クレタの聖戦⑤
頭上を旋回する死霊使いに対し、イリアには何も攻撃手段がない。矢や槍などの物理攻撃は無効であるし、そもそもイリアには使えない。魔法についても回復や防御、身体能力強化などの補助系がメインであり、高威力の攻撃魔法は持っていない。攻撃魔法自体を使えない訳ではないが、ほぼ初級魔法のみであり討伐するほどの効果はないだろう。
死霊使いは上空から狙いを澄ませ、フェイントを織り交ぜながら降下してくる。既に、攻撃手段が少ないことは分かっているが、イリアが聖女だけに微塵も油断していない。
地表スレスレを滑るように飛ぶ死霊使いの腕が、一瞬イリアの足に触れる。そのまま死霊使いは通り過ぎたが、イリアはその場で片足を突いてしまう。ほんの僅かな接触にも関わらず、イリアの体力が1割近くが奪い取られたのだ。初撃で奪われた生気を加味すれば、既に半分近くを失ったことになる。
顔色が明らかに青褪めているが、それでもイリアは気丈に立ち上がる。そんな状態においても、最上級の浄化の魔法を放つ。
「―――究極鎮魂魔法!!」
杓杖の先端が聖なる光に包まれ、再び天へと通じる道が開かれる。しかし、その眩い世界への誘いを、死霊使いは一瞥することもなく振り払う。その瞬間、光の道は霧散し、再び闇が辺りを覆った。
極限まで精神力を使用したイリアが、その場に両膝を突いて崩れ落ちる。死霊使いは、それを待ち構えていたかのように、真正面から腹部を突き抜けた。
直撃されたイリアは前のめりに倒れ、微塵も動くことができなくなった。生気を半ばまで失った状態で、しかも、限界まで精神力を使用した直後に死霊使いの魂強奪。致命傷といっても過言ではないほどのダメージを受けたのだ。
これまでのイリアであれば、間違いなくここで終わりだった。
切り札である浄化魔法を2度までもレジストされ、そして、生命そのものを脅かす攻撃の直撃。このまま、冷たい地面を感じながら目を閉じていたに違いない。
―――しかし、今のイリアは違う。
人々のために、勇者の従者として絶対に負けてはならないのだ。自分が倒れてしまえば、人々は蹂躙され、そして、勇者も挟撃されて負けてしまうかも知れない。それだけは、絶対に阻止しなければならない。
イリアは蒼白になった顔を上げ、震える手で自分の身体を支えると、残った全ての力を振り絞って立ち上がる。イリアには、まだ生命が残っているのだ。
イリアは杓杖を天に掲げると、再び精神を集中する。
そして、女神テレスに祈り、自分の生命を捧げる覚悟で呪文を紡いでいく。
「―――ああ、この世に生を受けし者達よ。全ての祈りを此処に収斂し、此の身体を依代として天に届けよ。ああ、其の祈りを聖なる詩に変え、万象の穢れを浄化する息吹を、今、此の場に、導き給え―――神の息吹!!」
詠唱の完了と同時に、4度死霊使いがイリアの身体を貫いた。イリアの背後へと擦り抜け、勝利を確信する。しかし、その時、天空から虹色の風が吹き降ろした。
そよ風のような風は、キラキラと何度もその輝きを変化させながら、死霊使いの頭上へと降り注ぐ。最上級の浄化魔法でさえも無効化したスペクターは、変わらず狂気を孕んだ笑みを浮かべていた。しかし、一瞬にしてその表情が驚愕に歪む。
「な、何だ、これは!!」
虹色の風は、死霊使いの瘴気を分解し、その全てを浄化していく。
徐々に薄くなり、存在が消えていく中で、ようやく死霊使いはそれが何なのか気付いた。
「・・・まさか、これは女神魔法か!?」
そう。それは、聖女にだけ許される女神魔法の1つ、女神の息吹によって浄化する魔法であった。魔王クラスともなれば分からないが、死霊使いごときでは、その神威に抗うことなどできはしない。女神の息吹が吹き降ろし、渦を巻いて天へと還って行くと、そこに死霊使いの姿は無かった。
建物の影や、家の中からイリアの戦いを見ていた人々から、盛大な歓声が上がる。しかし、主役のイリアは全てを使い果たし、そのまま仰向けに倒れた。一瞬にして静まり返る民衆。そのうちの何人かが、慌ててイリアに駆け寄って行く。
自分の生命までも捧げて唱えた女神魔法。強大な神力と引き換えに、何らかの代償を求める。時に、それは術者の生命であり、或いは、膨大な精霊力である。その代償の大きさを考慮すると、そう何度も行使できるものではない。
今回、女神の息吹を召喚するために、イリアは自らの生命を捧げる覚悟をしていた。限界まで生気も精神力も失っていた状態だったイリアには、代償として捧げることができる物が生命しか残っていなかったのだ。
しかし、イリアは生きている。死霊使いのスキルが直撃しても、なお生きている。女神魔法を使用した瞬間、信じられないことに、イリアは何も失わず逆に力を与えられた。そうでなければ、イリアは死霊使いの反撃により、間違いなく生命を奪われていた。
真夜中の暗闇に圧し潰されそうな人々。自分達を護り盾となった聖女を見詰め、涙を流す者までいる。そんな中、倒れたままのイリアが拳を握り、天に向かって突き出した。
再び湧き上がる大歓声。抱き合う人々の姿。ここにようやく、南塔付近から侵入した幽霊系アンデッドは完全に駆逐された。
イリアは歓喜の声を耳にしながら、僅かに残る力で杓杖を突き立てて立ち上がる。まだ終わりではない。その目は西を向いた。




