死の魔王と聖女の祈り⑤
近衛隊の到着と、北塔が倒壊するタイミングはほぼ同時であった。帝城から懸命に馬で駆けてて来た近衛隊の面々は、崩れ落ちる塔を目の前にし砂埃の中で立ち尽くした。クレタが誇る東西南北のシンボルが全て破壊されてしまったのだ。
「顔を上げろ!!」
項垂れる近衛隊の中に、凛とした声が響いた。
「我々の使命は何だ?
塔が守れず、敵を前にして失意に沈むことか?
思い出せ、真の使命を!!」
その涼やかな声は、不思議と絶望の底にあった近衛隊の心に響き渡った。その声が耳に届く度に、自然と顔が前を向いた。
「我々の使命は何だ!!
我々は、クレタを、アスムス帝国に住む全ての者達を護ることではないのか?
我々は、まだ負けた訳ではない」
全ての近衛隊が、唯一人の騎士を見詰める。そこにいる近衛隊副隊長である、緋色の騎士に視線が集中した。
「さあ、帝国の屈強な騎士達よ。
クレタを護るため、敵を討ち滅ぼすぞ!!」
「「「「「おおおお―――!!」」」」」
ここに、クレタ北部の戦いが幕を開けた。
その怪力と豪腕により防壁を破壊するオーガゾンビ。近衛隊の先陣が、その巨人に襲い掛かった。騎士で形成される近衛隊には、少数の魔法師しか所属していない。しかもそれは、回復師に限定されている。そのため、デュラハン率いる暗黒騎士団と真っ向から激突する形になった。
デュラハンは、アンデッドの軍団の中で唯一、武力による対決を好む存在だ。それは、生前に志していた、騎士道の残滓がそうさせているのかも知れない。しかし、それ故に、デュラハンは限りなく強い。
オーガゾンビにより防壁の一部が破壊され、そこから次々と巨人がクレタの市街地に入り込んで来る。しかし、そのオーガゾンビ達は近衛隊によって食い止められた。
近衛隊はその機動力と統率力により、鈍重な攻撃を掻い潜り、その矛先をオーガゾンビに叩き込んでいった。個々の攻撃が多大なダメージを与えなくとも、計算され尽くした連撃は巨体を支える足を破壊していく。そして、近衛隊は1名の犠牲も出さずオーガゾンビを沈めた。それは、全ての部隊の結果でもある。
その光景を見ていた漆黒の騎士の顔が、左手の上で狂喜に歪んだ。
「フハハハハハ!!我が敵として認めよう」
高らかに笑いながら、首の無い黒馬に跨った騎士は瓦礫の山を駆け抜ける。
「我は最強の騎士デュラハンなり。
最後の一人になるまで、殺し合いをしようではないか!!」
緋色の騎士フィアレーヌと、暗黒の騎士デュラハンが対峙している頃、大聖堂では明らかな異変が起きていた。
女神テレスの像に祈りを捧げていたイリアが、激しく揺れ動く床に視線を落とした。足下で膨大な魔力が膨れ上がり、その余りにも強大な力に大地が共振して揺れているのだ。
その揺れは徐々に激しくなり、大理石でできた床に亀裂が走り、純白の壁の一部が崩れ落ちる。それでも一向に緩まない振動は、女神像の土台を崩し、ついにはテレスの身体を床に叩き付けた。白い床に飛び散る女神像の欠片。その姿には、どんな祈りも受け止める力は無い。
イリアが粉々になった女神像に駆け寄った時、共振現象が止まっていることに気付いた。しかし一方で、足下の魔力の塊はより巨大になり、ゆっくりと蠢いている。そして、今度は明瞭な笑い声を上げた。
「ハハハハハハハハ―――人間ドモヨ。今度コソ、オ前達ニ滅ビ゛ヲ与エ、我ガシモベトシヨウ」
イリアの目の前、倒れた女神像の足元から、干からびた腕が伸びた。その手は骨に皮膚が張り付いただけで、まるで餓死した老人のようである。その手が2本になり、やがて漆黒の頭巾が現れた。
魔法師が着用するローブの一部に似ている。イリアがそう思った瞬間、全身が凍て付くほどの魔力が吹き荒れた。聖女候補であるイリアでさえも動けない、それほどの魔力。それが頭巾の下から漏れ出していることは明白だった。
浮き上がるようにして、徐々に姿を現す魔法師。
そう、それは魔法師だ。
しかし、その絶対的な魔力量が、その魔法師が人ではないことを告げている。
その凍て付く波動が、人に仇成す存在だと警告している。
現れた顔は既に骸骨であった。その双眸は深く沈み、その奥に深紅の瞳を輝かせている。剥き出しになっている歯が、ゆっくりと上下に開いた。
「人間ヨ、300年ノ時ヲ経テ我ハ復活シタ。
皆ニ伝エルガ良イ。終ワリガ訪レタト。ソシテ、恐怖ニ震エナガラ、順番ヲ待テ。ト―――」
その現実味のない魔力に、イリアは全身が硬直して動けなかった。今まで遭遇したどんな魔物よりも、どんな怪物よりも強大な魔力と存在感。圧倒的な力の差を感じ、戦意を喪失したのかも知れない。勇者パーティの一員であったはずのイリアをして、「絶対に勝てない」と断じることができた。
それは、封印された魔王であった。
エルダーリッチの復活である。
魔王とは、その存在が自ら名乗った訳ではない。敵対する者達、理不尽に蹂躙される側が勝手にそう呼んでいるだけだ。しかし、それを目にした瞬間、イリアは理解した。これが魔王である、と。
「魔王!!」
突然、イリアの背後から鋭い声がする。声の主は、魔王からイリアを護るように回り込んだ。
「だ、大司教様!?」
それは、イリアを保護し、シャルルに声を掛けた年配の大司教であった。大司教はイリアを背に庇うと、震える声で囁いた。
「この者は、300年前にクレタを壊滅させたエルダーリッチ・・・つまり魔王だ。当時の勇者により、この地に封印されていたのだ。東西南北の塔はクレタのシンボルなどではなく、魔王を封印するための結界装置だったのだ。
気付いているかも知れないが、現在、アンデッドの軍勢が四方よりクレタを襲撃している。それにより、既に4つの塔は破壊された。それにより結界が解除され、魔王の封印が解けたのだ。まだ完全に覚醒してはいないが、それでも、もはや個人の力では抑えることはできない」
魔王の目が大司教を捉え、ゆっくりと右腕が持ち上がる。そして、白骨と化した指が、大司教を指す。指先に魔力が集まり、濃い紫色に輝いた。
「勇者以外、魔王に対抗できる者はいない。そなたは、この事態を勇者に伝え、共に魔王を倒してもらいたい。さあ、私が盾になっているうちに、早く行きなさい」
魔王の口が開く。
「―――死呪」
その瞬間、表情を失っているはずの魔王が驚愕した。大司教が聖なる光を纏い、即死魔法に抵抗していたのだ。しかし、強大な魔王の魔力には、いつまでも抵抗し続けることはできない。
「・・・は、早く!!」
必死の形相で叫ぶ大司教を前に、イリアはその指示には従わなかった。
「―――女神テレスの名に於いて、此処に聖なる棺、光の結界、神聖なる至宝を顕現する」
それは、今は現聖女とイリアにしか使えない女神魔法であった。詠唱を耳にし、大司教が目を見開く。
「天に祈り、地に伏し、風に命を受け、身命を燃やし尽くす。此の手に聖霊を、此の身に御心を―――」
「や、やめなさい!!」
女神魔法―――あらゆるものを聖なる結界に封じる究極の魔法。しかし、成功率は5パーセント以下であり、魔法発動に必要な触媒は詠唱者の生命である。
「今此処に、身命を捧げるもの也。魔に永久の眠りを与えん―――」
イリアの足元に魔方陣が展開した。




