第24話 クローバー 〜約束〜
「蓮……どうしたの?」
百合は不安そうな顔で俺を覗く。
それはそうだ。いきなり意識を取り戻すと、目の前には泣いている男がいるのだから。
「花子が……いたんだ」
「え? 高嶺さんが……?」
何処にいるのかと、百合は辺りをキョロキョロと見渡す。当然見つかりはしない。
だって、そこにいるのだから。
「そこだよ」
俺は百合に指をさした。百合は自分の身体を見る。
百合の表情は難解な問題を考えている様で、理解出来ていない様子。
「それって……どういう事?」
お前が、花子なんだよ。
そんな事を言ったら、百合はまたパニックに陥ってしまう。俺はその浮かんだ言葉を揉みくちゃに消し去った。
「いや、忘れてくれ……」
すると、百合の元に一本の電話が掛かってきた。
百合はポケットから携帯を取り出し、開いて相手の電話番号を見る。
「相沢病院からだ……」
百合は顔色を変えた。ゾッとした様な、恐ろしい何かが百合の頭の中で浮かんでいる様に思えた。
百合は恐る恐る電話を繋げ、携帯を耳に当てる。
「もしもし……」
「橘 百合さんのお電話でお間違いないでしょうか!?」
「は、はい。そうです」
「落ち着いて聞いて下さい」
どんどん百合の表情が深刻なものになっていく。どんな事を話しているのか分からないが、良い話では無いのは確かな様だ。
「梅子さんが病院に運ばれました。病院に来て下さい」
「す、すぐ行きます!!」
百合は繋いでいた電話を切る。
「蓮! どうしよう。梅子お婆ちゃんが……お婆ちゃんが!」
「落ち着いて! 取り敢えず、病院に急ごう!」
俺達は水族館を後にし、病院へと急いで向かった。
相沢病院に着くと、受け付けのナースが俺達を見つけて、梅子おばさんの病室を教えてくれた。
それを聞いて一目散にその病室まで向かう。
「303号室 橘 梅子」確かにそう名札に書いてある。
それを見て、やっと現実味が湧いた。
「梅子お婆ちゃん!!」
百合は弱々しも、大きな声で呼んだ。その声は悲しみに帯びている。
「百合かい? 大丈夫……階段から落ちただけだよ」
「良かった……ビックリしちゃった」
違う。大丈夫なんかじゃない。あれは百合にバレたくないだけで、痩せ我慢している。
「今日は少し……ゆっくりしたいから。わざわざ、すまないねぇ」
「ううん。また明日来るから!」
「お大事になさって下さい」
俺達は病室から出ようとすると、梅子おばさんは俺の腕を掴んだ。何の力も入ってはいない、弱々しい手だった。
「あんたは残りな」
「え、俺ですか?」
梅子おばさんは真剣な眼差しを俺に向ける。何かを覚悟した目だった。
百合は出て行って、この病室には俺と梅子おばさんの二人になった。
「あたしの言い付け、無視したね?」
「あ……いや、その……すみません」
そうだった。百合と会うなって言われていたんだった。
何で会ったらいけなかったんだっけ。
「あの娘、最近凄く笑顔が多くなってね。そうじゃないかって思ったよ」
梅子おばさんは怒るどころか、微笑んでいた。
「あんた、もう知っているんだろう?」
「百合の……事ですか?」
そう言うと、梅子おばさんはコクリと頷いた。
「あんたには話さなくちゃあいけないね……」
ゴホッ、ゲホッ!
梅子おばさんは咳き込む。
「大丈夫ですか!?」
背中を撫でようと手を差し伸べるが、その手は振り払われた。
相変わらず頑固なばあさんだ。かなり歳老いているから仕方ない事かもしれないが、弱い自分を見られたくないんだろうな。特に百合には。
「あの娘は……津波に巻き込まれそうになって、たまたまあたしが見つけて必死に助けたんだ」
それは、俺が見たニュースと同じ。花子が死んだと言われた事故の事だった。
「家まで連れて帰った。この娘は記憶は無くなっていて、それで良いと思った。父親を失った悲しみを知らずに済むと思ってね……」
そういう事だったのか。花子は消えたんじゃない。梅子おばさんに助けられ、姿を消していたんだ。
「そして、この娘に百合って名前を付けた」
何で、百合なんだろう。
その答えは直ぐに教えてくれた。
「死んだ孫の名だよ」
「え……?」
「我が儘だろう? 勝手に都合良くこの娘を孫にしたんだ。あまりにも似てたもんでねぇ……」
梅子おばさんの目から涙が溢れ落ちる。
「あたしは、最低だよ……」
一緒だ。俺も寂しさのあまり百合を花子に重ねた。
俺は梅子おばさんに何も言えない。
「彼女は百合ですよ」
「違う! あの娘は……」
「貴方は百合のお婆ちゃんです」
簡単な事だ。俺から見ても分かる。血が繋がってなくても、二人はちゃんと繋がっている。
「そうだね……そうだった……」
梅子おばさんの顔色が漸く晴れた。ずっと罪悪感を背負っていたんだ。
そして再び、決意の目となる。
「私はもうじき死ぬ」
「そんな……! 悲しい事言わないで下さい……」
「柊木 蓮!!」
ゲホッ、ゴホッ。また苦しそうに咳き込む。
今に倒れてもおかしくない。そんな状態だ。
それなのに、必死に伝えようとする。百合への愛に対する熱意がそうさせるのか。
「そしたらあの娘を、百合を頼んだよ……」
そう言うと梅子おばさんは、俺に背を向けながら横になって布団を被った。
「約束します」
自分の身体は自分が一番良く知っていると言う。梅子おばさんは知っているんだ。自分がもう長くない事を。
悲しませたくない人がいる。守ってやりたい人がいる。
俺はそんな彼女の気持ちを、踏みにじる事は出来ない。
その言葉の重さを知った上で、決意を固める。
彼女の明日が亡くなるまで、胸に刻もう。
読みかけの本に挟まっているしおりには、クローバーが描かれていた。




