第8話 ワスレナグサ 〜私を忘れないで〜
花子の家が見えてきた。
家前にあるトラックは、大きな荷物を詰め込むと、そのまま走って行った。
花子はそれを見ている。
僕は持てる最大限の声を出した。
「花子ぉぉぉお!!」
花子は身体をビクッとして、此方に驚いた顔で振り向いた。
僕は猛スピードで走っていた足を、急には止められず、流れる様にゆっくりと止まった。
膝に手を着き、疲れ果てた身体を一瞬だけ休める。
花子は、僕の疲れ果てた様子を見て心配してくれた。
息が落ち着いた所で、姿勢を戻して花子の正面に向かう。
「先生から聞いた……」
「何で来たの……このまま、私は!」
「馬鹿野郎! 何で言ってくれなかったんだよ!」
響き渡る程の声を荒げて叫んだ。
どんどんと湧き出てくる感情を制御する事が出来ない。
馬鹿野郎は僕の方だ。
花子の悩みに気付いてあげられず、守ってあげられずに、自分の不甲斐なさに腹が立ってしょうがない。
「ごめんなさい……」
「僕の方こそ……ごめんな」
僕は花子を強く、優しく抱き締めた。
花子は照れている。
僕もその反応を見て、思わず恥ずかしくなった。
花子の温もりを直に感じ、このまま何処にも離したくなかった。
ーーーそれは叶わないという事は分かっていた。
「何も分かってなかった。馬鹿だからさ……!」
僕は、溜まった涙が零れ落ちそうになり、上を向いて堪えた。鼻水を啜るのは寒さのせいにしておこう。
「怖かったの……蓮を悲しませる事が」
俯いてポロポロと涙を落とす。雫はアスファルトに落ちて滲んでいく。
僕は花子の頭を手でポンポンと優しく叩いた。
「生きてさえすれば会えるだろ? 同じ世界にいるんだ」
そうだ、僕達はこれで終わりじゃない。
「うん……! 私、本当に馬鹿……!」
「僕も馬鹿だ……大馬鹿だ」
僕達は泣いた。そして笑った。
この時が永遠に続いてくれたら、どれだけ素晴らしい事だろう。
花子もそう思ってくれていたら嬉しいと思った。
「待ってるから。あの花屋の前で!」
「本当に?」
花子は嬉しそうだった。
泣きすぎたせいか、しわくちゃな笑顔だ。
だけどそれが、僕にとっての最高だった。
「ああ、約束だ」
僕も同じく、しわくちゃな笑顔を返す。
「これ!」
花子は照れながら、花と手紙を僕に手渡した。
その花の名はワスレナグサ。
ーーー花言葉は
『私を忘れないで』
忘れない。忘れるはずがない。
「僕も……」
僕は手に持っているシオンを手渡した。
「うん……ありがと!」
花子の笑顔は、作った笑顔なんかでは決してない。
それを見て僕は少し安心した。
最後に言わなければいけない。伝えなくてはいけない。
ーーー好きだという事を
「実は……僕!」
すると花子は、僕の唇を人差し指で抑えた。
「それ以上は言わないで……ね?」
僕は言われるままに口を閉じた。
花子の目を見る。花子も僕の目を見る。
言葉なんて無くても分かる。想いは全部伝わっている。
すると、一台の車が此方に向かって来た。
目の前で止まり、車から降りた男性は言った。
「行くよ」
「うん……」
花子は、その男性の言う通りに車に向かった。
どうやら花子の父親の様だ。
本当は行って欲しくない。
連れ去って何処か二人でーーー
何て考えは自分の心の片隅に押し殺した。
「またな!」
『また』それは再会の誓い。
花子は「またね」と言うと車に乗り込んだ。
次がある。また会える。
すると車から降りた花子の父親は、僕の方へと歩いて来た。
「君が蓮君だね? 花子からいつも聞いているよ」
僕は花子の父親を見上げると、申し訳なさそうに悲しげな顔をしていた。
「君の話をしている時の花子は、凄く元気でね? あんな花子を見るのは初めてだったよ」
そう言うと眼鏡を外し、真剣な顔へと変わった。そして、強く僕の手をその大きな手で握った。
「娘を、どうもありがとう……!」
僕はこの人が良い人で、花子の事を愛しているのか、良く分かった。
花子の父親も車に乗り込み、走り出した。
車の窓が開き、花子が顔を出す。大きく手を振っている。
(待ってくれ)
声には出さなかった。出せなかった。
高嶺の花が去っていく。手を伸ばしても届かない。
追いかけて、体力が限界を迎えると車は駆け抜けていった。
二人を乗せた車は、目に見えないくらい遠くに行ってしまった。
その道を一人で見つめる。
「行っちゃったか……」
帰り道を今度はゆっくりと歩いた。今までの思い出が蘇ってくるようで、しんみりとした。
そして、学校を抜け出した事を思い出した。
だが今更戻り辛いという事もあり、今日は行かない事にした。
今日、僕は初めて学校を休んだ。