ラナク海戦④
密偵が去った後、マリアは即座に行動を開始した。
2人の隊長の後ろ姿を見送り、自らはソマリの街に走る。予め話を聞いていた街の有力者達が住民を集めており、その中心にマリアが立った。何事かとざわめく民衆に囲まれ、マリアは語るような口調で話し始めた。
「皆さん、今から私の言葉をきちんと聞いて下さい。
今から5時間後、ユーグロード王国がソマリに攻め込んで来ます」
一瞬静寂が包んだ後、ざわめきが巻き起こる。絶叫と怒号が広がり、事態が収拾できなくなのではないかと思われた。しかし、実際には様子は違った。
「きちんと聞いて下さい、と、私は言ったはずです」
決して大きくはないマリアの声が波紋のように広がり、人々は一瞬にして冷静さを取り戻す。マリアの声は、不思議と耳に届き、心を落ち着かせる効果があった。それが軍師の能力なのか、為政者としての適正なのかは分からない。
「今から5時間後に、ユーグロード王国が侵攻してくることは間違いありません。ですから、速やかにこの地を去り、ここから1時間程歩いた場所の砦に避難して下さい。先導は兵士が行いますので、貴重品だけを持ち、慌てず指示に従って移動して下さい」
マリアの説明に、一人の住民が声を上げた。
「あのう、もう、この街はダメだと・・・ソマリを捨てる、そういうことですか?」
住民の視線に向けられていた視線が、全てマリアを見詰める。その全ての瞳には、不安と動揺の色が見えた。
その全ての思いを受け止め、マリアは毅然とした態度で皆を見渡す。
「大丈夫です。私達は絶対に負けません。必ず、勝ちます。そして―――」
再び集まった住民一人ひとりの顔を見渡し、満面の笑みを浮かべた。
「必ず、ここでお会いできることを約束します!!」
歓声が湧き上がり、大気を揺るがす。
全員が即座にマリアの指示に従い、行動を開始した。これで、後顧の憂いは断った。後は、全身全霊で敵と対峙するだけである。
動き始める住民を見詰め、マリアは小刻みに震える足を叱咤する。
怖くないはずがなかった。皆の命を預かり、場合によっては死地に赴かせなければならない。それでも、民を護り、国を護り、世界を救うためには戦うしかないのだ。
「マリア様」
その時、小さな子供の声が聞こえた。視線を落とすと、そこには幼い少女が立っていた。その少女は、手にしていた小さな人形をマリアに差し出す。
「私の宝物です・・・私の代わりに、連れて行って下さい」
マリアがら指示を受けた第二部隊の隊長ルキャナンは、ソマリの北部にある漁村に向かった。人口2百人程度の寂れた集落であったが、それ故に、今回の作戦を実行する拠点にもなった。ユーグロード王国の密偵ですら無視したこの村で、マリアの指示により作っていた物があったのだ。
「ふむ。良い出来栄えだな」
それらを前にし、ルキャナンは満足そうに頷いた。目の前にあった物、それは直径50センチを超える幹の木で作成した筏であった。マリアが軍事顧問に就任した直後から木材を運び込み、漁民や兵士達を派遣して作らせていた物だ。
一体何をさせられているのか理解できなかった兵士達は、ここにきてその目的を知った。同時に、マリアの深謀遠慮に畏怖した。
「よし、運び出せ!!」
ルキャナンの指示により、マリアの作戦が実行に移される。
ソマリは港町であり、海岸線を切り開いた入り江の奥に位置している。そうでなければ、船が安全に停泊できないからだ。この漁村は入り江の北側、断崖からほんの数十メートル内側にあり、どうにか潮流から護られている。しかし、この位置にあるからこそ、今回の作戦にとって重要な役割を果たすのだ。
北から南へと、満潮に向けて潮が流れ始める。
「ゆっくりと、筏を流せ!!」
ルキャナンの号令が掛かり、次々と筏が海に流された。
長さが5メートルほどもある巨大な筏は、それぞれが頑丈に結ばれた状態であり、まるで長い浮き橋のようにも見える。それが、終わりが見えないほどに延々と続いている。筏は入り江の内側を回るようにして流れ、やがてその先端が南側の出口へと到達した。
それ以上進めば速い潮流に飲み込まれ、一瞬にして流されてしまうだろう。しかし、そこに予め待機していたルキャナンの部下が筏を捕まえた。筏の流れが止まったことを確認したルキャナンは、送り出す作業を止め、これ以上流出しないように筏の端を頑丈に固定する。これで、入り江の南北を結ぶ浮き橋が完成した。
続いて、次の作業に移った。
不安定な浮き橋の上を、兵士達が決死の覚悟で渡って行く。数人で1組となり、やはり5メートルほどの丸太を運ぶ。
ただ、今回の丸太は片方が円錐に削り込まれていた。それを次々と運び、各筏の上で立てる。よく見ると、筏にはそれぞれ中央に穴が開いていた。水の抵抗を強引に無視して、兵士達がその穴に丸太を差し込んで海中に打ち立てていく。入り江の水深は見た目よりも浅いのである。




