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第14話 アスター 〜変化〜

 一年前になる。

 俺の母親、柊木 紫陽花しよかは厳しく、頑固な性格で笑顔を見せない。そんな人だ。

 あの冷酷さは恐ろしく、俺は苦手だった。


 そんな母の仕事は学校の教師。

 しかし突然、アメリカの大学教授になると言い出して、そのまま出て行ってしまった。

 つまり現在、母は単身赴任という事になる。

 出て行った理由は、心が失われたロボットの様だった息子に、愛想尽かしていたからだと俺は思っている。


 仕事が命の母なら、仕事の為に家を出る。そんな発言もさほど驚く事ではない。

 俺が子供の頃でさえ、一度も遊んでくれなかったのだから。


 だが、生活費はきちんと送ってくれている。それには感謝している。

 物心付く前から父親とは離婚していて、女手一つで育ててくれた事にも感謝している。

 だから俺は母には何一つ文句を言った事は無い。


 母はいつ帰って来るのか分からない。そんなそぶりを見せないので、まだ当分帰って来るつもりはないのだろう。

 アメリカに移住しちゃいました。なんて洒落にならない。

 しかし、あの母ならやりかねないので考えない様にしよう。


 まあ帰って来たら、冷めた目つきで見下されるのだから、帰って来て欲しくないという感情も無い事も無い。

 天秤にかけると五分五分といったところだろうか。




 家に帰ってくると玄関に電気が点いていた。

 消し忘れたのだろうか。


「ただいま~」


 返事は無い。

 それもそのはず、誰もいないのだから。

 一人暮らし。最初は寂しいと思った事もあるが、案外良いものだ。

 何せ一人だから、好きな事が出来る。

 まあ、そうは言っても一人で泣くか、花に水をやるかしかする事が無いのだけど。


「おっかえり~!」


 返って来ないはずの言葉が返って来た。

 まさか泥棒……?

 いや、返事をする泥棒ってどれだけ馬鹿なんだよ。それはない。

 それに何処か聞き覚えのある声だった。

 その声の主を知る為に、ゆっくりとリビングに続く扉を開けるとーーー


「ハッピーバースディトューユー!!」


 ネイティヴな発音でそう言ったのは、知らない人だった。


「久し振りね蓮ちゃん! 三年振りかしら?」

「あの、誰ですか?」


 そこに待ち受けていた人は、予想していた人とは違かった。

 何故か俺の名を知っている、その不審者の意味不明なトサカの様な髪型は、深緑色に染まっている。それがツーブロックに刈られており、何処かの世紀末にいそうな風貌だ。

 分厚い唇は、グロリオサの花の様な紅色で彩られている。

 そして終いに、赤と紫のレディース衣装。


 どうやらこの人は、最先端ファッションを通り越してしまっている様だ。

 一つ言える事が、俺とは一生センスが合う事は無いだろう。


 不審者と言えば、そう見えざるおえない風貌をしているその人と、少し距離を置く。

 こんな人、俺が知るはずがない。

 しかし、その人は予測していた人の面影があった。


「私よ私! 早乙女 柚樹!」


 その言葉をきっかけに、二人の面影が完全に一致した。

 しかし、それでも信じられない。


 早乙女さおとめ 柚樹ゆずき

 ご近所付き合いが長く、兄の様に慕っていた。

 俺の知っている柚樹さんは格好良くて、優しくて頼り甲斐のある、まさに男の中の漢。


「フランスから帰って来ました!」


 確かに柚樹さんは、三年前に料理人になるとフランスへ留学して以来、姿を現さなかった。

 恐る恐る本人かどうか確かめる為、自称柚樹さんに質問をしてみる。


「俺の……母の名前は?」

「ん? 柊木 紫陽花さんでしょ?」

「俺の好きなスポーツは?」

「サッカーだよね! 昔よく一緒にやったじゃない!」

「好きな食べ物は!?」

「アップルパイ!」


 こんな事を知っているのは柚樹さんしかいない。

 正真正銘、本物だと確信した。自称では無いらしい。

 しかし、この早乙女 柚樹は男の中の漢などでは無く、女性の格好をしている。

 ただ、ガタイの良さは完全に男なのだ。

 まさか……。

 まさかである事は明白。


「それにしても蓮ちゃん。随分男前になっちゃって~!」

「柚樹さんは……女装趣味にでも目覚めたんですか?」

「実は……女の子になっちゃいました!」


 嫌な予感は見事に的中した。

 その発言により、部屋が静まり返る。

 驚愕の事実を知り、混乱を通り越して、頗る冷静になった。


「久し振りに帰って来たら……オカマになっていたなんて……」

「オカマじゃないわよ! 女の子!」


 整形でもしない限り、このガタイと男らしい顔はそう簡単には変わらない。

 何が女の子だ。こんな厳つい女がいてたまるか。

 俺は可笑しくなって笑いが止まらなくなった。

 すると、一緒に柚樹さんも笑う。


 ハハハハハッ……。

 フフフフフッ……。


 笑い疲れると、ふと我に返った。


「何してるんですか!?」

「蓮ちゃん落ち着いて~!」

「これが落ち着いていられますか!!」


 俺は今になって漸く状況を把握した。混乱に陥り、訳が分からなくなる。

 すると、抵抗する間も無く、その豪腕に引っ張られ、椅子に腰をつかされた。


「お腹減ってるでしょ? 今、料理作ってあげるから待ってなさい!」


 お腹が鳴った。俺はコクリと頷く。

 最後にハートマークでも付いている様な言い方の柚樹さんはキッチンに立った。


 彼、今は彼女と言うべきか。

 彼女の料理の上手さは超一流で、昔よくご馳走してくれた。

 俺にとってはそれが母の味だった。

 それがフランスで腕を上げたとなると、その凄さは想像を遥かに凌駕するものとなっているのだろう。

 期待と興奮により、胸が弾む。

 芳ばしい香りが鼻に届いて来て、涎が止まらなくなる。

 料理を待つ時間が耐え切れなくなりそうだ。


「お待たせ~」


 テーブルの上に見ただけで分かる程の、豪華で美しい料理をずらりと並べる。

 それらは見た事も無い様な料理で、俺はワクワクが止まらなかった。

 これをタダで食べても良いのかと、少し戸惑う。


「食べちゃっても……?」

「何言ってんの! 今日は蓮ちゃんの誕生日でしょ?」


 言われて気が付く。

 二、三年程、誕生日を祝えてもらえる事なんて無かったものだからすっかり忘れていた。


「あ、ありがとうございます。わざわざこんな……」

「あったり前じゃない! 今迄会えなかった分、壮大に祝わなくちゃ!」


 すると、柚樹さんは俺を突然に抱き締めた。


「な、何を……!」

「ごめんね……今迄、帰って来れなくて」


 その真剣なトーンの声で、俺は柚樹さんの考えてる事が手に取るように分かった。


「いいや、こうやって帰って来たんですから……嬉しいですよ」

「そ、そう? 照れるわね……」


 オカマになっても、こういう優しいところは変わっていなくて、少し安心する。

 柚樹さんも席に着くと、召し上がれと一言。

 まずどれから食べようか迷ってしまう。


「柚樹さん、これは?」

「ズッキーニのテリーヌ仕立て」


 固まったゼリー状の中にズッキーニが入っている。それは何とも美しく、洒落ていた。

 俺は、そのご馳走を口に運ぶ。

 目を閉じて幸せを噛み締める。


(これは……!)


 トマトソースが見事にマッチしている。フレッシュな味わいの中に、このズッキーニの歯応え、食材の良さを全て引き出している。


「美味い! 美味すぎる!」

「良かった! フランスで頑張った甲斐があったわ~」


 俺は次へと移った。早く他の料理を楽しみたいのだ。


「これは?」

「キッシュロレーヌよ」


 パイ用の器に詰め込まれたキッシュは、卵とチーズの香りが漂ってくる。

 六等分に切り分けて、一つを口に運ぶ。

 卵の滑らかな舌触りと、とろけたチーズの濃厚さが、俺をフランスへと連れて行ってくれそうだ。


「パプリカのファルシよ」


 赤、黄、緑の三種類が織り成す、色鮮やかなパプリカ。ヘタの部分は切り落とされている。

 ぎゅうぎゅうにパプリカの中に詰め込まれている挽き肉からは、肉汁が零れ落ちており、それはジューシーさを物語っている。


 俺は唾を飲んだ。それを口に運ぶ。

 すると口の中で肉汁が弾けて、ほっぺが落ちそうになった。

 味の深みの底が見えない。いくつでも食べられる気がする。


 旨味を噛み締めて目を閉じると、そこには草原が広がっていた。

 柚樹さんの料理は、俺にフランスの景色を見せてくれた。これを食べていると、まるでフランスにいる気分だった。

 何て心地良いのだろう。何時迄も浸っていたい。


「ん~。おいし」


 柚樹さんは赤ワインを、ゆっくりと掻き回しながら味わっていたい。

 その姿を見て、もう大人なんだな。と、そう思った。


 そして、柚樹さんは夜を明かす勢いで、フランスから今に至るまでの積もる話をした。

 大冒険をして来たかの様に、柚樹さんの興奮したトークはノンストップで続けられた。その話はとても面白かった。

 すると、柚樹さんの様子が一変した。話題が急展開する。


「そーいえば……どーなのよ?」

「何がですか?」

「花子ちゃんよ~! 上手くいってんの? もしかして、もう告白しちゃった!?」


 そうか、柚樹さんはまだ知らないんだ。

 花子が死んだ事を。

 柚樹さんは、青春を謳歌している女子高生の様に、恋の話に対して一人で浮かれている。

 昔よく、恋の相談相手になってもらっていたから、花子の事は話でしか知らない程度だ。

 それでも、事実を言うと悲しくなるだろう。

 俺は柚樹さんに何て説明したら良いか、戸惑いを隠せなかった。


「照れちゃって可愛い~」


 そう言うと飲みかけのワインを一気飲み。

 次のワイン瓶のコルクを、軽快な音を鳴らしながら開けた。

 気が付くと、空のワイン瓶の行列が出来ている。柚樹さんの顔も赤ワインと大差ない色になっていた。


「聞いてよ蓮ちゃ~ん!」


 次は泣き崩れる柚樹さん。

 ワインって味わって飲むものであって、酔っ払うまで飲むものじゃないと思うのだが、酔っ払いに聞いても分かりやしない。


 どうやら話によると、フランスでの料理修行は上手くいってないみたいだ。

 上には上がいる。世界は広いと言う事か。

 それでも諦められない、料理人の夢を忘れられないらしい。


 すると、柚樹さんは眠りについた。

 気持ち良さそうに寝ているので、起こさない様にソファに運び毛布を被せてあげた。


 俺はベランダに出る。

 冷たい風が部屋中に入り、カーテンがひらひらと靡く。

 夜空を見上げると、月が満開に咲いていた。

 満月は俺に言う。お前が見ていた光は何たるかを。


 花子、お前も生きていたら同じ月を見ていたのかな。

 満月はゆっくりと雲に覆われて、隠れていった。

 ベランダに咲いているアスターが、風で揺らいでいる。

 ーーー花言葉は


「変化」


 俺も変わらなければならない。

 その時が、来たみたいだ。

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