決着⑤
シャルルがエレーナをその場に残して後退する。
魔王はシャルルの行動に目を配ることもせず、ヨロヨロと覚束ない足取りでエレーナに歩み寄った。そして、最後に見たままのエレーナを抱き締め、その白骨化した指で髪を撫で、剥き出しの頬骨を血の気を失った顔に寄せる。
「エレーナ・・・私は、お前さえ傍にいてくれれば、他に何もいらなかった。それは、今でも変わらない」
概念として脳に響いていた声が、人間の言葉として耳に届く。
エレーナとクライツを襲った悲劇は2人だけではなく、大勢の人々の幸せを奪い、それを超える悲しみを生んだ。それを怨念の糧とし、増大させ、最悪最強の魔王を誕生させた。
しかし、今、その魔王の根幹を成していた恩讐が、エレーナを取り戻したことによって浄化されていく。
怨みを核とした負の力がクライツの身体から分離し、巨大な暗黒の渦を頭上に発生させる。それはクライツから全ての怨念を吸い取ると、漆黒の球体に変化する。そして、周囲のアンデッドからも瘴気を吸収して、更に巨大になった。
空を覆い尽くすほどの黒い球体を、シャルル達は意味が分からないまま見上げる。
不穏な気配を漂わせているが、それをどうにかできるとも思えなかった。
全ての者達の注目を集めた球体は暫く上空に滞留した後、一転、猛烈な速度で西の空へと飛び去った。
「勇者よ・・・」
不意に、穏やかな男性の声がシャルルを呼んだ。その方向に視線を送ると、そこには、ただのアンデッドとなったクライツの姿があった。宝物のようにエレーナを抱き、クライツはシャルルに顔を向ける。
「この愚か者を、どうか滅してもらいたい。
エレーナを奪われ、私はロドニ侯爵を始めとし、数え切れないほど多くの生命を奪ってきた。怨念に魂を奪われ、怒りに我を忘れ、アンデッドに身を落としてまでも力を求めた。大勢の罪無き人々を蹂躙してしまったが、そのことに後悔はない。私は、エレーナを奪った侯爵に、手を差し伸べなかったこの国に対し、怨み以外の気持ちは無いのだから・・・・・・それ故に、私は魔王になったのだろうな」
クライツは、エレーナを両手に抱えて立ち上がる。
骸骨でしかなかったクライツの顔が、生前のそれに戻る。言葉とは裏腹に、その目には深い悲しみと後悔を滲ませている。
「クライツさん、貴方は自らエルダーリッチになったんですか?」
唐突なシャルルの問いに、クライツは横に首を振る。そして、真実が語られた。
「私には、自らエルダーリッチになる能力も才能もない。少し魔法が使えるだけの貴族だ。陛下に直訴したにも関わらず完全に無視され、失意の中でロドニ侯爵に対し怨みを募らせることしかできなかった。そんな時、私に声を掛けてきた人物がいた。
エルダーリッチになり復讐しないか―――と。自暴自棄になっていた私は即座にその誘いに乗り、怨念の魔王としてロドニ侯爵家を滅ぼし、私の話に耳を貸さなかった帝国そのものを滅ぼそうとした。しかし、私はその道の半ばで封印されたのだ」
「やはり、勇者に封印されたんですか?」
「違う。いや、違うような気がする。最初の時は、正直、よく覚えていない・・・だが、問題はそこではなかったのだ。私は、魔王などと呼ばれる存在になるつもりはなかった。ただ、ロドニ侯爵を滅ぼし、エレーナを取り返せれば、それで良かったのだ。
エルダーリッチになる方法は、禁断の魔法によって自らをアンデッド化させる他に、もう1つだけ存在する。それは―――」
そこで、話の意図に気付いたシャルルが驚愕する。
「――呪い」
クライツが首肯する。
「そう。私は、ロドニ侯爵に対する激しい怒りと怨みを利用され、エルダーリッチに堕落する呪いを掛けられたのだ。こうして、呪いが解けるまで忘却させられていたが」
「その相手はとは?」
シャルルの問いに、クライツは左右に頭を振る。
「その記憶は欠落している」
仕組まれていた。
何者かがクライツを堕としてエルダーリッチとし、魔王として利用した。
では、魔王とは一体何だ?
「では、そろそろ・・・」
クライツの言葉に、シャルルが頷いた。
クライツは周囲の惨状をゆっくりと見渡し、もう動かないエレーナの顔を見詰める。そこには、悲しみしかなかった。愛する者を護れず、己の無能を利用されて罪無き人々を不幸にした。自分の無力さに落胆し、悲しみに沈む姿があった。
「その思いは、僕が代わりに背負っていきます」
シャルルの発した言葉に、クライツは顔を上げて涙を流した。
シャルルが魔法を唱える。
一緒に逝けるように―――と、祈りながら。
「―――浄化魔法」
暗闇の中でエレーナを抱き締めるクライツを、天空から差し込んだ光が包み込む。その光に照らされて、クライツとエレーナの姿が徐々に薄れていく。
そして、光の粒になって消えた―――――




