第七話 実はさ、兄ちゃん魔法を覚えたんだぜ?
「……ただいま~」
サハスにある我が家へと帰る。
声を張ろうと思ったが、山であった出来事があまりにショックだったからか出来なかった。
溜め息をつきつつ扉を閉め、本日は話しかけられたくないでごわすという雰囲気を纏って自室へと向かう。
しかし、そんなこと関係ねーと、メリンさんが声を掛けてきた。
「あら、アル。帰ったのね。お帰りなさい」
いつも通り柔和な笑顔で美人なメリンさん。
この笑顔を見るたびに、俺を赤ん坊の頃に拾い、このサハスの村に連れてきた筋肉ダルマ――もといフランクさんの妻であるということが信じられなくなる。
だって、あのフランクさんだぜ? きっと、どのフランクさんよりも筋骨隆々で2メートルはあろうかというローウェルさん家のフランクさんだぜ?
そんなフランクさんの妻が、こんな華奢でゆるふわな奥様だってのはどこか信じられない。
メリンさん単独で見ると、どこに惚れたのだろうかってなってしまう。
やっぱり筋肉か。筋肉最強か。俺も付けるか筋肉。
ま、実際にフランクさんとメリンさんの二人で話しているところを見ると、ラブラブでどこまでも似合っているという感想が出てくるのだけど。
ちなみに、アルとは俺の渾名である。俺の本名はアルベルト=ローウェル、だから略してアル。
未だにアルベルトとか言う外人名に慣れないが、俺を産み落とした母がそう名付けたのだから仕方が無い。
今となってはもう確かめようがないのだけど、何でも、赤ん坊の時のお包みにそう書かれていたらしいね。
まぁ、名付けた母はドラゴンに殺されて帰らぬ人になっているし、お包みはこの村に来た当初に捨てられてるしでそこら辺は確認のしようが無い。
「どうしたのアル? 元気が無いようだけど?」
流石はメリンさん目敏い。伊達に、ゆるふわだけど実は鋭い系の妻をやっていない。
その鋭さがわかる一番のエピソードは、フランクさんに女の影が見えた事件である。
あの時の恐ろしさは、今でもローウェル家の語り草になっている。そして、俺の軽いトラウマでもある。
だって、女の人があんなに怖くなるって俺、知らなかった。
ま、実際にはメリンさんのプレゼントを買う為に、協力してもらってた女が居たよっていうどこにでもある笑い話なんだけども。
とにもかくにも、メリンさんに隠し事は止めようやって言うのは俺とフランクさんとの男の約束でもあったりする。
さて、どうするか。
とりあえず、面倒ごとにならないようにと、直ぐに表情を取り繕って返事を返す。
「いや、ちょっと遊び疲れただけだよ」
間違っちゃ居ない。
結果だけ見れば、水鉄砲撃っただけだし、遊んだとも言えるはずだ。
つまりは、嘘はついていない。フランクさんとの男の約束を破った訳では無いのだ。
まぁ、疲れ的に言えば体力的ではなく精神的な疲れではあるけれど。
「……むー」
何かちっこいのがメリンさんの後ろにいるなと思ったら、自分を忘れるなと、メリンさんの足の影から膨れっ面で女の子がこちらを睨んでいた。
肩までの長さで切り揃えられたブロンドの髪に、4歳児にして整いすぎている顔。
くすんだ銀髪に中肉中背、おまけに特徴の無い顔と、どこにでもいる異世界標準のガキを自称する俺とは大違いだ。
まぁ、俺の母親も覚えてる限りでは普通の顔だったし、メリンさんも美人だからその娘も美人であるというのは納得が出来る話ではある。
だけど、この将来メリンさんを超えると周りからも絶賛されている目の前の美幼女を見ていると、厳つい大男であるフランクさんの要素はどこに行ってしまわれたのっていう人類の不思議を思わざるを得ない。
ぶっちゃけ、どんだけ不思議がろうと7年前からいるせいで、この女の子が出来るところも生まれるところも見てしまっているんだけどね。
さて、この膨れっ面の4歳児が何でこんなに不機嫌なのかと言えば、思い当たる節は唯一つ。
「いや、ごめんよセシリア。次は一緒に遊ぼうな」
今日の朝、確かにそんな約束をしたような気が、あれ、昨日もだっけ?
「……にーさん、それ、昨日もいいました」
頬を膨らませてぷんすか怒るセシリアを見て、まずいなと思いつつ怒っていても崩れないその口調の出来に、思わず心の中でガッツポーズをしてしまった。
4歳児にしてこの対応力。流石に鍛えただけはある。
メリンさんにセシリアのことをよろしくねと言われて頑張った結果がコレだ。
元々地頭が天才級によかったのもあるのだけど、仕込みに仕込み今がある。
当初は呼び方もお兄ちゃんで言葉遣いも普通だったのだけど、去年敬語を覚えた際に、瞳に理知的な色を浮かべ丁寧語で話しかけられた時に俺は悟った。
この娘はこれで行くべきなんだと。これが正義なんだと。
そして、それを切っ掛けに呼び方も直した。
当初、お兄様で行くべきなのかも悩んだんだけども、このローウェル家は残念な事に貧乏である。
お兄様と呼びあうには家の佇まいがあまりに貧しすぎた。
であれば、おを取って兄様でもいけるのかと思ったが、様付けで呼ばせると偉そうなのと気恥ずかしいと気づいたのもあり、結局のところ今の形『兄さん』に落ち着いた。
まぁ、そんなことより今はセシリアの機嫌を直さなければ。
「あれ、そうだったけ? ごめん、ごめん。実はさ、兄ちゃん魔法を覚えたんだぜ? 後で特別にセシリアだけに見せてあげよう」
サプライズだとセシリアに目線を合わせつつ、内緒話でもするようにセシリアにそう話しかけた。
「まほー、ですか? んっ」
俺の話に合わせるように声のトーンを抑えるセシリアに、そうだよと頭を撫でる。
「そう魔法。セシリアも見たがっていたろ?」
まぁ、俺が普段から魔法、魔法と言いまくっていたので、それに感化された形ではあるのだけど。
「……ほんとに、ほんとーに、セシリアが初めてですよね?」
正確には、レーストとか言う鬼畜な神の使いが初めてなのだけど、人間としてはセシリアが初めてなので間違ってはいまい。
頭を俺に撫でられるがまま表情を弛緩させているのを見るに、既に機嫌の大半は直っているように見えるがそれでもフォローを忘れない。
「ああ、本当だ。セシリアが初めてだよ」
4歳児だと思って嘗めてはいけない。この子は頭がいいだけに怒りも忘れないのだ。
ていうか、持続力がやたら長い。他の奴には4歳児にして聖女かというぐらい直ぐ許すくせに、俺となると宥めないといつまで経ってもぷんすか怒っている。
怒ってセシリアが笑わないとなると食卓の雰囲気が最悪になる為、フランクさんは猛烈に落ち込んだあと涙目で俺を睨み、メリンさんは仕方がないわねと苦笑しつつ目で何とかしなさいお兄ちゃんと俺を見る、というお決まりのパターンになる。
「もし、約束をやぶったら、ルーストさまがきちゃいますよ?」
いや、レーストの話を聞く限りこんなことで来ないと思うぞ? あの神様は。
むしろ来たら来たで、この恐れの象徴化している状態を何とかしてもらいたいのだけど。
そうして貰えないと、俺の身体に刻まれている刻印が大っぴらに公開できる日がいつまで経っても来ない。
だいたい、おかしな話だ。
俺の生まれた村にドラゴンが来たのだってレースト曰くルースト様は関係が無い。
俺の刻印が、何かを呼び寄せるなんて特別な何かを持っているということも無い。
だけども、なぜだかそれら全てルースト様が災いを呼んでいると言う話になる。
やれ、雨が降らないだの、作物の育ちが悪いだの、狩りの結果が芳しくないだの、それら全てルースト様のせいらしいね。
レーストが言うには、そういう席に座ったのだから仕様がないとのことだけども、いまいち納得が出来ない。
こういう他の神々がやりたがらない余りものの席に座ることこそが、ルースト様らしいとレーストは言うのだけどやはりよくわからない。
何なのマゾなの? て、思ってしまう。
まぁ、神の気持ちなんて人の身じゃ慮れないほど複雑怪奇ってことなのだろうね。
疑問や納得できない点は多々あれど、さりとて、現代日本で生きてきた事なかれ主義の俺である。
であれば、変にルースト様を持ち上げて、周りに変な目で見られるということももちろんやらない。
言いたいことを脳の言語野から渡る前に殺して、セシリアへと告げる。
「マジか! そりゃ怖い! じゃあ、約束は守らなきゃな!」
ガシガシと、強めにセシリアの頭を撫でた。
こう強めに撫でても、猫のように目を細めて気持ちよさそうにするから不思議だ。
フランクさんにやられた時を思い出す限りで言うと、俺の経験上痛いだけなんだけどね。
「んっ、えへへー、そうですよ? 約束はまもらないとだめです。なので、あしたはセシリアといっしょです」
引き続き気持ちよさそうに目を細めながら、若干、間延びした声でセシリアがそう言う。
「わかった、わかった」
苦笑しながら言う俺に向けて、セシリアが花の様に笑い、今日の失敗もこの笑顔でいくらか相殺されたかなと思うのだった。