死の魔王と聖女の祈り③
南西の門に残る連絡係の兵士は、ドラゴンゾンビの来襲を呆然と眺めていた。ドラゴンゾンビを見たこと自体が初めてであるが、その巨体と禍々しいオーラに身動きができなくなっていたのだ。
空を飛ぶことも、竜語を介した超高難度の魔法を行使する能力も失ってはいるが、体長は優に20メートルを超えているのである。その巨体が2匹も迫って来れば、生身の人間に成す術はない。この場所を守護していた部隊は正門に出動しており、この場に居るのは彼1人なのだ。
2匹のドラゴンゾンビは各々が蛇行しながら西塔を目指し、防壁に辿り着くと堕肉した前足を引っ掛けて上体を起こした。2匹のドラゴンゾンビは防壁から頭を出すと、その口を大きく広げる。同時に魔力が集束し、各々の口内に深緑の渦が起きる。それは更なる魔力とドラゴンゾンビを構成する腐肉を巻き込み、次の瞬間前方に吐き出された。
ドラゴン・ブレス―――ドラゴンが体内で属性を付与した魔力を生成し、高威力のエネルギーとして吐き出す攻撃手段である。ドラゴンゾンビが放ったのはアッシド・ブレス。全ての物を溶かす強酸性のブレスである。そのブレスは、真正面に建つ西塔を直撃した。
西塔はアッシド・ブレスの直撃によりひび割れ、その隙間から含まれている強酸によって溶け始める。それは瞬く間に深部に到達し、2発目のブレスを吐こうと口を開いたドラゴンゾンビの前で、真っ二つに折れて轟音を響かせる。地上2メートルの位置で折れた西塔は、地面に激突した衝撃で粉々に砕けた。
東西2つの塔が、ほぼ同時に倒壊。その異常な状況に、防衛隊の隊長もリッチ達高位のアンデッドの目的を理解する。隊長にその意図を掴むことはできなかったが、眼前の骸骨戦士だけが敵ではないことに気付いた。
「伝令だ。王宮に行き、陛下に援軍を依頼しろ!!」
隊長は即座に、王城に向けて使者を出す。王城には近衛隊を始め、常に5000人の兵士が常駐している。全軍とはいかないまでも、援軍を差し向けて貰えるかも知れない。現状、防衛隊は正門の死守が精一杯であり、その他の場所に兵を送る余裕は無いのだ。
伝令の兵士が一礼して隊長の元を辞した瞬間、今度は南から轟音が響き渡った。隊長はその方向に視線をやり、目を伏せる。一度に攻撃されては、どうすることもできない。このままでは、無事に朝を迎えることはできないだろう。
南の暗闇で、死霊が高らかに笑った。
異音は大聖堂で祈るイリアの耳にも届いていた。人々が寝静まる時刻になったにも関わらず、地鳴りと共に響き渡る轟音。しかも、尋常ではない数の死人の気配。今は祈るだけの日々とはいえ、イリアは元々冒険者である。現在、クレタに危機が迫っていることに気付いている。しかも、イリアは聖女候補という絶大な神聖力の持ち主だ。当然、アンデッドを浄化させる十分な力を有している。
しかし、イリアは大聖堂を離れる訳にはいかなかった。大司教から「大聖堂を離れないように」と指示されたこともあるが、外のアンデッド達よりも強力な気配を感じていたからだ。
イリアが祈り続ける大聖堂の真下から。
ドラゴンゾンビが西塔を破壊する様を成す術も無く眺めていた兵士が、自分の職務を全うするために、正門に向かって防壁上を走っていた。ちょうど南塔が見え始めた時、その異常な光景に足を止めた。
駆けて来た兵士と同様に、連絡係として配置されていた兵士が、防壁の外を見て小刻みに震えていたのだ。恐る恐るその視線を追うと、そこには信じられない光景が広がっていた。ドラゴンゾンビの急襲にも驚いたが、そこで目にした者達は心胆を震わせる恐怖の存在であった。
暗闇一面に漂う数百に及ぶ鬼火。そして、その間に浮かぶ人面のみの幽体。亡霊と死霊の群れ。攻撃力はそれほどではないが、物理攻撃はほぼ無効化され、魔法攻撃以外でhがダメージを与えることができない。しかも、浮遊しているため、高度という概念は通用しない。
亡霊と死霊は防壁など関係なく次々と乗り超え、市街地へと侵入する。そして、その後を死霊使いに率いられた幻影の一団が通り過ぎた。幻影は本来は場所に縛られる存在であるが、死霊使いに使役されているため制約がない。場所に制約があるため、亡霊などよりも内包する霊力が大きい。
そして唯一、人間であった時の体のまま霊体となった死霊使いは、霊体の中でも特殊な存在であり、その霊力も高い。他の霊体を操り、自分の意のままに動かす。しかも、暗黒系の魔法も行使できる。
その死霊使いが幻影を引き連れ来たことには、当然理由があった。
幻影は南塔に向かって浮遊していくと、次々に内部へと擦り抜けて行く。そして、数百体いた幻影が塔に消えたことを確認すると、死霊使いが塔に向かって魔法を放った。簡単な魔法であったが、それは集結した幻影を誘爆させるには十分の威力だった。




