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第10話 ローズマリー 〜思い出〜

 教室の黒板には大きく『卒業』とチョークで書かれている。


 感涙して崩れ落ちる奴、抱きしめあったり再開を誓ったりする奴。

 教室内はそういった奴のお陰で、卒業に相応しい雰囲気で包まれていた。

 寂しかったり、嬉しかったり、それぞれの気持ちを抱いていると思う。


 俺はそんな最中、部屋の片隅で静かに潜んでいた。

 そんな感情は、あの時から一度も湧き上がった事はない。

 周りが楽しそうにしているのを見ると、正直鬱陶しいだけだ。

 卒業なんてどうでもいい。一緒に祝える相手がいないのだから。


 配られたアルバムを開いて一年生の頃を覗く。そこには花子の姿があった。

 ページを捲ると二年生、次は三年生。どちらにも花子の姿は無い。死んだ目で一人で映っている俺の姿があった。

 いないんだ、俺の隣には誰も。


 俺は、そのアルバムを直ぐに閉じて、鞄の中に仕舞った。

 指先が震え息が荒くなる。もう何もかもを、この鞄に仕舞って捨ててやりたいと考えた。


 あの事件が起こってから二年が過ぎた。

 俺はとうとう、中学を卒業しようとしていた。

 花子がいない。

 二年も経った今でも、紛れもない事実を受け止められずにいた。


 事故で行方不明、どのテレビの人も、あの状況で生きている可能性は、限りなくゼロだと決め込んでいた。

 それでも長い間、捜索は進められた。

 しかし、見つかる事は無かった。

 最終的には海の藻屑となった見なされ、死亡と片付けられた。


 時間は心の傷を癒すとはよくいったものだ。そんなものでは癒えるはずがない。

 いや、俺の時間はあの時からすでに止まっていると言える。

 この二年間で、とことん落ちぶれてしまった俺は、勉強のやる気が起こらず成績も悪くなった。根暗になり、友達とも口を利かなくなった。


 花子がいない世界は、こんなにもつまらない物なんだと知った。花子のいないこの世界のスピードに、俺は取り残されていた。

 そんな事を考えていると、珍しく誰かが俺の側に寄って来た。


「これからお別れ会するんだけど……一緒にどう?」


 そうだ、葵だけは時々話し掛けてくれたんだ。

 だが俺は、葵の気持ちを踏み躙る様な態度を取っている。

 それなのに、こいつは俺なんかを気遣う?

 葵は俺の顔色を伺っている。それが嫌だった。昔はそんなのじゃなかったのに。

 もう心の余裕もなく、何もかもがどうでも良くなってしまっていた。


「俺はいい……」


 鞄を持って席を立つ。皆の顔は嫌そうに見えた。実際俺なんかがお別れ会になんて行ったら楽しめない。嫌に決まっている。そんな事は察ししている。


「待って!」


 帰ろうとする俺の腕を葵は掴んだ。葵の目が潤っているのが分かる。


「もういいだろ、そいつは!」


 聞こえてきた声の主は椿だった。俺を蹴落とす様に見ている。

 椿は「行くぞ」と葵の腕を引っ張って教室を出た。

 葵は俺の腕から手を離した。何か言いたげな悲しい表情を見せていた。

 皆も椿について行く様に、揃って教室から出て行く。

 椿も皆もこの二年で随分と変わってしまった。

 俺は教室で一人になった。


 窓の外には未だにサクラソウが咲き誇っている。

 花子が転校して来た日にも咲いてたっけ。

 思い出が鮮明に蘇ってくる。それは何よりも辛く、苦しい事だった。


 窓から夕日が差し込んで来た。

 純白のカーテンがヒラヒラと揺らいでいる。オレンジ色に照らされた教室は、青春を物語っていた。

 それは俺にはもう手に入らないものだった。


 こんな事を前にもあったなと思い出す。

 一人でポツンと教室にいたあの日。一緒に帰って、花屋に行ってさ。

 これ以上、思い出すのはやめよう。


 俺は、思い出を教室に閉じ込める様に、扉を閉じて外に出た。

 階段を降りて廊下を歩き、ロッカーで外履に履き替える。もう学校に来なくていいと思うと、少し気が楽になった。


 外に出ると、校門付近で数人の会話が聞こえた。何やら盛り上がっている様だ。

 その数人は先程の椿軍団だった。


 俺は、校門の物陰に隠れて、そいつらの裏にいる形でその会話に耳を向けた。


「あいつ変わったよな~」

「あれだろ? 高嶺が死んで気に病んでるんだろ?」

「あーそんな事言ってたな~」


 気力の無い会話。それは適当だが、俺の怒りを買うのには十分であった。

 だが耐える。ここで暴れても意味が無い事を知っていたからだ。


「なあ、椿はどう思う?」


 一人が椿に問う。まるで面白い事を言ってくれると期待しているかの様に目を輝かせて。


「そんな過去の話忘れたわ。どうでもいいじゃん!」


 皆で笑っている。

 俺はそれを見て、狂気に満ち溢れそうになった。溜まりに溜まった感情が溢れそうになる。


「椿、あんたいい加減にしなよ!」


 葵は椿に声量を上げて、怒りを露わにした。椿は態度を変えようとはしない。


「お前は何時もうるせえんだよ!!」


 声を荒げた椿は、葵を突き飛ばすと、そのまま倒れ、コンクリートに膝が擦れて少し血が出ている。


「おい、お前何してる」


 俺は隠れるのをやめて飛び出した。もう限界だ。


「よお、柊木! カッコいい登場だな、おい!」


 俺は椿の言葉を無視して葵に手を差し伸べた。


「大丈夫か?」

「う、うん……ありがと……」


 葵は俺の手を取り、立ち上がった。

 苦い顔をして膝を崩す葵に、心配して肩を貸そうとしるが「一人で立てるから」と葵はそれを拒んだ。

 弱い所を見せたくない性格は変わっていないな。俺達の関係はこんなにも変わってしまったというのに。


「高嶺が死んで、次は葵か? 」

「死んでない……」

「死んでるんだよ。めでたい奴だな! あのニュース見てないのか!? 確実に、高嶺は、この世にいない!!」


 もう、駄目だ。


「今の言葉、取り消せよ」


 俺は椿の胸ぐらを強く掴んだ。震える手を必死に抑える。


「何だよ……」

「取り消せよお前!!」


 荒げた声と共に殴りに掛かろうとしたその時。


「もうやめて!」


 葵の声で俺の腕はぴたっと止まった。拳を収める。


「そうやって……過去に囚われてろよ!」


 胸ぐらを振り解いた椿は、そのまま他の数人を連れて、何処かへ行ってしまった。

 俺は苛立ちだけが残り、これを何処にぶつければいいか分からなかった。


「蓮……あのね……」

「もう放っておいてくれよ!!」


 俺はその言葉を放つと我に返った。

 葵の顔を見ると、俺が最低な事をしたという事がすぐに分かった。


「ごめんね、蓮が見てるのは高嶺さんだけだもんね……」

「違っ……!」

「じゃあね……」


 そう言うと、葵は振り向いて歩いて行った。背中を向けながら目を拭っている。

 何もかもを失った様な喪失感に襲われて、全てがどうでもよくなってしまった。

 何も違くない。その通り、俺は花子だけしか見えていない。

 皆が変わったんじゃない。俺が変わって、俺が変えたんだ。

 俺は、最低だ。


 そんな事を考えながら、重い足取りでゆっくりと家路を沿って歩いていると、家が目の前に聳え立っていた。

 鍵を開け家に入ると、俺はまず洗面所に向かった。


 くそ、くそ、くそ。

 そう心の中で呟きながら、両手で水が零れ落ちない様に器を作り、そこに溜める。それを顔に向け、投げつける様にして荒々しく洗った。


 壁に付いている取手に掛けてある白いタオルを取り、顔を拭く。

 拭いた後、目の前にある大きな鏡を覗くと、そこには酷い顔が映っていた。目のクマはまるでアイシャドウをしているかの様に黒く染まり、瞳の色はどこか失われている様に見える。

 酷い顔だった。


 それを見て俺は、椿の言葉を思い出した。


『そうやって過去に囚われてろよ!』


 その通り、過去の事。

 そんな事はとっくに分かっているんだ。


「卒業、か……」


 鏡の俺を見ると、頬から涙が流れていた。


 願いが一つ、叶うなら。

 俺はーーー


「花子。またお前に、会いたいよ……」


 胸に付いている、皆に配られたローズマリーのワッペンを千切り捨てた。


 この二年間、思い出は存在しない。

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