2005年
2005年、16歳から10年近く着かず離れずの関係だった同い年の彼女Hにあいまいな別れを告げてワーキングホリデー制度を利用し語学留学のためカナダへ旅立った。長男という立場上、いつも周囲から当然のように結婚と父親になる事を期待されていたが当時20代半ばの私はその期待を裏切り逃げ続けていた。このまま日本にいたらいずれ鞘におさまってしまうのも時間の問題だった。なにより彼女は20代での結婚を切望していた。ビザは1年だったがすぐに帰ってくるという言葉を最後にHとの関係に事実上、終止符をうった。
10年前の当時、電子メールはあったもののスマホはおろかSkypeやSNSなどもいまほど発達していない時代。
彼女への背徳感もあったがまだ見ぬ世界への期待が私を後押ししたのは間違いない。
カナダに着いてからすぐに語学学校へ通うことにした。最初に英語で質疑応答がありレベルにあわせて各コースへ振り分けられる。
初心者コースは6-7人からなるクラスだった。2週間のプログラムからなる最初のクラスメイトは韓国人・メキシコ人・ブラジル人・トルコ人だったと思う。一際、目を引いたのはメキシコから来てた3つ年下のPだった。スタイルが良く、明るいラテン系といったPとは英語のレベルも同じだった為にすぐに仲良くなりランチを一緒にするようになった。2人きりではなく後にメキシコへ行くきっかけとなった兄のようなメキシコ人Cその他全員もメキシコ人だった。今思えばお互い覚えたての英語を使い必死にコミュニケーションを図っていた。特にPとは同じクラスで毎朝顔を合わす事で私は次第にPへ魅かれていった。
学校にも慣れてきたある日の朝、彼女はめずらしく遅刻をしたがいつものランチタイムに現れて嬉しそうに昨夜の出来事を赤裸々に話してきた。帰りにカナダ人のモデルに話しかけられそのまま一夜をともにして付き合うことになったそうだ。
20代の男が出会ったばかりの女性に抱く気持ちは特筆する必要もないほど単純ですぐに嫉妬という感情が私を襲った。
彼女の幸せをなんとか喜んでるようにみせるために自分に嘘をついた。そして彼女とのランチタイムの数は減っていった。
語学学校は出会いと別れの連続で毎週末、どこかでだれかの歓送迎会が行われていた。
その週末は韓国人クラスメイトの友達でいかにも令嬢といったブランド品を身にまとった年下の女の子の送別会だった。
夕方からパブで飲み始めて気がついたら令嬢の家で男女2-2になっていた。韓国人カップルと令嬢と私の4人。韓国焼酎のソジュを飲みとても盛り上がった。
夜もふけた頃、カップルが別の部屋に入ってしまった為にほとんど初対面の私と令嬢は令嬢の部屋で一緒のベッドで寝ることになった。次の日の朝バスで家路に着いた。週があけた月曜日に令嬢の姿は学校にはなくそれ以降会う事もなかった。学校はまた新しい表情になっていた。
それからは本当によくメキシコ人のCに世話になった。婚約者をメキシコに残して半年間の語学留学をしてる30代のCは兄のようにスペイン語を教えてくれて私がそれを使うたびに嬉しそうな様子だった。スペイン語圏からカナダに英語を習いにくるのはメキシコ人・アルゼンチン人・コロンビア人・チリ人と多く文化的な共通点から彼らは行動を共にすることが多かった。Cのおかげでその中に入ることができ日本人留学生同士で一緒にいることは避けれた。海外での生活からの寂しさで言葉が通じる友達を作るケースはとても多い。結果、目的である英語は習得できず自信と目的を失う留学生を多く目にした。彼らの多くは親からの送金で滞在していて「自分で生きていく」実感がわかずに、つい心地よい環境に身を置いてしまっているようにも見えたがそれが普通だとも思う。その点、私は幸運にも自腹で海外生活を始めることができ日本語を使う機会も減り生活手段としての英会話を習得することができた。
人との交流こそ語学上達の極意と体感した私は朝は学校で文法や単語を学び夕方は街に繰り出し英会話を学んだ。
週末以外も学校のあとに盛り場に行き隣に座る人達に積極的に話しかけて英語を使いしだいに顔馴染みもできてきた。
語学留学の目的地として人気の移民国家カナダでは下手な英語でも聞く耳を持っている人が多かったのが印象的だった。
ある日の夜、隣のブラジル人Lと話したとき彼も同じ学校に通ってることがわかり仲良くなった。年も同い年でなんとなく気があった。
その後、学校でも話すようになり彼の同居人で弟のようなTと彼のクラスメイトのメキシコ人男性A、スイス人女性のSと週末、出歩くようになった。共通の趣味や話題が音楽だったので夜な夜なクラブに出かけては刺激的な時間を過ごしLとTが住むアパートで朝まで寝てから帰る生活を繰り返した。そしてある朝、起きてみるとSとTが裸でTのベッドに寝ているのを見てしまった。21歳同士の2人がそうなるのは納得できた。LもAもわかっていたがなにも無かったかのように私たちの友情は続いた。そして学校生活も終わりもむかえようとしていた。
3ヶ月だけだったが今週で卒業してもう来ないかと思うとふと寂しくなった。そしてこの3ヶ月がいかに充実していたかを実感しながら久しぶりの学生生活を振り返っていた。偶然にもスイス人女性Sも今週で卒業という事で相談を受けた。来週早々に帰国するため週末だけ私の部屋へ泊めてほしいとの事だった。
Sは最初、Tに聞いたがその週末はLと旅行にいくから無理と断られ友達である私に頼ったのだという。
理由はともかくチャンスだと思った。
女性に興味がある男性であればほとんどの男性が私と同じ事を企むになるだろう。そしてなによりタイミングが良すぎた。
お互い卒業したことも私が同居しているルームメイトが週末不在だということも。見えないなにかが味方してるように思えた。
すぐに承諾して家に帰る途中に珍しくそして久しぶりにメキシコ人のPから電話があった。
彼女も来週引越しがあり週末泊めて欲しいとの事だった。
モデルの彼氏とは彼の女癖が原因でうまくいってないらしい、なんとも贅沢なお誘いを両てんびんにかけて今思えば大変無礼で卑劣な事を私はPに言った。
「泊めてもいいけど我慢できなくて手出しちゃうと思うよ」おどろいた彼女は「私たちは友達でしょ。彼氏もいるしそんなこと約束はできない。」「じゃあごめん。無理だ」先約のSとはまだどうなるかわからない。もしSを断るとしたらPとの一夜を確定にしておきたかったんだ。結果、半泣きな彼女は電話を切りその後も彼女と会う事はなかった。そして忘れることのできないSとの夜がはじまった。