第31話 キスツキ 〜私は明日消えるだろう〜
お墓には「橘 梅子」と彫られている。
あれから一ヶ月経った。俺と百合は今日、梅子おばさんのお参りに来ている。
百合はウメの花を添えた。
花言葉は「高潔、忍耐」
気高く立派で、最後まで耐え凌いだ心の強い彼女にはピッタリの花だった。
目を瞑り手を合わせて、黙想する。
梅子おばさんは幸せ者だと思う。孫娘がこんなにも想ってくれているのだから。
(どうか安らかに眠って下さい)
百合は長い間、目を瞑っていた。
どうやら伝えたい事が沢山あるのだろう。この時間を邪魔してはいけないと、俺は百合を見守る。
「お婆ちゃんは幸せだったのかな……?」
百合は目を開けて、そう言った。
不安そうで、不安定な心。今の百合はそういった状態だという事が表情を見たら分かる。
まだ気付いていない。自分がどれだけ愛されていたかという事を。
「どう見ても、幸せだったと思うよ」
親や記憶を百合にとって、孫娘を失った梅子おばさんにとって、お互いはどれだけ大きな存在だったか。大切だったか。
それを失った今の百合には、そんな存在が必要なんだ。それに俺はなれるのか。自信は無い。
いや、なれるのか、じゃない。なるんだ。約束したのだから。
これからも百合の側にーーー
いれるのだろうか。
前から感じていた。考えていた。
花子と百合。二人の存在は、どうすれば良いのだろう。二人の居場所は、何処なら良いのだろう。
それは俺が出すべき答えでは無い気がした。これは二人の問題だ。
花子と百合、この二人が何処かで逢えた時、自ずと答えは見つかるはずだ。
今日は百合には俺の家に来て貰う事にした。
一人にする訳にはいかなかい。少しでも二人の時間を味わいたい。寄り添っていたい。そう思った。
家に着くと電気が点いている事に気付く。
扉を開けてリビングに入ると、キッチンには当然の様に柚樹さんがいて、料理を作っていた。
「お帰り蓮ちゃん~! あ、百合ちゃんも!」
「お、お邪魔します……」
百合には椅子に座っておいて貰って、俺はトイレに行くと言ってその場を離れた。
向かうはトイレではなく、キッチン。柚樹さんの元へ向かう。
「柚樹さん、前言った事……」
「ああ、任せといて?」
柚樹さんは俺にウインクを飛ばす。それは小悪魔的な可愛さなどではなく、恐ろしい悪魔的なものだった。俺は悪寒を感じ、柚樹さんから離れる。
実は前もって百合が今日来る事は話していた。百合が梅子おばさんの事で悲しんでいる事を伝えておいた。また、余計な事を言って、地雷を踏むかもしれないからな。
どうやら柚樹さんは覚えてくれていたので安心した。
すると百合が此方にやって来た。
まずい、聞かれてしまったか。
「さっきの話……聞いてた?」
「いいえ? 何の事ですか?」
セーフだった様だ。安心してホッと胸を撫でる。
「私も手伝わせて下さい!」
「あら、悪いわね~。じゃあお願い」
百合は長袖をめくり、髪をゴムで巻き上げポニーテールとなった。やる気満々といった感じだ。
俺は食器を運んで準備をしている間に料理は完成した。
「百合ちゃん料理上手ね~! 良いお嫁さんになれるわ!」
「いえ、そんな……」
良いお嫁さん。その言葉は、俺を妄想の世界へと誘う。
百合がお嫁さんだったら、幸せな家庭が余裕で想像付く。そこに花子もいて、二人にあーんなんてされて。
俺は両脇に花子。贅沢な話だ。
美味しい料理を食べ、話は盛り上がり、その夜は楽しいものだった。時間が経つのが早く感じる。
「それじゃあ私はこの辺で……」
柚樹さんは今日は珍しく大人しいと思っていたが、最後の最後で特大の爆弾を落とした。
「泊まっていきなさいよ! ねえ蓮ちゃん?」
「え……そ、それは……」
動揺を隠しきれない。まさか、両想いの男と女が一つ屋根の下、そんな状況が今日だとは思いもしない。まだ心の準備が出来ていないというのに。
「で、でしたら……お、お言葉に甘えて……!」
あんな恥ずかしがり屋な百合から、その様な返事がくるとは思っていなく驚いた。よく見ると百合の目の焦点が合っていない。恥ずかしさのあまり、パニックに陥っている様だ。
流石に同じ部屋はおかしいので、百合は俺の部屋で寝て、俺はリビングで寝る事にした。
「じゃあ、お休みなさい」
「ああ、お休み」
百合が俺の部屋へと入ろうとする。
「百合!」
「蓮、どうしたの?」
「また明日な」
「うん。また明日」
何故か言いたくなった。寝る前にまた明日だなんておかしいけど、今言わなくちゃいけない気がしたんだ。
明日がある。その安心が欲しい。当たり前が欲しいかったんだ。
なのに百合は、俺がその言葉を口にすると、悲しい面影をチラッと見せた。
いや、考え過ぎだ。俺は怖がりになり過ぎている。変な考えは振り払って消し去った。
百合は部屋へと入って眠りに就いた様だ。
柚樹さんはココアを一つ用意してくれた。俺は受け取って飲んで一息つく。
「良い子ね? 百合ちゃん」
「はい。本当に」
「大事にしなくちゃね~」
柚樹さんもココアを飲む。
これからの事はこれから考えていけば良い。一緒に考えてくれる人がいるのだから。
「夜も遅いし、そろそろ寝なさい」
「そうします。お休みなさい……」
「また明日」
その言葉が百合への最後の言葉となる事を、俺はまだ知らなかった。




