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出世の坂をお百度参り

 霜月の冷たい夜風が夜空を益々冴え渡らせる。

 杜の隙間から降り注ぐ蒼い光の柱が幾筋もに連なり人無き道を照らし続ける。

 その静寂な杜に踏み入る者が居た。

 歳若い娘が下より石段を見上げている。暗い杜にぽっかりと開いた月影の回廊を、娘はしばらくの時をその石段をただ何する事無くじっと見上げていると、決意を固める。


「よし!」


 聞く者も無い夜の闇に、そう声が響いた。

 すると娘は目の前の石段を駆け上っていく。シュタシュタと足音を夜の杜に響かせて、途切れる事なく乱れることなくそれは八十五段を踏み越えその頂上、石段の上に一旦止ると更に奥へと進んでゆく。

 そして遂には社殿の前へと達すると、パンッパンッ、二度拍手の音が夜のしじまに響き渡った。



 月が明るく夜を照らしている。

 薄い光に青白く浮かび上がる急な石段、八十五段に渡るその石段を娘はもうどれほど踏みしめ往復した事だろうか。

 途中で数を忘れては成就もままならぬと、娘は本殿脇に小石を算盤のように並べて置いてはいたが、疲れに朦朧とした娘の頭ではその数を思い出そうとしても既に数さえ思い浮かべることも叶わない。

 鉛の如くに重さを増した両足が、心に鞭をくれても何度もその場に根を下ろそうとし、あるいは足元に鎮座する石段の一つとなってこの場に体を留めようと躊躇(ためら)った。

 山犬の如くにハァハァと息は乱れ、徳利から流れ落ちる酒のように心の臓は落ち着きを見せずに速い鼓動を刻みつづける。

 大きく、何度も息を吸い、吐いて、早打つ心の臓の落ち着く様を待ち、半ば落ち着いたならば再び心と体に鞭を打つ。

 そして娘はまた一歩、一歩と石段を踏みしめ成就を願って道を歩みだす。

 そして遂になんとか石段を登り終えると、娘は鉛の脚を止め、腰に手を当て天を仰ぎ見る。


『時間はまだ十分に有る。夜空に満月が昇っている間は大丈夫』


 月は今まさに天頂に有り、今しばらくは猶予の時がある。娘は天を仰ぎ見た顔を再び目の前に続く石畳へと返すと、月明の道を前へと再び歩みはじめる。



 あれからもうどれほどこの急な石段を上り下りしたことだろう。疲れに無意識に前に突き出されたアゴからは汗が雫となって滴り落ちている。湿り気を大分に含んだ着物からは、光に翳したならばきっと湯気が霞の如くに立ち昇って見える事だろう。

 常州の山育ちの健脚を持ってしても苦行どころか拷問とさえ言える無謀な行いに意思は挫かれ、何度も止めようかと気持ちが揺らぎだす。

 その度に娘は自分の身に降りかかったあの辛い出来事を思い返し、激情憤怒の心に油を注ぎつづけるのだが、それでも当に限界を超えた体は二本の脚で立つことも最早容易ではなく、四足の獣どころかイモリのように地べたを這い進む有様であった。

 気持ちについて行けなくなった体を少し休ませようと、石段の上にゴロリ体を預けて天を仰ぎ見る。

 天高くに上っていた月の姿は既に左右に聳える杜の木々に隠れて見えなかった。


『もう時間が無い!』


 湧き出す焦る気持ちでなんとか昇りきった石段を、脚を引きずるように社殿へと向かう。そして目印に置いた石を一つずらそうとして気が付いた。


『石が一つ足りない』


 霞む眼をしっかりと見開き、薄暗い闇に浮かぶ灰色の小石を睨みつけ、そうしてようやく足りない訳に気が付いた。

 途端に心には爽快な気持ちが湧き出し、それとは裏腹に体からは力が抜け落ちそうになる。

 ふらつく体を気持ちで起こし、拝殿に向き直って背筋を伸ばすと二礼二拍手、心に願い事を思い浮かべた。


『どうか、魅力ある女にして下さいまし、男達が振り向くような、飛びっきりのいい女にして下さいまし!』


 心に強く願いを込め、娘は両の掌を擦り合わせながら深々ともう一度お辞儀をする。娘はそうしてしばらくの間、腰を折っていたのだが、むくりと起き上がると今度は少しばかり肩を落とし、俯き加減に社殿を後にする。

 娘の胸中に湧き出す気持ちは、後悔であった。


『あぁ、何故こんな馬鹿な事をしているのだろう。お百度参りをしたからといって、自分が好い女になどなれるはずも無いのに…』


 事を成し遂げた! と、胸の内に湧き出した達成感は願いを掛けるうちにそっくりそのまま嫌悪の情へとひっくり返り、自分を取り巻く現実の姿に思いを寄せては益々心は暗く沈んでゆく。

 垂れだす涙と鼻水に顔を上げ、天を仰ぎ見る。

 すると、天空に白く輝く光がひとつ。流れ星!

 咄嗟に先程までの暗い、鬱屈した心の思いを振り切ると娘は祈った!


「好い女になりたい! 男達の誰もが振り向く、花魁よりも美しく、大名家の姫様さえも霞むような好い女に! そうしたら、武家に養女に入り、その後は旗本御目見の家に嫁に! いえ、それじゃ贅沢できないから…大店の主人の下へ嫁に入り、好きなだけ贅沢を……」


 夜空に光り輝く流れ星は願いを拒むような一瞬の輝きではなく、願いを幾ら掛けても消えるどころか益々その輝きを増して行く。

 いや、それどころか女の周りを眩い光りに包み込むと、女の意識さえをも白い光の輝きに溶かしていったのである。



 薄暗い部屋に娘は意識を取り戻した。霞む眼が徐々に物の姿を映し出す。

 そこは淡い光が古びた骨色に薄ぼんやりと壁を照らす部屋。娘は耳を澄ますと周囲を伺った。

 心に不安を呼び起こす低い唸りが聞こえる。時折聞こえるカチャリといった物音に人の気配を感じると、ゆっくりと辺りをうかがった。

 だが、顔を動かす事ができない。いや、それどころか体全体がまるで金縛りにあったかのように身動き一つできず、動くのは僅かに瞼だけだった。


 娘の目に唐突に浮かび上がる幾つかの人影が映った。力強く張った両肩、その大きな体は七尺以上もあるだろうか。いや、薄暗い中よくは見えぬがそれはおそらく男なのだろう、見たことも無い無骨な姿はまるで唐天竺の仏像のような甲冑姿にも見える。

 ざんばらに左右に分かれた髪はまるで戦に望むお武家様のようでもあり、異様な恐ろしい顔は…、面を付けているのだろうか?


『ひょっとして、この方達は天狗様?』


 その時、女の頭の中に明瞭に声が響き渡った。どこか不思議な声、はっきりと聞こえるのに意味の判らぬその言葉によくよく注意を傾けると、何かを自分に求めているような気がしてならなかった。


「…与え… …」


 僅かに判った気がした言葉。与える? ひょっとして願いを? じゃあ、本当にあたしの願いを叶えてくれる為に!

 そう思った女は再び強く願いを思い描いた! 目の前の天狗達は互いに顔を見合すと小さく頷いたように娘には見えた。そして娘の意識は再び闇の中に落ちてゆく。底なき漆黒の闇の世界に染まっていく…。




「おい! むすめさん、大丈夫かい? しっかりおし!」


 境内の道の上、ゆさゆさと体を揺り動かされた娘は意識を取り戻すと目の前の初老の男の顔をしばらくの間見つめ続け、ハッと気が付くと辺りを見渡した。


「大丈夫かい?」


 目の前の、目を細めて心配そうに見つめる気の良さそうな初老の男の顔に、娘は再び目を向けると相手は本当に安心したとばかりにウンとひとつ頷きその場に立ち上がった。


「何があったかはしらないけれどどうやら大丈夫なようだね。親御さんが心配しているといけないから、早くお帰りなさい」


 男はそう言うと興味も失せたとばかりに社殿の方へと歩き去ろうとするのだが、その脚を娘の声が呼び止めた。


「もし! できれば改めてお礼を…」


 だが娘が言い終わるより早く男は手を一つ挙げるとそれを挨拶の代わりにと再び道を歩きだすのである。娘は、尚も相手を引き止めようと声をあげた。


「あのぅ! わだっしの顔を見て、なんとも思いませんか?」


 返された返事は娘にとっては信じがたいものであった。


「ああ、別になんともなっていないから大丈夫、きちんと目鼻は付いているよ。ささ、あンたも仕事がおありだろ? 急いだ方がいいんじゃないかね」


 そう言うと男は本当にこれが最期とばかりに、それ以上は後ろも振り向かずに奥の社殿の方へと行ってしまった。


 娘はその後姿を呆然と見送ると、すっくと立ち上がるや先ず両手で己の顔を撫でてみた。

 そうして鼻や目の輪郭、アゴの形などを確かめてみるのだが、触った感じはそれはいつもの自分の顔と大差無いもの。ならばと急ぎ神社の手水に向かうと己の顔姿を水に映してみたのである。

 そこに映った姿は金魚の如くにまん丸に見開かれたギョロ目玉、額から繋がって伸びる大きな鼻に熱く大きな唇が続き、相も変わらず尖ったアゴも健在である。

 それは見紛うこと無き元からある自分の顔であった。


「夢…だったの? あれが夢? お参りの途中で倒れて見た夢だとでも!」


 娘は飛脚もかくやと言わんばかりの健脚で石段を駆け上がった。慌てて逃げ出す先程の初老の男に構うこともせず、昨夜、目印にと並べておいた小石を探してみるのだが奇妙な事に並んだ小石は無くなっていた。

 ならばと再び脱兎の如くに取って返し、昨夜のあの不思議な流れ星を見た参道は此処等辺りかと見当をつけてみるものの、其処にも変わった様子は見つけられなかった。


『あれは本当に夢だったの? 自分の願望が夢となって現れたとでも? みっともなくも、お参りの途中で疲れ果て、眠りこけてしまうなど! しかもこの寒空に野宿して体に疲れも無いどころか爽快でさえあるなどと皆に知れでもしたら、なんと陰口を言われる事か!』


 娘は急な石段を飛ぶように駆け降りた。脱兎の勢いでその場から逃げ出したのである。


とりあえず始めてみましたが、不人気打ち切りエンドもありえます。

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