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堂々同道

 籠に揺られて江戸の町をお虞が進んで行く。

 脇には同心である藤が従い、着いた先はと言えば江戸の町でも一際賑やかな日本橋であった。

 その表通りより一本奥に入った場所に籠が止まると藤がぶっきらぼうに言うのである。


「着いたぞ、降りろ」


 目の前には程々に賑わいを見せる茶店があり、客の間を店の娘が慌しく行き交う姿が見える。


「では行って来い」

「は?」


 お虞はそのあまりに短い言葉に同心・藤の顔を見つめ返した。

 すると藤が声に出した。


「どうした? 茶屋に奉公に上がるのがお前の望みじゃ無かったのか?」

「で、でも」

「どうした?」


 顔を俯くお虞を藤は下から見上げるように見つめると、横に逃げるその頭を両手で押さえて詰問した。


「なにをしている? お前が望んだのだろう、違うか?」


 それにやっとの事でお虞の出した言葉は、


「恥ずかしい…」


 その一言だった。


 言葉にお虞の顔を押さえていた藤の両手が離れる。お虞もそれでこの恥ずかしさから開放されるかと思えば、それはとんでもない間違いであった。

 藤は茶店に一人で向かうと、あろうことか大声を張り上げたのだ。


「たのもう! この店の主人に用が在って参った! それがし寄場奉行配下の同心、藤実秋である! それがしの推挙する女子おなごを一人、この店に雇って頂きたい!」


 それを聞いて唖然とする客たち。そしてその視線が藤の後ろ、お虞に注がれた。


『顔から火が出るなんてもんじゃない!』


 同心・藤の他人の心などかえりみない行いに、お虞はこの時、燃え上がるような恥ずかしい気持ちに包まれたのである。



 籠に揺られるお虞に同心・藤が問い掛けた。


「おまえ、やる気があるのか?」


 お虞が答えた。


「幾らなんでも酷すぎます! いきなり人前で、大声で、あんな事をされたらどうしていいのかわからなくなるじゃないですか!!」

「おまえが自分で動かないからだ。次はしくじるなよ」

「まさか次も?!」

「ああ、もちろんだ。おまえが自分で動かないのなら俺が代わりにやってやるしかないが、どうする?」

「やります! 自分でやりますから、次は手も口も出さないで下さい!」


 お虞は結局先の店では断られたのだ。

 理由は店の主人の胸の内だが、この同心・藤の行いが多分に絡んでいるだろうとお虞は思うのだった。


「次はあそこの店だ。同心仲間の下調べによれば、あそこは女手が無いそうだ」

「下調べって、調べたのですか?」

「お上を舐めるな」


 聞けば奉行所は配下の者を使って江戸中の店々を調べたそうである。同心・藤はそれに従い江戸中の店を順に端から当たるつもりのようである。


「片っ端からって、店の主には声を掛けてあるのですか?」

「馬鹿いえ、俺たちゃ口入屋じゃねぇんだ。てめぇの道はてめぇで切り開きやがれ。行かねぇんなら俺が行って…」

「行きます、行きます! 自分で行きますから…」


 お虞はそう応えると同心・藤を残して歩みだす。もう、先程のような恥ずかしい思いをしたくはなかったからである。



 日本橋を皮切りに、尾張町、越前堀、永大橋を渡って深川を制覇・・したお虞一行はそれでもめげじと両国橋を渡ると馬喰町に入った。


「生憎ウチでは…」

「無理を言ってくれるでないかい、此処は見世物小屋じゃないんだよ!」


 店の主達の対応も十人十色。礼儀正しく断る者、あるいは喧嘩腰で追い出しに掛かる者など様々であった。

 もちろんその全ての店々からお虞は首を横に振られたのだが、ここまで恥をかいたのならと開き直り、次は神田の町へと、差し掛かったその時。


「もうだめだ、ついていけねぇ…」


 そう弱気な声を上げると、あろうことか駕籠舁きが情けなくも駕籠を下ろしたのである。


「おう、おめぇ達どうした?」


 同心・藤が振り返って駕籠舁きの二人に声を掛けるが、ふたりは駕籠をおろしたまましゃがみ込み、藤を見上げてはなさけなく手を顔の前で振るのである。


「もう勘弁してくだせぇ、重くてどうにも体が利かねぇや」

「もう駄目だ、脚が震えて言うこと聞きやがらねぇ…」


 その情けない姿の駕籠舁きを見て、藤は言った。


「なんでぇ、まだ半日だぜ。約束は今日一日のはずだが駄目なのか?」

「旦那、もう許して下せぇ。最初は俺たちだって女だからと軽い気持ちで返事をしたんで…。ところがこうも重い、倍もありそうな大女が乗っかるたぁ思いもしませんで…」


 倍も重い大女。その言葉にさしものお虞もカツンと来た!

 駕籠を飛び出し駕籠舁きを睨みつける! が、しかし、二人の哀れな姿を見て思い止まったのである。

 地べたに腰を下ろした二人は汗まみれ。下からお虞を見上げるその顔には精気もなく、落ち窪んだ両目は哀れみを乞うかのように力なくお虞を見つめていたのである。

 然もありなん。二人の駕籠舁きは男でこそあるものの、その身体つきはお虞より遥かに小さく、そして細い。歳こそまだ中年の域にかろうじて乗った頃であるものの、そのお虞より遥かに貧弱な二人が半日江戸の町をお虞を担いで廻ったのだ、こうなるのも判る気がすると、お虞も納得した。


「おう、おめえ達、ご苦労だったな。少ねぇがコレ、取っといてくれ」


 そう言い藤が二人に賃金を払うと、二人は駕籠に掴まりながらようやくに立ち上がると、ふらつく足取りのまま、空の籠を担いでふらふらと帰っていった。


 それを黙って見送るお虞に同心・藤が声を掛けた。


「おい、行くぞ!」


 声に振り向けば、同心・藤は既にお虞に構わず歩き出している。その姿に遅れまいと急ぐお虞の脚がもつれた。もつれる脚をなんとか建て直そうと掴みかかった藤にそのまま圧し掛かると、これをかろうじて藤が倒れるのを押さえ込む。


「きゃぁ~!」

「きゃあじゃねぇ! この大女」


 お虞は慌てて藤から突き放すように離れるのだが、その拍子に今度は藤が一間ほども後ろによろけ出す始末。その様子にお虞は自分が何をしたのかに気付くと、


「すいません! すいません!」


 と大きな体を直角に曲げて何度も謝るのだが、その大きな体を手で差し止めると藤が言う。


「もういい、皆が見ているじゃないか、みっともねぇ…。それよりなんだって毛躓いたんだ? まさか駕籠無しじゃ歩けねぇなんて情けねえことは言わねぇだろうな?」

「ご免なさい、近頃じゃこんな着物姿で出歩くことなんて無かったもので、裾が脚に絡み付いて」


 そう言ってお虞は今度は自らの着物の裾をはしたなく捲り上げようとするのだが、慌てて藤がそれを止めさせた。


「この馬鹿女が! みっともねぇマネするんじゃねぇ! 寄場の中じゃねぇんだからもっとしんなり歩きやがれ」


 そう言うと背中を見せて再び先を行くのだが、その速さは先ほどよりは少し抑えたお虞の脚に合わせた速さであった。


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