8、チンピラ剣士、オーガーに挑む
完全に不意を討たれた。
それに気づいたのは、シュツハーゲンが矢が風を切る音を捉えたからだ。
「矢が飛んでくる。全員伏せて!」
それまで物音らしい物音は聞こえなかったから待ち伏せされていたのだろう。
シュツハーゲンが気付くのが早かったため、飛んできた矢を受けた人数は三人だけだった。
「狙われてるぞ、散らばれ」
「やばいぞ、伏せろ!」
「ちょ、お前ら俺を見捨てるな」
うむ、烏合の衆。
冒険者は少人数のグループであればそれなりの力を発揮するが、ある程度の集団にまとまってしまうと単なるモブグループでしかない。五、六人単位であれば個でもそれなりの連携が取れるが、十五人以上の集団であればその人数によほど慣れた連中でもない限りうまく動くことができないのだ。
指揮されることに慣れていない冒険者では統制を取るのが難しい為、そもそもこいつらには大した期待はしていない。とはいえ、俺の目的のためにもあっさり崩壊されても困る。
「アイザック、全員をまとめとけ。ばらけたら個別に狙われるだけだ。
シュツハーゲン、狩るぞ」
「あいあい」
シュツハーゲンはすでに俺の肩から飛び降り、人獣型へと姿を変えている。俺とシュツハーゲンは顔を合わせて頷くと、弓矢が飛んできた方向へと走り出す。
「わかった。だがお前らだけで大丈夫なのか?」
走り出した俺の背にかけられた声に、俺は足を止めず、短く応じる。
「余裕」
ハイコボルトの身体能力はホブゴブリンに勝る。俺とシュツハーゲンのコンビであれば、ホブゴブリンが何匹いようと物の数ではない。
ごめん、せいぜい三十匹が限界です。
とはいえ矢の数から予想される射手の数はせいぜい十匹前後。片づけるのにそれほど時間のかかることもあるまい。
「なんか、前線にいたころを思い出すね」
「ほかの連中はいないけどな」
それに、少数で敵の主力に突撃させられていたあのころに比べれば楽なものだ。
しばらく走って茂みを突っ切ったさきに、射手の一団がいた。てっきりホブゴブリンかと思っていたが、射手の正体はゴブリンだった。その数十三匹。
「これは、誘われたか?」
俺たちがいた位置を正確に狙うには距離がありすぎる。
平地ならともかく、森の中でこの距離で狙いをつけるなんてのは慣れた狩人でも難しい。
誰かが俺たちを監視し、このゴブリン達に合図を出した、と考えるべきだろう。
ゴブリンどもは俺たちの出現を見てとっさに応射してくる。矢を避けながら間合いを詰め、先頭の一匹に切りさいた。
ホブゴブリンやオーガに弓隊を囮にするような知恵があるわけがないのだが、そもそもオーガーが前線から離れたこの土地に出現すること自体がおかしい。
もっとも、弓隊を撃退に動いたのが俺とシュツハーゲンだけなあたり、誘いだったとしても戦力分断という目的は果たせなかったということになる。
ギャアギャア吠えるゴブリンの四匹目を斬ったところでゴブリンの弓隊は総崩れになり、全員が俺たちに背を向けて逃走を開始した。
「これで充分だろ、戻るぞ」
ちなみにシュツハーゲンの討伐数は五匹。
身のこなしは俺より速いからな、こいつ。
「ん、残りは放置?」
「アイザック達が本命に襲われている可能性がある」
向こうには新米戦士とはいえ戦士タイプの神格者が二人いる。あってほしくはないが、悪い予想は現実になりやすい。
「オーガーを先に仕留められるわけにはいかないもんね」
「その通り」
金貨十五枚の特別報酬をみすみす他の奴に譲る気はない。アリシャの実力はまだまだ未熟だからいいが、シーノックは素質だけでオーガーに太刀打ちできるから怖いものがある。
シーノックが正面を受け持ってアイザック、アリシャ、イリスがフォローすればオーガー程度なら問題なく倒せるだろう。
念のため、その場に落ちていた弓の弦を斬ってから、俺とシュツハーゲンは来た道を戻り始めた。
「オーガーは俺が相手をするとして、シャーマンの方はシュツハーゲンに任せる。たぶん姿は隠しているだろうけど……」
「僕の鼻からは逃げられないからね。でも、オーガー相手にクロト一人で大丈夫?」
「……まぁな」
そこが不安の種ではある。さすがに俺も一対一でオーガーを斬った経験はない。が、前線に送り込まれた最初のころ、所属していた部隊の隊長は実際にそれをやってみせた。神格者ではない身でありながらだ。
金貨十五枚というエサが俺のやる気に火をつけている。おまけにいざとなれば神格者二人の手を借りればいいし、優秀な癒し手も同行している為、よほどの大怪我でもない限りすぐに癒してもらえる。ここまで好条件が揃っているならちょっとくらい危険を冒す気にもなろうというものである。
「ああ、それとダークエルフとか知恵の回る魔物がいる可能性もあるんでそっちにも気を配っといてくれ」
ここまで失念していたが、魔法を使う魔物がいることは間違いないが、それ以外にも知恵のある他の魔物が存在しているという可能性も十分にあったわけだ。
「ダークエルフがゴブリンを率いているってこと?」
シュツハーゲンは小首をかしげる。
まぁ俺も自分で言っててそれはないとは思うよ。ダークエルフはゴブリンやオーガーなどの種族を下に見ているため、群れに指示を出すことはあっても自ら率いるなんてことをしないのが普通だ。だからゴブリンシャーマンかホブゴブリンシャーマンがいると思っていた。
「念のための用心ってことで頼む」
いないならそれでいい。だが、もしいた場合は結構やっかいなことになるかもしれない。
ダークエルフの暗殺能力の高さは俺やシュツハーゲンでも手を焼くレベルなのだ。
「警戒のし過ぎだと思うけどなぁ」
シュツハーゲンは首をひねっているが、納得いかないからと仕事の手を抜くような奴ではない。別の種族がいれば見逃すことはないだろう。
というかさっきからこいつ首をかしげすぎではなかろうか。ほっとくと上下さかさまになるかもしれない。
ないな。
「あー、クロト予想通りみたいだね」
半分ほど戻ってきたところでシュツハーゲンが笑みを浮かべる。
「あん?」
「剣戟の音が聞こえる」
「困ったもんだ。悪い予想ばっかり当たりやがる」
それにしても弓隊といい奇襲部隊と言い、完全に準備されているな。
ホブゴブリンやオーガーではここまで手際よくできるとは思えない。やっぱり敵には司令塔がいると考えるべきか。
俺たちが元の場所に戻れば、負傷者やアリシャ、イリスを中心に円陣を組んだアイザック達が必死にホブゴブリン相手に応戦していた。
アイザックやシーノックはホブゴブリン程度苦戦することもないのだろうが、いかんせん周りの冒険者達のフォローをしつつの戦いになっているため、それほど余裕のある状況ではなさそうだ。
もう一人、頼りになる戦力のはずのアリシャは円陣の中で呆然としているだけだ。
一瞬、何をやっているんだと怒鳴りつけようかと思ったが、その状態には見覚えがあった。
戦場に立つ人間のすべてが、即座に戦場に適応できるわけではない。繊細な人間であれば、戦場の凄惨さに怯え、何もできなくなり立ち尽くすこともある。戦士タイプの神格者ということで全くその可能性を考慮していなかったが、神格者とはいえ人間なのだ。
むしろ責められるべきはここまで実戦経験を積ませなかったアイザックとイリスだが、今二人に文句を言って解決するわけでもない。
とりあえずアリシャは戦力外と考えよう。
「戻ったか、クロト」
目ざとく俺たちに気付いたアイザックが声をかけてくる。
「おー、こっちは弓隊を片づけたぞ」
正確には全滅させたわけではないが、わざわざそれを言う必要はない。どうせ連中はすでに逃げ散っているし今回は気にする必要はないからな。
むしろ矢が飛んでこないことを強調して冒険者連中を安心させることが重要なのだ。
しかし、この状況でもオーガーの姿がないということはまた魔術で姿を隠しているか。
「シュツハーゲン、シャーマンは任せた」
遅ればせながら俺たちに気付いたホブゴブリンの部隊から四匹、後方に控えていたホブゴブリンライダーがこちらへ向かってくる。
「火竜の吐息!」
ギリギリまで引き付け、右手を振りながら詠唱を完了させていた魔法を解き放つ。
俺に向かっていたホブゴブリンライダー四匹は炎に包まれ、一瞬で焼き尽くされて独特の臭みが周囲に広がる。
俺の隠し技その一である。
できれば姿を隠したままのオーガーに不意打ちでくらわせてやりたかったが、まぁホブゴブリンライダー四匹なら良しとしておこう。
「さすがにやるじゃねぇか、クロト。その調子で他のも頼む」
「任せろ!」
と言ったものの魔法はもう打ち止めだ。
こちらへ来る途中、シュツハーゲンが剣戟の音を確認していたから準備できたが、戦闘しながらに魔術を詠唱できるほどの魔術適性は持っていない。
魔法を扱うには体内の魔力操作が必要なのだが、精密さを集中力を要求されるそれは、近接戦闘しながら行えるようなものではない。そんなことができればオーガー相手でも楽勝なんだが。
円陣はアイザックとシーノックがほかの連中のフォローをすることで意外に強固なものになっている。負傷した連中も円陣の中でシーナの治療を受けて戦線復帰できるのが大きい。
というかイリス、結構高位の治癒魔術を使いこなしているっぽい。伊達に神格者のお供に選ばれたわけではないということか。
ホブゴブリンライダーは先ほどので打ち止めのようだが、ホブゴブリン、ゴブリンの総数は四十を超える。ひょっとして、こいつらマリトの街を落とすための部隊とかじゃないのか?
「クジャロウ!」
叫び声をあげて、さらに三匹のホブゴブリンがこちらへ向かってくる。先ほどの魔術を見て警戒しているのか三匹が列をつくって。
「いや、一対一なら相手にならんから」
向かってくるホブゴブリンの剣を受け流し、そのまま動作をつなげ脇腹を深々と切り裂く。続けてきた二匹目の棍棒をバックステップで避け、振り下ろした姿勢の内に前に跳んですれ違いざまに二匹目の首を斬る。
そのまま足を止めず、構えていた三匹目の間合いに入る直前に横にかわしながら体勢を整える。もちろん三匹目も追ってくるが、体勢さえ整えてしまえばホブゴブリン程度の攻撃余裕で受け流せる。
「あ?」
何かの気配を感じ、俺はあわててその場を飛びのいた。直後、巨大な棍棒による強烈な一撃が俺のいた場所の地面を陥没させた。
「はっ、ようやく出やがったか」
激しく動いたことで姿隠しの魔術が解け、その場に身の丈四メルはあろうかというオーガーが姿を現した。
しかしホブゴブリンとオーガーか。できれば同時に相手をするのは勘弁してほしいところだが、円陣ではまだアイザックもシーノックも余裕があるとは言い難い状況だ。
二人とも、本来ならホブゴブリンやゴブリンに苦戦するような実力ではないのだが、周囲の冒険者へのフォローで目の前の相手だけに集中できていないのだ。
と、素早く移動してきたシュツハーゲンがホブゴブリンを蹴り飛ばす。
「やれやれ、ホブゴブリンは耐久力が高いから嫌いだよ」
怨嗟の声を上げながら起き上るホブゴブリンにうんざりした視線をむけながらつぶやく。
まだまだ成長途中のこいつの爪はホブゴブリンなどの耐久力の高い相手ではそこまで深く切り裂くことはできない。身体能力は上回っているからホブゴブリンの攻撃が当たる心配はないだろうが。
しかしこいつ、もうシャーマンを片づけたのか?
「ごめん、まだシャーマンは見つけてない」
「いや、助かった。あれ倒したら捜索に戻ってくれ」
多分、見つけきれなかった一因はホブゴブリン丸焼きにして強烈な匂いを作った俺だな。
反省しよう。多分、次に魔法使う頃には忘れてるけど。
「クロト、こっち片づけたら加勢に行くからなんとか耐えてくれ」
正面のホブゴブリンをハルバードで切り倒しながらこちらに声をかけるアイザック。さすがに戦闘経験が多いだけあって仲間のフォローをしながらでもこちらを見る余裕があるか。
「いらねぇよ。自分と周りの連中守ること考えてろ」
俺の金貨十五枚に手を出させるつもりはない。一人で勝てそうにない場合には手を借りることになるが、それはあくまで俺が勝てない場合だけだ。
とにかく、一対一という環境は出来上がった。なら、あとは全力でぶつかるだけだ。切り札その二、身体強化を実行すべく俺は呼吸を切り替えた。
≪アイザックサイド≫
「一人で勝てるのでしょうか?」
「いや、いくらなんでも無理だろ」
アイザックはシーナの疑問を即座に否定した。
アイザックはクロトから一般的なオーガーについて情報を聞いていたものの、酒の席ゆえに多少なりとも誇張されているものだと思っていた。だが、実際に目にしてみれば聞いていた情報通りの魔物であり、予想を二回りほど上回っている。
「あのオーガーがこっちに来れば円陣は崩壊、俺たちはゴブリンどもの群れに呑まれちまう。だからクロトは無茶してオーガーと対峙してんだよ」
「クロトさんらしいですよ、まったく」
クロトを尊敬するシーノックらしいセリフだが、確かに尊敬に値する行動であるのは間違いない。目つきが悪く金に汚いが、普段の行動だけでは人を判断してはいけないということなのだろう。
……無茶するなよ、クロト。すぐに助けに行くからな。
完全に勘違いをしているアイザックの視線の先で、クロトとオーガーの戦いが始まった。
≪クロトサイド≫
オーガーは出現時と同じく棍棒で叩き潰しを試みるが、俺はその一撃を避けながら前進する。
だがオーガーも先の不意打ちを回避されたことで予想していたのか、近づいてきた俺に蹴りを放つ。
右足を軽く前方に突きだしているようにしかみえないが、そもそも身体のサイズが違いすぎる。まともに受ければ骨が砕け、運が悪ければそれだけで絶命しかねない。
さすがに蹴りは予想していなかったが、しかし剣の腹で受け、そのまま身体を左に滑らせて回避する。刃の部分で受けなかったのは切り落とすより先に剣が潰れると判断したためだ。
俺は横に避けた勢いのまま、左足を軸に回転しながら剣でオーガーの左足に斬りつける。
だが浅い。俺に筋力がないわけではない。呼吸法によって身体強化を行っている今の筋力はアイザックに引けを取らない。
このオーガーの筋肉が異常なのだ。分厚い筋肉に阻まれて、俺の斬撃は骨まで達することができなかった。
「どんな筋肉してやがるんだよ、クソ」
迷いは一瞬。
毒づきながら即座に剣を抜く。だが、それでもオーガーの間合いで動きが止まったのは致命的だった。左足を傷つけられたにも関わらずその左足で俺を蹴りつける。
いや、蹴りではなくおそらくは俺に向きなおろうとしただけなのだろう。それでも人間にとって十分すぎる打撃になるのは間違いなかった。
とっさに避けたもののわずかに体勢が崩れる。
その隙を逃さず、オーガーは棍棒を横に振るう。それでも不完全な体勢のまま棍棒の間合いの外まで跳躍し、地面に転がりながらも避けることに成功した。だが、
「……オイ、冗談だろ?」
待ち構えていた二匹目のオーガーが地面に転がっている俺に棍棒を叩きつける。