第15話 ヒマワリ 〜貴方を幸せにする〜
日本に帰って来てからというもの、柚樹さんは毎晩、ご飯を作りに家に来てくれる。
あの料理は、俺の心の傷を少しづつ癒してくれた。柚樹さんには感謝しかない。
ただ、どれだけ美味しい料理を食べても、ぽっかり空いた心の穴を埋める事はそう簡単ではない。
埋めれるとしたら、彼女しか……。
駄目だ。俺が好きな人は花子だ。花子だけなんだ。
頭の中に浮かんだ人影を振り払った。
俺は今日、始めて花屋に行く事は無かった。
今まで何年間も守り続けてきた約束を破ってしまった。
何故かと言うと、百合に会うのが怖かったからだ。
百合に会ってしまうと、花子を忘れてしまう。
そして、百合を好きになってしまう。そんな気がした。
今は12時。柚樹さんは何処かにお出掛け中。
外は土砂降りの雨が降り注いでいる。テレビは興味の無いものばかり。
この状況、はっきり言おう。
「暇だ」
やる事が何も無い。
今頃みんなは中学生の内に忘れまいと、友達と遊んでいるんだろうな。
今はもう三月。四月から俺は高校生になる。
椿や他のみんなと一緒の高校になるのが嫌で、誰も行かない高校を選んだ。
勉強は嫌いじゃない方なので、難無く受験には合格した。
しかし、高校には行きたくないのが本音だ。
もう友達の作り方も忘れてしまったし、やりたい事も無い。行く意味があるのかとつい考えてしまう。
だが学校に行かないと、今みたいに部屋で一人寛ぐしか無いのだから、行かざるを得ないのだけど。
暇なので自分の部屋に戻り、育てている花々を見つめる。それだけで何故かホッとする。俺にとっての精神安定剤だ。
すると、ベルの音が部屋中に鳴り響いた。
家のベルの音を聞くのは久し振りで、少し驚いた。
俺は玄関に向かい、扉を開ける。
「はい、どちら様で?」
そこにいたのは葵だった。
俺はドアスコープで覗いておけば良かったと後悔した。
卒業式の日、俺は葵に酷い事を言ってしまった。それを思い出し、気不味くなる。
「入れてよ」
「え、何で?」
「何? 何か見られたら困るものでもあるわけ?」
「そんなのは無いけど……」
そう言うと葵は、何の断りも無しに家に上がって来た。
(何だいきなり。まさか、まだ怒ってて仕返しに来たとか……?)
葵を取り敢えず俺の部屋へ誘導する。
コップを二つ食器棚から取り出し、冷蔵庫にある二リットルのペットボトルのお茶を取り出して、コップに注いだ。
それを運び、俺の部屋に入る。
カーペットの上に女の子っぽく座っている葵は、俺の部屋を興味深く見渡し始めた。
恥ずかしいから止めて頂きたい。
「で、何の様だ?」
俺はベッドの上に座り、そう言うと葵は此方を向いた。
葵は申し訳無さそうに、身を縮めていた。
「この前はごめんね。一番辛いのは蓮なのに、酷い事言って……」
逆に謝られるとは思いもしなかった。何でお前が謝るんだよ。
「謝るのは俺の方だ。こっちこそ……ごめん……」
「いいよ。気にしてないから!」
無言の空気が包まれる。今すぐこの場から抜け出したい。
葵を横目で見る。こうやって改めて見るのは久し振りで、昔とはかなり変わっているのを再確認した。
平らな胸は豊満へと変貌している。
男みたいに短髪だった髪も、伸びて女の子らしさが醸し出されている。
そこに葵らしさは無くなっていた。
「何見てるのよ」
「い、いや別に?」
危なかった。どう言う目で見ていたかは、バレてはいない様だ。
葵はプイッとそっぽを向いてしまうが、横顔は少し微笑んでいた。
「こうやって二人で話すの、久し振りだね」
「ああ、そうだな」
「高校楽しみ?」
「いや全然だな」
「そっか……」
この内容の軽い会話をしていると、昔を思い出す。
不思議と涙が溢れそうになった。
バレない様に袖で目を拭い、落ち着く為にお茶を飲んだ。
「高嶺さんの事、好きなんだよね?」
「ぶぶっ! な、何だ急に!」
会話の飛躍に驚き、お茶を吹きそうになった。葵に向かって吹いていたら殺されていただろう。
「見てたら分かるよ……」
確かに花子が死んだ事に、これだけずっと落ち込んでいるのは俺だけなのだから、他者からしたらバレバレなのだろう。
人の目を気に出来る様な精神状態ではなかったから、考えもしなかった。
「笑いたけりゃ笑えよ。いない人間にしか頭に無い異常な人間だって!」
「笑わない。それにおかしくないよ」
葵はいつになく真剣な表情だった。
葵は人の事を笑う様な奴じゃないって事は俺が良く知っているのに。自分の発言が恥ずかしくなる。
「そうだよ。好きだったんだ……」
好きだった。自然と過去の表現になっている事に気付く。
俺は、今でも花子が好きな筈なのに、どうして。
それに俺はもう、花子はこの世にいないんじゃないかと、心の何処かで思っている。
「高嶺さん、蓮の今の姿見たら……どう思うだろ?」
その言葉が俺の胸に刺さった。
俺のこんな酷い姿を見たら、そんなの見損なうに決まってる。
「高嶺さんの為にも、ちゃんとしなきゃ駄目だよ」
花子の為にもーーー
「ご、ごめん。私調子乗っちゃって……」
「いや、ありがとう」
そう言うと葵は、少し安心した顔で微笑んだ。
心配性の葵の事だ。二年間ずっと俺の事を心配してくれていたんだ。
それなのに、俺は……。
俺は何も言い返せなくて下を見る。
「また家に来ていい?」
「ああ、いつでも来いよ」
そろそろ気付けば夕方。お腹が空く頃だ。
柚樹さんに女の子を家に連れ込んでる事が知れたら、大変な事になる。
葵には悪いが、そろそろ帰って貰おう。
「葵、そろそろ……」
すると、部屋中にベルの音が鳴り響いた。
「蓮ちゃん、たっだいま~!」
「蓮……ちゃん?」
(まずい! 柚樹さんが帰って来た!)
葵は目を細くして俺を見つめる。完全に勘違いをしている。
柚樹さんにばれない様、葵を何処に隠すかを考えた。
「こっちだ!」
葵を急かす様に呼ぶ。
すると、慌てた葵はバランスを崩し、ベッドに向かって倒れそうになった。
危ないと思い、俺は咄嗟に葵を抱き締め、そのままベッドに倒れ込んだ。
俺達は近い顔を見合わせている。心臓の鼓動が速くなる。
「蓮ちゃん、ご飯よ~! 今日は……」
俺の部屋の扉が開く。俺と葵は同じ方向を見ている。
柚樹さんは口を開け、唖然としている。
「ご、ごゆっくり~」
「ち、ちがっ……ちょっと待ってくれ!!」
葵も一緒に、柚樹さんの料理をご馳走になる事になった。
「いや~まさか蓮ちゃんが、そんな肉食だったとはね~」
「だから! 違うんですって!」
「そうですよ! 私達はそういう関係じゃ……」
そう言った葵は顔を赤くしているが、少し悲しそうに見えた。
柚樹さんは冗談半分に言っているだけで、ちゃんと分かってくれていると思う。
しかしあの悪魔の様な笑みは、絶対俺をからかっている顔だ。
葵は顔を輝かせながら、料理を食べていた。これを食べたら誰だってそうなる。
食べながら葵と柚樹さんの二人の会話が弾んで、食べ終えた時には仲良くなっていた。
「葵ちゃんみたいな彼女がいたらね~」
「いえ、そんな!」
柚樹さんは爆弾発言を平然と放つ。俺はもう耐え切れなくなった。
「葵、もう遅いから帰ろう! 送ってやるから」
「え、うん。ありがとう」
「柚樹さんも! 今日は帰って下さいよ!」
「はーい。分かったわ」
そうして、謎の三人の食事会は幕を下ろした。
葵の家は、俺の家から徒歩五分程の距離でとても近い。
それでも俺も葵を一人で帰さないで正解だったと思う。それ程に暗い夜道だった。
今日は葵と話して、少し心が落ち着いた。
俺は葵に助けて貰ってばかりだな。
「あ、もう着いた。今日はありがとね! 柚樹さんにもよろしく伝えといて!」
そう言って葵は家の扉を開ける為、ポケットから鍵を取り出して扉を開けた。
「あのさ!」
「ん? なにー?」
「ありがとうな」
「何よ急に。じゃあね!」
クスッと笑った葵は家へと入って行った。
俺は恥ずかしくなり、頭を掻いた。
本当に良い友達を持った。お陰で今日は、色々と気付かされたよ。
花子の事は忘れられない。それで良いじゃないか。
百合は花子とは違うんだ。
日向 葵。
ヒマワリの様な眩しい程の明るさは、変わらずに咲いていた。




