第十八話 いつだって笑っていてくれ
手にはこの座敷牢の鍵。見張りは居ない。
まったく、あおつらえ向きだね。
村はずれにある納屋に設置されたこの村にある唯一の座敷牢。
その座敷牢の窓から見える月を見ながら考える。
長老様と二人っきりになった際に、二つの道を提示された。
簡単な選択だ。この村で死ぬか、別のところで生きるか。
長老様が言うには、この村で育った俺は村の皆の子供みたいなものだとか。
だから、殺すには忍びないのだとさ。
それが、穢れ人であろうがなかろうがね。
刻印を持っているのに殺さなくて良いのか尋ねたら、この村から離れて他で生きる分には別に良いらしい。
何て手前勝手な理論なんだろうね。
でも、それが現実。みんな破滅の神と聞くだけで思考停止に陥る。
あんなのただの舞台装置に過ぎないのにね。
……いや、俺もレーストから聞いたからそう思っているだけか。
もし、何も知識なしに俺が赤の他人の立場で、呪われた刻印持ってる奴の村が二度ドラゴンに襲われたらどうか。
まぁ、確かにな。そりゃ呪われた刻印持ってる奴のせいだわ。本当か嘘かは関係なくね。
人間ってのは楽な選択肢にしか行かない。
俺だって、レーストから聞かなきゃもしかしたら疑っていたのかもしれない。
あのドラゴンが住んでいたのは、この大陸でも有数の大きさを持つ霊峰ガランゼ山。
そのガランゼ山を中心にある距離で円を書けば面白いことが分かる。
俺の生まれた村、そして、このサハスの村が一つの線で結ばれるのだ。
他にもドラゴンに襲われた村は多々あるが、全てこの線上に存在する。
そう、結局はあのドラゴンにとって飯食って戻ってくるのに、都合のいい距離だったというだけに過ぎない。
後は、ガランゼ山を対称軸としてこの村の反対側が良く襲われていたらしいってのも要因ではあるか。
おかげで、俺の生まれた村が襲われて以降、このサハスの村でドラゴンに襲われた村の噂がまったくと言っていいほどなかったからね。
ま、全部自分で調べたわけでは無く、レーストの受け入りなのだけど。
こんな調べりゃ分かる事を騙してどうするんですかとは、レーストの談。
そりゃそうだわな。
ただ、そんなのを幾ら並べようと、ルースト様が原因というのは決定事項なのだけども。
どう言おうが、ルースト様が原因ではないとどう証明すると、言われるのだから敵わない。
そんなものは悪魔の証明だ。
もしかしたら、ドラゴンを用意したのが、そもそもルースト様かもしれない。
ガランゼ山を中心にある距離で円を書くという行為が、ルースト様が仕込んだ事なのかもしれない。
どれもこれも否定の仕様が無い。
だから、ルースト様が悪いで世界は決着していた。
さて、フランク一家が行動に出る前に動かなきゃな。
フランクさん達が行動したら最後、あの一家はもうこの村に入られないだろう。
唯でさえ、俺をこの村に招きいれたってことで心象が悪い。
それに追い討ちをかけりゃ、下手すりゃフランクさん達まで投獄されちまう。
さらに言えば、今なら全てを俺のせいにすることで、どうにかあの一家を救えるとは長老様の談。
渡りに船だった。何て汚い取引を持ちかけるんだとは思ったけどね。
であれば、夜明けより前にこの村を抜けるべきだろう。
「――兄さん?」
暗闇から鈴の音の様な声が聞こえる。
この声を俺が聞き間違えるはずも無い。
「……セシリアか」
「あっ、兄さん! 良かったここに居た」
俺の声を頼りにしたのだろう、暗闇からセシリアが牢の前までやって来た。
「よかったじゃないだろ。何しにきたんだ? とっくに寝る時間だぞ、夜更かしさんめ。ルースト様に連れてかれるぞ?」
ルースト様の名前を聞いた途端、ビクッとセシリアの身体が揺れる。
「……ルースト様なんて怖くないです。そんなものより、ずっと怖いことがあると学びました」
月光に照らされて、腰元まで伸びたセシリアのさらさらの金髪が煌く。
まっすぐに俺を見つめる瞳は潤んでいたが、何より強い意志を感じた。
一言一句、俺の魂に叩きつけるようにセシリアが言う。
「――それは、兄さんが居なくなる事です」
良く見ると身体が震えている。
それを見て、思わずセシリアへ近づいていってしまった。
震えるセシリアを牢ごしに頭を撫でてあやす。
「居なくなりゃしないよ」
「んっ」
セシリアが撫でていた俺の手を両手で掴み、そのまま胸に掻き抱く。
「……兄さんはわたしが守ります。絶対に」
「そりゃ兄ちゃんの立つ瀬が無いな」
「兄さんから今まで色んな物を貰いました。だから、今度はわたしが返す番です」
目を瞑りつつ自分に言い聞かせるように様に、セシリアが呟く。
もう貰ってるよ。少なくともお前さんの為に、死ぬ覚悟があった程度には貰ってたよ。
ま、恥ずかしいから声に出しては言わないけどな。
「に、兄さんっ! わたしも、わたしも兄さんの為ならッ――」
嗚咽交じりに死ねるとセシリアが言う。
おい、声に出してたよ、俺。
「わかった、わかったから、泣くなよ~」
俺の腕に熱い雫がポタポタと通り雨のように落ちている。
最早、号泣だった。
しょうがないと、レーストへと意識を向ける。
俺のすぐ横をポイントアルファに指定。
ルースト、[イオタ・シャボン玉連射機]をポイントアルファへ召喚。
≪ポイントアルファ了解。申請受理、代理承認完了。20秒後に[イオタ・シャボン玉連射機]を召喚します≫
よし、準備完了。
「えぐ、兄さん、兄さんっ!」
耐えられなくなったのか、セシリアが俺の手を顔に持っていって泣き崩れる。
おかげで、通り雨から小さな滝へとランクアップだ。
「セシリア!」
俺の声と同時、
≪――30秒経過、[イオタ・シャボン玉連射機]、ポイントアルファへ召喚≫
[イオタ・シャボン玉連射機]が俺の横に顕現した。
「えぐ、なに、兄さん……?」
「いつまでも泣くな。ほれ、見ろ!」
[イオタ・シャボン玉連射機]が勢い良くシャボン玉を出し続ける。
月光の中で、シャボン玉が虹色に煌きながら辺りを埋め尽くしていく。
「ふぁ……」
セシリアが濡れた目でシャボン玉を追いかける。
次第に、――次第に、セシリアが笑顔になっていく。
現金なもんだ。今泣いた烏がもう笑う。
何だろうね。この気持ち。
俺自体はもうシャボン玉で笑顔になることはないが、セシリアの笑顔を見ると、俺も笑いたくなってくる。
この娘の笑顔は人を幸せにする何かがあると思う。
だって、いつだってセシリアの周りでは笑顔が絶えなかった。
だから、この娘は泣かせちゃいけない。
――だから、俺が側に居てはいけなかった。
この甘えん坊を残していってしまう事を心残りに思う。
でも、それでも、俺と一緒に茨の道を進むなんてことがあってはならない。
この先も俺はルースト様との縁が切れることは無い。切る気もない。
だから、ここでお別れだ。
「セシリア、どうだ? 兄ちゃんの魔法はすごいだろ?」
いつものようなセシリアとの問答。
そして、これが恐らく最後のセシリアとの問答。
「はい、ぐす、はいッ! 兄さんは、すごいですっ! いつだって、わたしを幸せにしますっ!」
笑顔で泣くという器用なことをセシリアがする。
鼻水まで出しよってからに、まったく仕様が無い。
牢越しにセシリアを抱き寄せる。
涙やら鼻水やら出まくってるセシリアを俺の身体で月光から隠した。
「セシリア、いつだって笑っていてくれ、そしたら兄ちゃんは幸せなれる」
「……わたしが笑うと兄さんは幸せになるのですか?」
「ああ、なる。それはもう最高にハッピーになるね!」
セシリアが、牢ごしに俺をギュッと抱きしめ返す。
「わかりました、なら、笑います。兄さんを幸せにする為に笑います」
その言葉に胸元へと視線を下げると、セシリアが目に涙をいっぱいに溜めながら、笑みを深くしていた。
「ああ、頼んだ」
きっと、俺もセシリアに釣られて笑っていたに違いない。
それから先は、特に語ることはない。
止め処ない会話をしつつ、最後にセシリアが必ず兄さんを救って見せると豪語して去っていった。
それに俺は苦笑して答えた。それだけだ。
夜明け前に、サハスの村を出た。
付き人は誰も居ない。一人っきりだ。
サハスの村が見えるギリギリの位置で一度だけ振り返り、大きく会釈をすると共に、ありがとうございましたと、一言だけ放った後はもう振り返らなかった。
フランク一家に俺という異物は居なくなり、サハスの村からも消える。
ただ、それだけの物語。
それがサハスの村での記憶だった。
◇
――本がパラパラと捲れている。
パラパラと風のいたずらのように捲れ、何かの意思のようにそのページで止まった。
そこには、こう記されている。
『今日で、この日記を書くのは一旦終わりにします。
途中で書く事を止めてしまって日記さんごめんなさい。
楽しかったことや、幸せだったことが無くなってしまったので、もう書く事が出来ません。
日記さん。あなたは私の大切な宝物でした。
あなたが来たときのことを、私はいつまでも忘れません。
兄さんがあなたを持ってきた時のことを、私はずっと忘れません。
どうやってこんな高い物を買ったのかと、兄さんを散々問い詰めましたよね。
結局は、はぐらかされてしまいましたが。
兄さんには言ってあげねばなりません。
楽しかったこと幸せだったことを書けと言われても、それを与えてくれる人が居なくなってしまったのでは書けないと。
だから、私が楽しかったこと、幸せだったことを書けるようになるまで、兄さんを助けるその日まで、暫くの間お別れです。
ラティーナ様、どうか私をお導きください。
兄さん、どうかルースト様に負けないでください。
私が、セシリアが、必ず兄さんを助けます』