アポネ遺跡⑤
左腕がユニコーンの角により千切れ飛ぶ―――パテト本人もそう覚悟したが、金属音と共に腕が後方に弾けただけであった。ユニコーンに角が刺さるはずであった場所には、金属製の腕輪が装着されていたからだ。しかし、本来それは防御するための装備ではなく、パテトが幼い頃に母親から着用を義務付けられた装飾品である。それが偶然、パテトの腕を護ったのだ。
しかし、思い出に浸る間もなくユニコーンの攻撃が続く。連続で突き出される角、それを皮1枚でギリギリ避け、その足元を背後に回り込む。だが、それは最悪の一手であった。ユニコーンの強力な後ろ脚の蹴りをまともに浴びることになってしまった。
瞬時に腕をクロスさせて内臓への致命的な損傷を防ぐが、蹄の直撃を受けた左腕が悲鳴を上げる。骨が砕ける音と共に、一度はパテトを護ってくれた腕輪が砕け散った。猛烈な勢いで吹き飛んだパテトは、背中で石造りの塀を突き破り、建物の門柱をへし折ってようやく停止した。
その一部始終を見ていたシャルルは、微かな違和感を覚えていた。
パテトが装着していた腕輪は、間違いなく魔法具であった。他人の持ち物を勝手に鑑定することはマナー違反である。しかも、仲間の物ともなれば尚更だ。それ故に、あの腕輪の効果を、シャルルは全く知らない。しかし、逆に、あの腕輪は何の魔法的効果も発揮してはいなかった。だからこそ、シャルルはその効果を知ることができなかったのだ。
では、あの腕輪は何なのだろうか?
うつ伏せに倒れ、微動だにしないパテト。そんなパテトに対し、ユニコーンは空高く舞い上がると、次なる攻撃の準備に入る。空からの加速を加えた全力攻撃により、息の根を止めようとしているのだ。
元来、この世界で生息するユニコーンには翼は無く、理知的で温和な性格の生物である。しかし、それは神獣ではなく、妖精に近い魔物である。ここに顕現しているユニコーンは、神域に棲む者として相応しい体躯と、巨大な翼を持った神獣である。太古の昔、罪を犯した罰として人間を根絶やしにしようとした際には、悪魔とさえ呼ばれた超常の生物である。その様な存在に、慈悲など有りはしないのだ。
狙い澄ましたユニコーンが、翼をたたみ急降下を始める。その速度は音速を超え、身体が角と同じく虹色に輝く。その時になって、ようやくパテトの指が微かに動く。刹那、パテトは反射的に身体を反転して直撃を避けるが再び弾き飛ばされた。
速度で上回れない相手に、パテトは全く勝ち目が無かった。
震える足に力を込め、口の中に溜まった血反吐を吐き、右手を地面に突いて、やっとの思いで敵を視界に収める。
揺れる敵影。
もう、左腕は動かない。
後ろ足を防いだ時に骨が砕けた。
笑ってしまう。
たかが神獣にこの無様。
これでは、仇など討てるはずもない。
震える膝に力を込めて立ち上がれ。
勝算は皆無。
攻撃は当たらず、攻撃は避けられない。
相手は空を飛び、見上げることしかできない。
これまでなのか。
ここで終わるのか。
一矢も報いることができず負けるのか。
あの時のように。
強くなったはずだった。
あの時よりも。
それでも、まだ足りないのか。
また負けるのか?
イヤだ。
もう、負けたくない。
もう、負ける訳にはいかない。
立ち上がれ。
いつでも悠然と。
大地を踏み締めて叫ぶんだ。
最後まで諦めない。
ゼッタイに―――――!!
突然、パテトの身体が淡い紫色に輝き始めた。
その光は徐々に強くなり、全身が紫に発光する。
しかし、そこにユニコーンが襲い掛かり、角の攻撃によってその光が消滅する。
一体何が起きたのか?
シャルルが何かに気付き、パテトに向かって拳ほどの大きさがある魔石を投げた。
「パテト、それを食べろ!!」
魔法も使えないパテトに魔石など必要ない物であるが、それを受け取ったパテトは魔石に齧り付く。取るに足らないことだとは思いながらも、ユニコーンも黙って眺めてはいない。早く終わらせて、早急にシャルルの相手もしなければならないのだ。
パテトは右手で魔石を持っているため、殆ど攻撃も防御もできず、その身体を深紅に染めていく。それでも、前蹴りを受けて後方に飛ばされた瞬間に、全ての魔石を胃袋に流し込んだ。
すると、普段魔力など感じたことのないパテトにも、身体に漲る力の脈動を感じた。力の奔流が身体の隅々まで駆け巡っているようだった。
次の瞬間、パテトの身体から再び紫の光が放たれる。今度は一気に光度が上がる。髪が腰の辺りまで伸び、紫色であった瞳が金色に輝き始めた。そして、僅かに口から見えていたはずの犬歯が剥き出しになる。
その姿は犬などではない。
紫に発光し、金色に輝く瞳を持つ猛獣―――それは、フェンリル以外には存在しない。
神獣フェンリルである。




