は、壷に入った油だ。魔石は高価であるため、庶民の灯り取りは未だに油である。それを、大量に運んで来たのだ。油は水よりも軽く、当然のことながら海水にも浮かぶ。しかも、水に混ざることもない。つまり、水に流し込んだ状態でも燃えるのだ。その性質を活かした、マリアの戦略だった。


 その作戦は見事なまでに成功し、入り江を含め、油が流れた方向は瞬く間に火の海となった。後は残敵を討ち取るために、防御壁上で待ち構えるだけだ。カーナルは剣を抜くと、与えられた部下を引き連れて防御壁へと向かった。



 マリアは、その光景を凝視したまま微動だにしなかった。

 その姿は、まるで咎人が自らの罪を刻み付けているように見える。


 戦いは、完全なる勝利である。しかし、マリアの胸に喜びは無い。眼前に広がる光景は、正に地獄絵図だ。耳に届く阿鼻叫喚。真っ赤に燃え上がる海。油と焦げた臭いが充満し、黒煙が目に沁みる。その全てを一身に受け止め、その罪を背負おうとする。


 ここまでする必要は、なかったのではないのか。

 なぜ、人間同士で戦わなければならないのか。

 それでも、ソマリの住民を、アルムス帝国の人々を護るためには、こうするしかなかった。


 敵兵の血と炎で深紅に染まる海を見詰め、マリアは口を引き結んだ。


「マリア様、我が軍の大勝利です!!」

 補佐官が片膝を突き、勝利の報告をする。


「敵将、アルワムナ将軍を討ち取りました!!」

 ルキャナンが敵将の首級を布に包み、腰からぶら下げて帰陣する。


「評議員のラバナル、ここに印を!!」

 同様に、ラバナルの首級を持ち帰ったカーナルが腰を折る。


 マリアは全てを飲み込み、兵士達の方を向いて顔を上げる。

「私の指示通り、皆さんは敢然と敵兵と戦いました。苦戦を強いられても決して諦めず、国民と祖国のために戦い抜きました」


 隊長を始め、汗と泥、血と煤でボロボロになっている兵士達を見渡す。


「今こそ、ここに宣言致します―――我々の、完全勝利です!!」


 湧き上がる歓声が、いつまでもソマリの空に響き渡った。


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