第12話 ユリ 〜純粋〜
近くで一番、施設が揃っている有名な病院、相沢病院。
彼女の眠っている病室で俺は、相沢院長と彼女について話をしていた。
相沢院長は白い髭を生やし、威厳のある印象を受ける。
その着こなしている白衣は、まるで私服かの様に似合っていた。
「彼女は二年前からこの病院の患者でして、つい最近まで寝たきりの状態だったのです。目覚めたと思ったらいきなり抜け出して……」
「そうだったんですか」
「けどもう大丈夫。彼女はもう無事です」
その言葉に安心して、ほっと胸を撫でた。
「では、私はこれで」
病室から出て行く院長に、深く感謝の意を込めてお辞儀をすると、目を細めて笑った。しわが刻み込まれていく。
すやすやと眠っている彼女。
院長は疲労だと言っていたが、彼女が倒れる時、何かを思い出そうとしていた様に見えた。
それに昔の記憶が無いと言っていた。それと関係があるのか?
花子に似ている彼女は、一体何者なんだろう。
すると、彼女はゆっくりとまぶたを開いた。
まだ状況を把握出来ていないのか、身を起こして周りを見渡す。
「……ここは?」
「病院だよ」
「そうか。私、倒れて……」
まだ混乱しているのか、彼女は何があったのかを記憶から掘り起こしている。
すると、無理に記憶を探ったせいか、苦い顔をして頭を抱える。
「無理をしたら駄目だ!」
俺は彼女の背中を支えながら、そっとベットに寝かせた。
「ありがとうごさいます。助けて下さった上に、介抱までしてもらって……」
「いや、当然の事をしたまでだよ」
頭を深く下げる。感謝の気持ちがひしひしと伝わって来た。
申し訳無さそうにしている彼女を、ベットに寝かして暫くすると、痛みが引いたのか表情が元に戻っていった。
花屋で言っていた事を聞きたいのは山々だが、今聞いてしまうとさっきの様に記憶を探って、また倒れてしまうかもしれない。
こういうのは、ゆっくりと時間をかけて思い出していくものだと俺は思う。
彼女には時間を置いてからまた聞く事にした。
すると外から、即ち廊下から何かが迫って来る音が聞こえてきた。
その音は、俺達のいる病室の前で止まった。
「百合! 無事かい!?」
勢い良く扉が開くと、そこには年老いたお婆さんがいた。
ずかずかと入り込んで来ると、彼女の肩を掴んでは、揺さぶりかけた。
「梅子おばちゃん! 落ち着いて、大丈夫だから!」
彼女は、慌てているお婆さんを、落ち着かせようと必死だ。
暫くの間、椅子に座って興奮を静める。汗ばんだ額をハンカチで拭くと、深呼吸をした。
「いやあ、寿命が縮んだよ!」
「梅子おばちゃんは大袈裟なんだから……」
「何言ってるんだい! 大事な孫が倒れて、心配しない祖母なんていないよ!」
涙ぐみながら喜んでいるお婆さんは、彼女を抱き締めた。彼女もそれに答えて、そっと受け止める。
「百合……?」
「あ、私です。自己紹介がまだでしたね」
「私が、橘 百合です」
(そうだよな……花子な訳が無いよな)
彼女からはユリの花の様に、純粋無垢そうな印象を受ける。
「で、この人が」
「橘 梅子だよ。百合を助けてくれた事には感謝するよ」
百合は丁寧な口調からは、優しさが滲み出ている。良い子感が凄く伝わって来る。
梅子おばさんは、憎たらしい頑固そうな顔をしているが、根は優しそうな印象だ。
俺は、ここは礼儀として自己紹介する事にした。
「柊木 蓮です。よろしく……」
「蓮? あんた、蓮って言ったかい!?」
「え、はい。そうですけど……?」
食い気味に、俺の自己紹介に割り込んで来た梅子おばさんは、驚愕した顔を近づけて来た。俺は少し後ろに下がる。
「ちょっと……」
突然に梅子は、俺の手を握って病室から連れ出した。
「あんた、本当に柊木 蓮だね?」
「はい。正真正銘、柊木 蓮です」
そう答えると、梅子おばさんは俯いて、何かに悩んでいる様に顔を曇らした。
「もうあの子には近づかないでおくれ……」
「それってどういう……?」
「言葉通りの意味だよ」
俺は、梅子おばさんの言っている意味が、全く持って理解出来なかった。
ただ、この人は何かを隠している。それだけは手に取る様に分かった。
「いや、でも!」
「すまんが、帰っておくれ!」
梅子おばさんは、俺を追い出す様に言い放った。
俺は何も言う事が出来ず、家に帰った。
この時、止まっていた時計の歯車は、再び動き始めた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
私には記憶が無い。
それを知ったのは、事故に遭ってから二年後の事であった。
その二年間、私はいわゆる植物人間状態になっていたらしく、その無の時間により中学三年生を卒業する時期になっていた。
目を覚ますと知りもしない現実と、知らない人達の驚きと喜びの顔が待ち受けていた。
両親が死んでいると宣告された。
だが、何故か悲しくはなかった。
私には何も知らない世界に、何より自分自身に対して、どう悲しめばいいか分からなかったからだ。
ある一人のお婆さんが、私の事を泣いて喜んでくれた。
その人こそ、橘 梅子。私のお婆ちゃんらしい。
私の為に涙を流し、喜んでくれる人がいるという事が嬉かった。
それと同時に、そんな人の事を誰だか分からない事に、自分への腹立たしさと、梅子お婆ちゃんへの申し訳無さが込み上げて来た。
私は、二年間で鈍った身体のリハビリに力を注ぐ事を決めた。
梅子お婆ちゃんは、昔の事なんて思い出さなくていいと言ってくれたけど、じゃあ私の心にぽっかり空いた穴は、どうやって埋めたらいいんだろう。
何か、大切なモノの事を忘れている様な気がする。
梅子お婆ちゃんは私の名前を教えてくれた。
「百合」
ピンとこなかったが、記憶が無いのだから当然の事だろう。
梅子お婆ちゃんは優しくて、色々な話をしてくれる。
ある日、こんな事を話してくれた。
「いつも閉まっている謎の花屋があるらしい」
それを聞いた時、胸騒ぎがした。
まだこの気持ちの理由を私はまだ知らない。
だけど、私にも分かっている事がある。
その花屋には何かがある。そこに行けば何かが分かるという事だ。
私は気が付けば、病院を抜け出していた。リハビリで治った足は花屋へと向かっていた。
積もった雪は掻き分けられており、道が広がっていた。想像していたより花屋に早く着いた。
何故か私は、この花屋への道のりを知っていた。早く着いたのはその為だ。
噂によると、いつも閉まっている謎の花屋らしい。
しかし、私が着いた花屋は開店していた。
懐かしさだけが、そこにはあった。
横には一人の男性がいた。
彼は何処か寂しそうで、悲しそうで、懐かしそうな顔をしていた。
「花、好きか?」
いきなり話し掛けられて驚いて、咄嗟に返事をした。
「好き。凄く好き」
その言葉は驚く程にすっと出た。この心に偽りは無い。
前の私は花が好きだったんだと、一つ知る事が出来た。
彼を見ていると、わたしは懐かしさに支配された。初めて会った気が全くしない。
彼といると何か思い出しそうで、頭の中に何かが溢れ出た。
私は意識を手放した。
この時、私の中のパズルのピースが一つ、埋め込まれた。




