第13話 ホテイアオイ 〜揺れる心〜
俺は百合を忘れる事が出来なかった。
あれで終わりにはしたくなかったのだ。
梅子おばさんの言葉ーーー
『百合に近づくな』
それが気掛かりであったが、もう一度でいいから百合と会って話がしたい。その一心だった。
すればこの曇った心も、少しは晴れると思った。
梅子おばさんの警告を無視して、百合のお見舞いへと相沢病院に向かった。
俺の家から徒歩15分。相沢病院に着いた。
彼女が倒れた日の時は混乱していて分からなかったが、こうやって病院を目の前にすると、見上げて首が痛くなる程の大きさを誇っている。
自動ドアが開き、すぐにある受付のナースに尋ねた。
「すみません。橘 百合さんのお見舞いに来たんですが」
するとナースはとぼけた顔をして、思いもしない言葉が帰ってきた。
「彼女なら今日、退院しましたけど?」
「そ、そうですか……」
俺は用が無くなったこの病院から出た。
百合とも、もう会えないのか。
いや、これで良かったのかもしれない。
例え花子と瓜二つだとしても、百合は花子ではない。
彼女は赤の他人で、俺はただ病院に運んだだけで、俺とは関係ない。
そう自分に言い聞かせた。
脱力感に襲われ、自分の身体ではない様だ。
する事も無いので真っ直ぐ家に帰ろうとした。
だが、諦めるのはまだ早い。
「もしかしたら……」
俺は方向転換して、寄り道をする事にした。
自然と歩く速度が速くなる。ついには走り出す。
馳せる想いが向かう先は、いつもの場所。
花屋に着く。
そこには予想通り、百合はいた。
「具合はもう大丈夫なのか?」
「あ、柊木さん! お陰様で……」
慎ましい言い方。
出逢ってから思っていたが謙虚さ、控えめな姿勢は、彼女のキャラクターなのだろう。
しかし気を遣っている、遠慮しているとは感じさせない。とても話し易く、打ち解け易い人だと思う。
百合は俺を見ると、喜びの表情を見せた。
その笑顔は俺の顔をバラの様に赤く染めるのには十分だった。
俺達は何かを取り戻すかの様に話し合った。
それは楽しい時間だった。こんな感情になるのはいつ振りだろう。
「この花、綺麗ですね」
「それは……」
ワスレナグサ。俺が花子に貰った花だ。
この綺麗な青色は、今となっては悲しみの色。
「どうしました?」
「え? ああ、ごめん。ちょっと思い出してて……」
そう言うと百合は興味津々に聞いて来た。
「教えて下さい。私、知りたいです!」
俺は百合の勢いに押され、教えてあげる事にした。
「これ、あいつの好きな花なんだ」
「あいつ?」
「俺にとっては高嶺の花みたいな奴だったよ」
「私もその人に会ってみたいです!」
「俺も、会いたいよ……」
百合は花子がこの世にいないという事を察したのか、俺に対して謝った。
俺がもういいよと言っても、何度も何度も謝罪は止まらなかった。
俺は百合に、花子との想い出を出来るだけ面白おかしく話した。
百合は集中して聞いてくれた。
時間は過ぎていく、気が付けば夕暮れ時となっていた。
「もうこんな時間か」
「あ、そろそろ帰らないと」
百合は話に夢中で忘れていたらしく、慌て始める。
「私、此処で待ってますから! また来てくれますか……?」
「また来るよ」
百合は俺にお辞儀をすると、早歩きで帰って行った。
「『また』か……」
花子がいなくなって、毎日生きた心地がしなかった俺だが、久し振りに生きていると実感した。
どうすれば良いのか分からない俺にとって、百合は道標となった様だ。
百合が一度死んだ俺を生き返らせてくれたのだ。
花子を忘れる事なんて出来ない。
だけど、過去ばかり見ていたらいけない。
百合といると花子が生き返った様な、楽しかったあの頃が蘇ってくる。
ーーーだけど
花屋の男が手招きをしている。
店内に入ると男はまた俺に花を手渡した。
その花はホテイアオイ。
白い花びらはほのかに紫色に染まって、それは幻想的な美しさを誇る。
花言葉はーーー
「揺れる心」
全部、見透かされているな……。
「あんた、何者なんだ?」
男は黙っている。本当に不思議な人だ。
俺は落ち着かない気持ちで家路を辿った。




