2、チンピラ剣士、チンピラを成敗す
白い手から柔らかな光が生まれ、その光を当てられた傷口から痛みが消える。
といっても一瞬で傷がふさがったわけではなく、治癒魔法の効果の一つで痛みを和らげる効果が発揮されただけだ。
柔らかな光の当たっている部分の治癒力が活性化され、ゆっくりと傷口をふさいでいくが、術者の力量が低いのか治癒のスピードが遅い。この様子では完全に傷がふさがるまでは結構時間がかかるだろう。
白い布で仕切られた、さして広くもないスペースで神官と俺、互いに無言。
これが美人神官とかだったら軽く世間話でもするのだが、残念ながら治癒しているのは三十代半ばくらいの線の細いおっさんである。
ちなみにおっさん神官は、魔術そのものに慣れていないようで、魔術の制御に集中するために額に汗が浮かんでいる。
マリトの街はそれほど小さい街というわけでもないし、治癒魔法の使い手が不足しているということはないと思うのだが、冒険者ってことで軽く見られているのだろうか?
こういうとき、英雄譚とかでは美人とか美少女の神官が治癒してくれて、将来的には主人公へ恋するようになると相場が決まっているものだが、残念ながら俺にはそんな機会はまだない。
今後もないかもしれないが。
「クロトくんがいるのはこちらかね?」
治療室の扉を開け、部屋に入ってきたのは四十代の偉そうなヒゲを生やした中年親父だった。
派手ではないが、丈夫そうないい生地をつかったベストとズボンを着たこのヒゲ中年が冒険者協会マリト支部の支部長さんだ。
名前は初めて会ったときに聞いた気もするが忘れた。役職さえ覚えていれば名前なんて覚えていなくてもどうにかなるので、あえて思い出す必要もあるまい。
「よう、支部長」
まだ治療中で足を動かせないため、その場に座ったまま片手をあげて声をかける。
「オーガーが出たというのは本当かね?」
俺がいる場所に気付くと、早足にこちらに歩きながら挨拶もなく単刀直入に、俺が見習い神官に伝言を頼んだことの真偽を確かめてくる。
冒険者の義務として直接冒険者支部に報告に行く必要があったのだが、足を怪我したまま丸一日動き続けたおかげで傷口が変色してヤバい気配がしてきたので治癒を優先した次第である。
それでもわざわざ伝言という形で報告したのだから冒険者の鑑といえよう。
……治療を受ける前に怪我をした事情を説明すると、神殿の方で勝手に冒険者協会に神官見習いを走らせただけ、とも言うのだが。
しかし伝言とはいえ報告は受け取っただろうにせっかちな支部長である。
「ああ、本当だよ。ホブゴブリン退治なんて言われていたもんだから油断して大怪我しちまったじゃねぇか」
なのでここの治療費は冒険者協会の支払いにしてもらいたい。ついでに慰謝料とかも要求したい。
「それは済まないことをしたと思う。治療費の件については考えておこう。その傷もオーガーに?」
でたよ、考えておこう。善処する、と同じくたいしてあてにできないお偉いさんの常套句である。
「いや、オーガーの攻撃をかわしたところにホブゴブリンライダーのウルフが噛みついてきてな」
嘘は言っていない。オーガーの攻撃をかわして逃げ出したが、追ってきたホブゴブリンライダーの相手をしていたところを、ウルフに噛みつかれたのは間違いないのだ。
一部省力しただけで大きな違いはない、たぶん。
「ついでに言っとくと、イダルゴの奴はオーガーにやられた」
ついでで済ますような話ではないのだが、重々しくいったところで現実が変わるわけではない。顔見知りであるがそれほど親しいわけでなく、成り行きで一緒に依頼を受けただけ。
言ってしまえばこの街だけの付き合いだ。俺としては特に感慨もない。
支部長は、そうか、と小さくうなずいただけだった。
冒険者っていうのは死と隣り合わせの職業だ。支部長ともなれば冒険者の訃報には慣れているってことか。
イダルゴは土着の冒険者なので、ちょっと冷たくないか?とは思うが、まぁオーガーの脅威の方が深刻さの度合いでは優先順位が高くなるのは当然か。
それにまぁ、言ってはなんだがあんまり腕のいい奴でもないし、冒険者協会としてもさして惜しいとも思えないのかもしれない。
「それで、いたのは一体だけかね? それと遭遇したというホブゴブリンの数も教えてほしいのだが?」
「オーガーは一匹だな。ゴブリンかホブゴブリンかは知らんが、シャーマンもいる」
でないとオーガーほどの巨体の持ち主が、イダルゴはともかくとして俺にまで気付かれないまま真後ろに回り込むなんて器用な真似は不可能だ。シャーマンがあらかじめ姿を消す魔法と音を消す魔法、両方をかけておいたに違いない。
「んで確認したホブゴブリンは六匹。四匹はライダーで、そのうちの三匹は始末した。状況が状況だったから証拠を持ち帰る余裕はなかったけどな」
ライダーを三匹始末した、という俺のセリフに支部長の目が丸くなる。
「それだけの数を同時に相手にしてホブゴブリンライダーを三匹も? ひょっとしてクロト君は神格者だったのか?」
「だったらよかったんだけどな」
残念ながら俺はノーマルな人間である。あんな生まれながらの英雄候補とは違う。
神格者というのは、神の魂の欠片を宿す者のことだ。こればかりは親から子へ受け継がれるとか修行すれば身に着けられるとかいうことは一切なく、完全に生まれつき持っているか否かでしかない。
一万人に一人の才能とも言われる神格者。才能の方向こそ様々であるが、総じて言えるのは、そもそもの基本性能で普通人を軽く上回り、努力の効率も五倍から十倍程度は高いってことだ。
さらには魔術とも違う妙な技まで持っている。
神の魂の欠片うんぬんは眉唾としても、普通人とは明らかに別格の存在ってわけだ。
「そうか」
支部長は俺が神格者でなかったことにあからさまに落胆した。
失礼な奴である。というかこの反応を見る限り、マリトの街の冒険者協会に神格者はいないのか。
まぁ神格者の大半はそれと判明した時点で国から勧誘されるからな。戦士として一騎当千となる才を秘めているし、何より、仲間に与える安心感が違う。
「オーガーとか明らかに普通の冒険者の手に余るだろ。領主に連絡して国から軍を派遣してもらえよ。あくまで俺が確認したのはさっき言った数だけだが下手すりゃ、というか間違いなくホブゴブリンはもっと大量にいるだろうし」
オーガー単体であれば、一流の戦士十人ほどを死ぬ気で突っ込ませれば勝てないことはない。半分以上が犠牲になることを覚悟する必要があるが。
ちなみに俺のような超一流なら一対一でも戦えないことはない。勝てる、とは言い切れないし、わざわざ危険をおかすつもりもないが。
今回はそれに加えてホブゴブリンの群れが存在する。おまけにシャーマンも。これを討伐しようと思うなら緻密な作戦を立てて強襲できる組織、つまりは軍に動いてもらうのが確実だ。
軍隊であれば単体でオーガーと互角以上の戦力である神格者も一人くらいはいるかもしれないし。
「無論そのつもりだ。だが軍に動いてもらうにはオーガーがいた、という確たる証拠が必要なのだよ」
おう、なんとなく嫌な話の流れだ。
「そこで冒険者のチームを作成して偵察隊を派遣しようと思う。一応冒険者協会で協議にかけてからということになるが、間違いなくそうなるだろう。
そこでオーガーと戦い生き残って見せたクロト君にはぜひ参加してほしい。これは要請と受け取ってもらっていい」
……ふむ。
要請と言われて断ればこの街の冒険者協会から仕事を回してもらえなくなる恐れがあるが、どのみちいい加減マリトの街を離れる予定だったのでそれはどうでもいい。
ただ、さすがにオーガーが本当にいるかどうかに関しては疑われているようだ。
そりゃそうだろう。そもそもホブゴブリンすらろくに出ない街で、オーガーを見たとか言われれば俺だって疑う。まず見間違いか、狂言だと決めつけるね。
それでも完全に嘘だと決めつけることができないくらいには俺はこの街の冒険者協会で信用を築いていたわけだ。
街についたばかりの頃に報酬優先で危険度の高い依頼を片っ端から受けていたせいもあるかもしれない。
金に執着するのも変なところで役に立つものである。
「本決定したら声かけてくれよ。一応準備はしておくから」
偵察とはいえ有能な冒険者をそれなりの数そろえる必要があるため、偵察を今日明日に行う、ということはあるまい。
どのみちオーガーがいること確認されなければ足の治療費とかも冒険者協会の負担にできないだろうし、それならただ待つだけよりは参加した方がいい。
ホブゴブリンやシャーマンを配下にしているため危険が大きいのはわかってはいるが、逃げるだけならそれほど難易度が高いということはあるまい。
実際昨日は逃げ切れているわけだし。
それに運が良ければ討伐もできるかもしれない。討伐できた時にはそれなりの報酬をもらえるだろうし多少の危険を冒す価値はある。
もちろん無茶をするつもりはないが。
と、自分に言い聞かせてみました。
本音を言えば面倒くさいのでやりたくはない。仲間が多いというのは互いの呼吸がわかっているならともかく、そうでなければ足を引っ張られるデメリットの方が大きい。
自分のミスならともかく、成り行きで組んだ程度の仲間のミスに巻き込まれて命を危険にさらすなどまっぴらごめんである。
が、偵察隊の連中がオーガーを発見できなかった場合を考えると断れないのである。
別にマリトの街がオーガーに襲われようとどうでもいいのだが、俺自身の懐から足の怪我の治療費を出すことになる。それだけならともかく、嘘をついて依頼から逃げ出したってことで違約金まで払わされるかもしれない。
ただでさえ荷物がなくなって買いなおす必要があるというのに、これ以上の出費なんてまっぴらごめんだ。
「では、いろいろと手続きがあるのでこれで失礼する」
ということで協会長さんは去っていった。
「治療、終わりましたよ」
視線を戻せば足の治療は終わっていた。というかとっくに治療は終わっていたっぽいので、協会長と話している間は気を使って声をかけなかったってことかね。
軽く足首を動かしてみると少々ひきつるような感覚があるが、こればかりは治った直後なので仕方ない。
一晩寝て起きたころには元に戻っているだろう。
昨日オーガーに襲われてから夜通し動きっぱなしで疲れてはいるが、先にいろいろ不足したものを知り合いの隊商で買ってから宿に帰るとするかな。
「さんきゅ、治療費は冒険者協会にツケといてくれ」
「無理です」
まぁ無理だよなぁ。
仕方なく俺は銀貨一枚を支払った。
治療費ってどうしてこうむやみやたらに高いんだか。
買い物は案外安く済んだ。
田舎だから物が安いというのもあるが、そもそも買いたいものが売っていないというのが一番大きい。
ダメじゃん、田舎。街から街へ移動する隊商でこの程度っていうのは寂しすぎるぞ。
やっぱり王都だよな。もしくは妖魔との戦争の最前線に近い街。前線って物資が集まりやすい分、色んなものが手に入るんだよなぁ。
今回役に立ってくれたボーラに関しては購入することができたが、投げ捨てた手荷物に入っていた投網や持続光の魔法を付与された魔法のランタンをはじめとする俺の冒険者生活を支える、持っていると便利なアイテム類はほとんど購入することはできなかった。レザーブーツもあんまり質のいい品じゃないし。
ちなみに隊商は明日にはこの街を引き払うことにしたらしい。元々は三日後に出ていく予定で俺を護衛として雇う契約をしていたのだが、今回オーガーが出現した話をすると都合のつく護衛だけでいいのですぐにでも街を出ていくとのこと。
残念ながら仕事の口はなくなってしまったが、情報料代わりにレザーブーツをはじめとするいくつかの道具類を半値以下で譲ってもらったので良しとしておこう。
夕暮れの色が濃くなってきたし、街の店を回るのは明日のことにしてそろそろ宿に戻ろうかというタイミングで、俺はそれに遭遇した。
すなわち、チンピラ三人に絡まれる美少女である。
……いや美少女っていうにはちょい年をくってるな。多分俺より少し上くらいか。十九以上は美少女ではなく美人さんと称すべきだろう
衣装は修道女の旅装だし、この街のものではなさそうだ。美人ではあるがややおかたいというか真面目そうな感じがあり俺の好みではない。
スルーするか?
いやでも目の前で美人が絡まれてるシチュエーションってかなり貴重だよな。
でも好みじゃないんだよなぁ。年下で大人しそうな美少女なら迷わないんだけど。
……もったいないような気もするが見なかったことにするか。年上なんぞ助ける義理もないし、今日は疲れているしさっさと宿に戻ってご飯を食べて眠りたい。
そう結論付けて立ち去ろうと思ったのだがしかし、絡まれている様子を見て悩んでいた俺に気付いたらしく、チンピラどもの方から俺に近寄ってきた。
「さっきからこっちを睨んでいるけどなんか用かよ?」
「俺らに文句でもあんのかよ」
「文句はないし、目付きが悪いのは生まれつき……でもないような。育ちのせいかな?」
顔って普段の表情に影響されるらしい。
十三から戦場にいる俺であれば、目つきが鋭くなるというものである。
「おちょくってるのかてめぇは」
助ける気は本気でなかったんだけどな。
とはいえ昨日からいろいろあって疲れてるし、身の程知らずに絡まれてイラつかないほど人間ができていないわけで。
チンピラの俺を殴りつけようとしたこぶしを受け止め、足を払う。
予想していなかったのか、ただ単に反応できなかったのか、チンピラは勢いよく後頭部を地面に打ち付け、気絶する。
「てめぇっ!」
「やりやがったな!」
仲間の一人がやられたせいか残りの二人が気色ばむ。が、
「やめときな。お前ら程度じゃ何人いたってクロトにはかなわねぇよ」
俺の後ろに立った巨漢がチンピラ二人を制した。なぜ巨漢とわかるかって? 影がさしたからだよ。
「あ、アイザックさんの知り合いで?」
すぐにでも揉み手をしそうな勢いである。さっきまでの威勢の良さはどこに行った?
「そういうことだ。さっさと失せろ」
アイザックの一睨みで、チンピラ二名は倒れた一人を抱え上げてすたこら逃げてゆく。アイザックにビビるなら俺に向かってくるなよ。
「一応、礼は言っといたほうがいいのか?」
後ろへ向き直り、禿頭の巨漢に問いかける。強面だがそれほど粗暴な男というわけでもない。マリトの街の冒険者の顔役で、ついでに 言えば俺が知る限りこの街の冒険者で最も腕がいいと思われる男、アイザック。
何度か一緒に組んで仕事をした感想としては、その実力はこんな田舎で冒険者をやるのがもったいないレベルの戦士だ。
「いらんいらん。それより礼というなら話を聞かせろ。今日のホブゴブリン退治の話を、な。」
「ひょっとして依頼されたのか?」
アイザックは一対一ならホブゴブリン程度、鼻歌を歌いながら相手をできる実力者だ。協会長としては一番に確保しておきたい人材だろう。
あ、もちろん俺を除けば、である。
「まぁな。そんでお前さんに詳しい話でも聞こうと思って探してたんだよ」
「ふむ」
一山いくらの役立たずならともかく、アイザックくらいの実力者に情報を出し渋る意味はない。この辺の連中ってオーガーなんぞ見たこともない連中がほとんどだから、下手に説明すると逃げ出しかねないんだよな。
……万が一、アイザックがビビって逃げ出すというならそれはそれで笑えるだろうし。その時は腹抱えて笑ってやろう。
「酒でも奢ってくれるんならいいぞ」
「そこは普通に教えろよ。まぁそのくらいならいいけどな」
なんでも言ってみるもんである。あんまりやり過ぎたら嫌われるので加減がキモだが。
「あの、助けていただきありがとうございました。」
と、見知らぬ修道女が記憶にないことを言ってくる。ああいや、チンピラに絡まれていた修道女か、こいつ。
好みでないにしても、普段なら恩に着せて飯でも奢らせるところだが、すでに夕食はアイザックの奢りに決定している。つまり、この女に用はない。
「別に……」
「いやいや、冒険者として当然のことですよ、美しいシスター。」
……おい、アイザック。
「それにしてもこんな僻地へ貴女のようなかたが何の御用でしょうか?」
お前誰だよ。
いかん、このおっさんナンパする気満々だ。
しかし修道女は慣れているのか危機感が足りないのか、平然として応じる。
「神託で、勇者様を探しに」
その言葉に、アイザックはありもしない前髪をかき上げながら、
「俺のことですね」
「お前は神格者じゃねーだろ」
我慢できなくなった俺の跳び蹴りがアイザックの横っ面をふっとばした。
修道女は一瞬驚いた顔をしてからクスクス笑いだす。
案外、キモが太いのかもしれない。
神託の勇者。要は神格者のことである。ただし、神託によって出現を予言されたそいつらは通常の神格者よりもさらに上位存在である、と目されている。乱暴に言ってしまえばゴブリンとホブゴブリンの違いみたいなもんだ。
基礎能力は掛け値なしに高い。
とはいえろくな訓練も受けてない状態では何かの間違いであっさり死んでしまうこともあり得る。そのため神殿では神託があった際には護衛兼お目付け役として従者になる人間を選抜して送り出すのが慣例になっているのだが……
「あんた一人なのか?」
従者に選ばれるくらいだからそれなりに戦闘訓練は受けているのだろうが、それでも一人というのは普通ありえない。
「いえ、ほかにも数名この街へ向かっているはずですが、私がこの街に最も近かったため最初に到着した、というわけです」
「なるほど」
しかし神格者か。オーガーが出た状況で神格者、それも神託の勇者が出現というのはありがたいと言えばありがたいが、出来過ぎの感すらある。
「ひょっとして心当たりがあるのですか?」
「いや、知らんよ」
修道女に期待の視線を向けられるが、首を横に振る。
これまでマリトの街に神格者がいるなんて聞いたこともない。ついでに言えば、実は俺が神格者だった、なんて超展開もない。
「しかしあれだな、神格者がいるんならオーガーも退治できそうだな」
あっさりと復活したアイザックの言うことは正しい。勇者と呼ばれる以上、予言された神格者は戦士タイプ。戦士タイプであれば並みの神格者ですら熟練すればオーガー並みの怪力を誇る。神託の勇者であればさらに上を行くわけだ。
おそらく素人同然でもホブゴブリンを軽くぶちのめせる程度の素質は持っているだろう。そういうわけで戦力としては大きい。だが、
「そもそもまだ現れてねーだろ」
「まぁそうだが、こういう時はピンチになると必ず現れるというのが英雄譚の定番だろう?」
否定はしないけど、オーガー相手に追いつめられる状況って偵察隊に犠牲者が出ている可能性高いからな。そしてそれはアイザックかもしれない。
さすがにオーガーが相手なら俺が犠牲になることはない。負けそうなら犠牲になる前に逃げるし。
前線で囮部隊として幾度となく死地に投入され、逃げきり続けた生存能力は伊達ではない。
戦え? さすがに一つ目巨人やダークエルフの主力部隊とかを一部隊でまともに相手にできるわけがない。
「ふぅむ、それでは何かわかったらお知らせしましょう。
シスターはどこにお住まいの予定で?」
精一杯真面目な顔しているが、下心が透けて見えているぞ、アイザック。
というかナンパするなら名前とか聞いたらどうなんだろう?
どうでもいいし、面倒くさいからツッコまないけど。
「勇者様が見つかるまでは神殿の方に滞在する予定です」
「なるほどなるほど。しかし神殿に行くまでに先ほどのようなことがあってはいけない。このアイザックが神殿までお送りしましょう」
さすがに見逃せずに、小声でツッコみを入れる。
「俺に酒を奢るって話はどうなった?」
「すまんがそりゃまた今度だ」
成功の見込みの薄いナンパより、俺に酒を奢って情報をもらう方がよっぽど有意義だと思うんだけどなぁ。
従者で修道女とか、もろ神託の勇者をいい気にさせて世のため人のために戦わせるためのエサだし。
「そんじゃそういうことなら俺はこれで」
同行してナンパ失敗の責任を押し付けられるのも面倒だ。そう思って背を向けた俺に修道女が最後に声をかけた。
「助けていただいてろくなお礼もできずに申し訳ありません。よかったら名前を聞かせていただけますか?」
「クロト」
そもそも助けるつもりもなかったが、いいほうに誤解しているのをわざわざ訂正する必要もないのでそれだけ言ってその場を後にした。
翌日、今度は俺が絡まれていた。
事の起こりはこうだ。アイザックのナンパの結果を笑うべく冒険者協会に出向いたが、待機所兼酒場にはアイザックの姿が見当たらない。
アイザックを待ってしばらく酒場で顔なじみと世間話をしていたが、昼前になっても冒険者協会に顔を出す様子はない。
まさかのナンパに成功して宿に連れ込んだパターンか、とも疑うが隊商の連中がこの街を出ていく時間が近づいたので、見送るべく冒険者協会を出て東門の方へ向かう。
隊商の連中とは今後も会う機会があるかもしれないので、つながりを太くしておくのは重要なのだ。隊商のリーダーの娘が二、三年後には俺のストライクゾーンに入りそうな可愛い少女だった、という理由もなきにしもあらず。
とにかく、俺としてはそこそこ大事な用件だったのだが、そこへ向かう途中でユークンダ以下数名の冒険者に取り囲まれたというわけだ。
「んで、何の用だよ?」
俺としてはこんなチンピラ紛いのなんちゃって冒険者なんぞに用はないんだけどな。
「何の用だと? てめぇの胸に聞いてみろよ」
ちなみにユークンダくん、イダルゴとどっこいどっこいの実力者。つまり雑魚である。本人もそれがわかっているから数を集めたのだろうが。
「自分の胸と会話できるほど器用じゃねーよ。お前に割いてやる時間がもったいないからさっさと用件言えよ」
冒険者同士でもめ事を起こすと冒険者協会がうるさいから、向こうから手を出したなどの口実がなければ殴り倒して進むというわけにはいかないのが面倒なところだ。
「っ。なら言ってやるよ。てめぇ、よくもイダルゴを見捨てやがったな」
「見捨てた?」
見捨てるつもりだったし実際に見捨てたわけだが、それとわかる報告をしたつもりはない。
というか、見捨てたのだってあんなもん不可抗力だろう?
「でなけりゃてめぇ一人無事に帰ってこれるわけねぇだろうが」
……ああ、そういやこいつら仲が良かったっけ。どうして単細胞というのはこう、自分の想像のみで他人に因縁をつけてくるものなのか。
「見捨てたとか人聞きの悪いこと言うなよ。オーガーの不意打ちをまともに受けたんだ。助けようがないだろ」
「はっ、そんなもん誰も見てないからいくらでも好き放題いえるよな」
「その理屈なら、お前が俺を責めることもできないと思うぞ。見捨てた現場を見たわけでもあるまいし」
「屁理屈言ってんじゃねぇよ!」
ユークンダ超うぜぇ。後ろではやし立てる取り巻き連中もだが。間違いなくユークンダは俺の嫌いなタイプだ。
つまり俺よりわがままな奴だ。
「とにかく、てめぇがイダルゴを殺したんだ」
飛躍しすぎたアホ。薬でもキメてんのかこいつ。というか、周囲の人に聞こえるような大声でいうなよ。俺の評判が落ちる。
ただでさえ目つきが悪いから誤解されやすいっていうのに。
「いい加減に黙れユークンダ。多少のおいたなら見逃してやるが、こっちにも我慢の限度ってもんがあるんだぞ」
意識してややドスの効いた声を出す。さすがにここまで挑発されて放置しておけるほど温厚ではない。いや元々温厚じゃねーし。
「はっ、思い通りにならないなら暴力かよ。冒険者の面汚しだな、てめーは」
そうだそうだ、とはやし立てる取り巻き連中。
………………うん、俺はじゅうぶん我慢したよな。
とりあえず死んだら運が悪かったってことで、その時はどっかにこっそり埋めよう。バレたらバレたでマリトの街から逃げ出せば済むことだ。
「いい加減にしたらどうですか。どんな理由があるか知りませんが、一人を多数で取り囲んで責め立てるなど、恥ずかしくないのですか?」
俺が全キル、もとい実力行使をする直前に割り込んだ声が、俺とユークンダ達全員の動きを止めた。
声の主は純朴そうな十四、五くらいの田舎少年。しかし腰に差した剣と身にまとったぴかぴかの鉄の鎧が冒険者志願であることを示している。
そんなことしなくとも王都あたりに行けば、貴族令嬢とか未亡人の女貴族とかがいくらでも養ってくれそうな顔立ちなんだけどなぁ。
「あぁ、関係ないガキはすっこんでろ。こいつはダチの仇なんだよ」
いきなり邪魔をしてきた身の程知らずに、ユークンダが凄む。完璧にチンピラである。
だが言ってることの前半だけはもっともだ。手を出すタイミングを失ったじゃないか。
それにしてもついに仇とまできたか。いっそどこまでエスカレートするか気になってきたが、たぶんその前に手を出すタイミングが来るだろうな。
「自らの正義を主張するのであればしかるべき場においてするべきではないですか?
このように街中で数を頼んで取り囲むなど、自身はもちろんとして、友人の名誉すら貶める行為ですよ」
正論と言えば正論なのだが、そもそもそんなものが通用するような相手ならこういうことをするはずがない。
「黙って聞いてりゃ調子に乗るなよ、糞餓鬼」
お前、いつ黙って聞いていたよ?
ユークンダは腰の剣に手をかけ、それを待ち構えていた俺はユークンダの後頭部を掴んで全力で地面にたたきつけた。
いきなり後頭部を掴まれればたいていの相手はわずかに硬直する。その硬直する直前、ほんの一瞬だけ前に体重がかかるタイミングがあり、そこを逃さずそのまま前に押して地面に叩きつけるという、かつて前線にいたころ所属していた部隊の隊長に教わった喧嘩術である。
「いい加減にするのはお前だ。街中で剣を抜くとか、何考えてやがる」
顔面からもろに地面に叩きつけられた為、すでに気を失って聞こえていないだろうが、自分の行為を周囲に聞こえるように正当化するのは大事である。
さっきはいろいろ諦めて全キルする気でいたが、相手に責任を押し付けられるのならそれを見逃す気はない。
状況の変化に追い付けないユークンダの仲間に視線を向ける。
「さて、ダチの敵とかいうなら当然お前らも引く気はないんだよな」
結果、すっきりした。
勘違いした狂犬をほぼ一方的にぶん殴るっていいよな。ストレス解消になる。
まともにやり合うなら人数差から俺もちょいと手こずったかもしれないが、先制して場の空気を完全に自分のものにしていたのであっさりと片がついた。
「……強いんですね」
死屍累々(気絶してるだけだが)となった現場で、少年はやや呆然とした感じでつぶやいた。
「どうして、それだけ強いのになかなか手を出そうとしなかったんですか?」
「うむ……」
まさか正直に、少年に声をかけられる直前までは全キルするつもりでした、とは言えない。
「力を持ってるやつが簡単に力をふるうわけにもいかないだろ。無関係な奴に剣を抜こうとしたとか、どうしようもない理由があるならともかく」
主な理由として捕まるから。人目がないところなら遠慮の必要はないが。
「なるほど。
僕はシーノックといいます。よろしければお名前を教えていただけますか?」
昨日に続き、連続で自己紹介する流れでも来てるのかね?
「クロトだ。クロト=フードゥー」
「フードゥーさん、ですか」
「クロトでいいよ。家名はあんまり好きじゃない」
なら名乗るなという話だが、うっかり名乗ってしまったものはしょうがない。
まぁ、あの修道女が原因なんだろうな。神託の勇者なんてものの話なんぞするから昨夜の夢見が悪く、思い出してしまったのだ。
家名なんてもうずいぶんと長く名乗ったことなんてなかったんだけどな。
「そんじゃ、俺はちょっと急いでるから」
「あ、引き留めてしまってすみません」
「いいよ、気にするな」
むしろ俺がシーノック少年に礼を言う立場だし。
少し早足で歩きながら考える。ひょっとしてあの新米冒険者が予言の勇者という可能性はないだろうか。今まで冒険者協会で見たことのない顔だし、最近この街に来た冒険者だろう。少なくとも条件的には問題ない。
それに普通の人であれば保身を第一に考え、あの人数に絡まれている俺を助けようなどという行動はなかなかできるものではない。神格者という実力があればこそためらいなくその思いを実行に移せるのではないか。
まぁ、そんなご都合主義的展開はいまどき三流吟遊詩人の歌う英雄譚でもなかなか存在しない。単純に正義感の強い世間知らずの新米冒険者というだけだろう。
現実を知ってどう変わっていくのか知らんが、ユークンダ達のような口だけのチンピラにならないことを祈るのみである。
まぁ精々頑張れ、新米冒険者。