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祓人稀有道中筆録  作者: 天城 晴巳
狛犬編
8/33

二面性

 慎は寒気がして目が覚めた。月白の頭が現れてから、どういうわけか慎は夢を殆ど見なかった。そのせいかすぐに目が覚めてしまっていた。しかし体が思うように動かない。動くのは目だけ。慎はまさかと思い、唯一動く目だけを頼りに部屋を見渡した。突然何もない空間からうっすらと女の影が現れた。髪の長い女で、典型的な幽霊の姿をしている。その女自体はなんとも思わなかったが、このあとどうなるのかを考えると慎は恐ろしさで叫びそうになった。だが声もでない。月白は何をやっているんだと月白を探しても、部屋のどこにもいない。ゆっくり近づいてくる女幽霊に怯えていると、廊下から人が歩くときの、廊下の軋む音が聞こえた。その音を聞いた女幽霊もぴたりと止まる。慎の脳裏に「死」がよぎる。完全に板挟み状態になった。廊下のほうから近付いてくる足音が聞こえる。床の軋む音が恐怖を駆り立てる。心なしか強い妖力も感じ、慎の目に涙が浮かんだ。

 足音が慎の部屋の前で止まると、襖がゆっくりと開いた。隙間から妖力があふれ出る。女幽霊は固まったままだ。慎も絶望感にあふれて思わず涙を流した。

入ってきたのは、木刀を持ち邪鬼のような風貌と化した寝間着姿の幸久だった。心なしか目が赤く光っているように見え、慎は一瞬悪魔かと思った。慎が想像していたものとは違えど、今の幸久は女幽霊と変わりないほど恐ろしい。いや、それ以上かもしれない。

 その姿を見ると慎の金縛りは解けたのだが、幸久の恐ろしさに慎は未だに硬直していた。女幽霊は逃げ出そうとするも幸久の力に縛り付けられて動けないようだった。

 幸久はそのまま女幽霊に近付き野球バットを振るようにして木刀を女幽霊に叩き付ける。女幽霊はそのまま吹っ飛ばされ、部屋の壁をすりぬけて消えていった。廊下から申し訳なさそうな顔をした月白が入ってきた。

「大丈夫か?」

 頭をぽりぽりとかきながら疲れた声色で幸久が慎に訊く。

「あ、ああ……」

 幸久がいつもの幸久に戻ったので、ようやく慎も起き上がることができた。

「あんなのどっから連れてくるんだ? それとお前、弱すぎ。お前が弱いせいで月白もどうすることも出来ずに俺に助けを求めに来たんだ。月白に感謝しろ」

 幸久が眠そうに頭をかいた。慎は感謝の念を込めて月白を撫でた。

「あー目ェ冴えちまった。なんか飲も」

 幸久はそのまま去って行った。

「お前は偉いな」

 慎は月白を撫でながら言う。月白は小首を傾げる。

「ニエじゃなくて幸久のところへ行ったのは得策だったよ」


 その夜慎は一睡もできなかった。幸久に言われた「弱い」という言葉が胸につっかえて取れなかった。

 学校では期末試験に向けて皆が勉学に励んでいた。慎も幸久も頭はよく勉強をする必要がそこまでなかった。自習の時間、クラスの三分の一が勉強をしているにも関わらず、自信がある者や諦めている者は席を移動してまで駄弁っていた。誰かがお菓子の包みを開けたのか、周りには甘ったるい匂いが漂っている。慎に比べて社交的な幸久の周りには5、6人の生徒が集まって談笑している。ああいう集団と一緒にいるときの幸久は妙に笑顔が多い。

「幸久君ってば人気者~」

 勉強をしていた御手洗が不貞寝をしている慎に話しかけた。口をもごもごさせていたため、今も漂う甘い匂いの犯人が御手洗であることがわかった。

「ほんと、あいつは人を欺くのが得意だよなー」

「え?」

「いるだろ? そこそこ仲良くないやつには、ああやって愛想よくする人間」


「と、いうことで、俺達にもあの笑顔を向けてみろ!」

 放課後、西日もまだ浅い時間だが、慎たちは夕日に照らされた教室に残っていた。そして御手洗が自習の時間の話を持ち出してきたのだ。

「……はあ?」

 幸久は当然の反応を示す。慎も呆れたような目線を御手洗に向ける。

「思ったんだよ。お前は俺達に冷たすぎる。いや、俺に冷たすぎる! 俺はお前の笑顔を見たことがない――気がする!」

 この時点で慎は一応耳を傾けてはいるが、幸久は完全に無視をしている。

「営業スマイルでもいい。俺に微笑みかけるんだ!」

「今日のお前なんか気持ち悪ィ」

 慎は御手洗が哀れ過ぎて何も言えなかった。すると幸久が溜息をつき、御手洗のほうに顔を向ける。慎のいる位置からでは幸久の表情がわからないが、御手洗に微笑みかけているのはわかった。御手洗は驚愕と哀しみの表情をしている。

「これでいいんだろ」

 幸久が作業に戻る。

「……もう二度とあんなこと言いません」

 御手洗が顔を手で覆い隠し、沈んだ声でそう言った。その声を聞いて、慎は思わず鼻で笑ってしまった。

「よろしい」

 幸久が束になったプリントを整えながら言う。

「というか、そんなこと言う暇があるんなら手ェ動かして手前の仕事終わらせろよ。なんで俺達も手伝ってんのに終わんねえんだよ。つーか、本人が一番仕事してないってどういうことなんだよ」

 息継ぎもしないで啖呵を切った幸久に、慎は「おお」と声を上げてしまった。

「え~、だってめんどくさい~」

 御手洗があからさまに声を高くして言う。

「志願したのお前だろ、馬鹿」

「馬鹿!?」

 一年生の一学期、委員会に入るのは教師の推薦だった。そこで慎達の担任は、幸久を学級委員に選んだ。しかし幸久はそれを拒否し、その時自主志願したのが御手洗だった。にも拘わらず御手洗は担任から任されたプリント整理という雑務をすっぽかしていた。

「頑張れよ委員長」

 慎がはやし立てた。すると御手洗はいつになく真面目な表情になり、二人に背を向ける。夕日に向かっているせいで、御手洗が影で真っ黒に見える。

「俺、思うんだよね……」

 幸久が御手洗の場所に置かれたプリントを自分のほうに引き寄せ、不備がないかチェックしている。心底どうでもいいようだ。慎は御手洗の背中を見ながら、きっと西日が眩しくて目を開けられないでいるだろう御手洗の顔を想像すると笑いが込み上げてきて我慢するのに苦労していた。

 それから御手洗は世界と人間の平等について熱く語り始めた。途中から慎も面倒くさくなったので、幸久のてきぱきとした手捌きを眺めることにしていた。

「――で、ここで出てくるのがアダムとイヴの話だ」

 話を聞いていなかったせいで、いきなり出てきた最初の人間の話に驚いて慎は頬杖をついていた腕から頭が落ちてしまった。そして、いつの間にか自分が軽く眠っていたことにも気づいた。

 いまだに夕日に向かって熱く語る御手洗の背中をぼんやりと見ていると、腕をちょいちょいとつつかれた。つつかれたほうを見ると、悪いことをたくらむような無邪気な顔をした幸久が鞄を持ち背をかがめていた。

「行くぞ」

 幸久が声も出さずにそう言った。慎は幸久の考えを読み、それに幸久と似たような笑顔を浮かべて応える。自分の鞄を取り、幸久と同じくらいまで背をかがめ、忍び足で教室の出口まで向かう。

「だから俺は――って二人とも聞いてる?」

 御手洗がそう言い振り向いたのを合図に、二人は教室を飛び出した。

「あ、こら待て! 逃げるなぁ!」

 後ろから御手洗が叫びながら教室を飛び出す音が聞こえる。慎は鬼ごっこをしている気分になり楽しくなった。おそらくそれは幸久も同じで、先を走る幸久の顔に笑みが浮かんでいるのが見える。

「おい! 俺を置いていくな!」

 後ろで御手洗が叫ぶ。

「もう粗方終わってんだからあとは自分で終わらせろ!」

 幸久が振り向かずにそう言う。


 階段に行く手前の騒がしい教室では、生徒の何人かが机や教卓の上に座って談笑していた。その中にはダリアと高梨もいて、高梨が中心人物となって輪を楽しませている。ダリアはクラスでも仲のいい男子と向かい合って話していた。

「なあ、福富って金持ちなんだろ? だったら夏休みみんなで旅行行こうぜ」

 ダリアと向かい合っていた男子がいきなり大声で言う。ダリアはその言葉に困惑の表情をみせる。

「いいね、それ!」

「海行こう、海!」

 周りの男女も野次馬のように賛同する。高梨はダリアが何か言うかずっとダリアを観察している。

「ちょっと待ってよ! 旅行なんて行けるわけないでしょ?」

 ダリアがやっとそう言う。そこで高梨も、やれやれといった感じでダリアに加勢する。

「そうだよ。ダリアのお父さんってすごく厳しいらしいから、たぶん保護者同伴以外は認めないと思うよ。――それかダリアのSPとかさ」

 一人の男子生徒が自分の兄を候補に挙げようとしたので、高梨は自然にそう付け加えた。それを聞いてその場にいた殆どが笑い飛ばした。

 すると廊下のほうから走る音と何か叫んでいる声が聞こえ、全員が黙る。

「おい! 俺を置いていくな!」

 聞き覚えのある声にダリアと高梨が反応する。

「もう粗方終わってんだからあとは自分で終わらせろ!」

 また聞こえる声にダリアは笑顔を浮かべ、高梨はそんなダリアを見て不貞腐れた態度を示す。

 幸久と慎が走っていく姿が見えた。ダリアの嬉しそうな表情に高梨は不満そうに鼻を鳴らす。御手洗も走り抜けていったが、ダリアも高梨も気付かなかった。

「今のって1組の?」

「蛇姫って奴じゃない、今の? 私のいとこと同じ小学校の」

 周りの生徒がざわつく。ダリアも三人の後を追い教室を飛び出す。

「ちょっとダリア! ――もう! じゃあね、みんな」

 高梨もダリアを追い教室を出て行った。


 幸久は階段を降りることなく上へ向かった。

「え、おい幸久! どこ行ってんだよ」

 慎は下に降りようとしたのを急いで方向転換して上へ向かう。

「まあ来い!」

 幸久は楽しそうにそう言った。慎はなんとなく幸久が行こうとしている場所がわかった。

「ちょ、まっ……」

 後を追ってきた御手洗も二人が上へ行くことに驚いて急いで階段を駆け上がる。

 登っていくにつれ屋上への扉が見えてくる。幸久が扉のドアノブに手をかけると、開かないはずの扉が開いた。慎も驚いたのだがそれ以上に驚いているのが御手洗だった。後ろで御手洗の素っ頓狂な叫び声が聞こえる。


 屋上へ上がると幸久が意気揚々と深呼吸を一回する。慎は膝に手をついて息切れしていた。

「なんで屋上が開いてんだ!?」

 御手洗が急いでやってきて訊いてきた。

「内緒」

「慎、お前息切らし過ぎじゃね?」

「うるせえ……」

「お前もサッカーしようぜ! 鍛えられるぞ!」

 余談だが、御手洗はサッカー部に所属している。すると階段から足音が聞こえてきた。そこからダリアと高梨が入ってきた。

「ここにいたんだ」

 ダリアが楽しそうに言う。

「なんで追いかけんのよ、全く」

 逆に高梨は妙に不満そうだったが、途端に息を呑んだ。それは美しい夕焼けのせいだった。水平線は濃い橙色に染まり、上を見上げていくほど群青色に染まっていく。夕日に向かって何本もの長い線のような雲が伸びている。

 全員がその光景に見とれている。しかしここで慎はこの風景のおかしなところに気付く。教室にいたときから感じていたのだが、まだ5時前だというのに陽がもうあんなに沈んでいる。夏至ももうとっくに過ぎているし、ここまで暗いのはあまりに不自然だった。

 それにこの光景は美しくもあるが、どこか不安を覚えるほどだった。見ていられなくなり、慎は思わず夕日から目をそらしてしまった。幸久のほうを一瞥すると、まるでペテン師のような微笑みを浮かべている。

 どういう仕組みかはわからないが、幸久がなんらかの方法で妖を使って黄昏時にしているのだ。何故そんなことをするのかはわからなかったので、小声で訊いてみた。

「なんでこんなことを?」

「幽世に行ったら、いずれわかるさ」

 幸久は相変わらず意地悪そうな笑みを浮かべている。

「そうだ! 影送りしようぜ」

 御手洗が唐突にそう言った。

「懐かしい!」

 高梨と幸久が同時に言う。ダリアはぽかんとしていたが、慎はどこか聞いたことのあるフレーズに首を傾げていた。

「小学生のとき、国語の授業でやっただろう?」

「みんなで先生に頼み込んで、屋上に行ってやったよなぁ」

「懐かし~。こうやって頭に両手置いて、目とかつくったりしたよね!」

 幸久、御手洗、高梨が楽しそうに話しているのを聞いて慎がなんとなく思い出しているなか、ダリアは会話に入れず涙目になっていた。

「なにそれ? ジャポネーゼはみんなやったことがあるの?」

「ジャポネーゼって」

 高梨が腹を抱えて笑いながらそう言った。

「じゃあみんなでやるか!」

 御手洗が言う。満場一致の賛成で夕日に背を向ける。ダリアも急いでそれを真似した。

「それでは影を見ます! 俺がいいというまで絶対に余所見をしてはいけないし、目もつぶってはいけません。十秒したら、空を見ましょう」

「ドライアイの私にはきついよ……」

 そう嘆くダリアの言葉にくすくす笑う声で高梨が返していた。

「いーち、にーい、さーん、よーん、ごーお、ろーく……」

 屋上だからなのか、風が吹いているせいで慎もそろそろ限界に近かった。慎は自分もドライアイだということが初めてわかった。

「きゅーう、じゅう!」

 一斉に空を見る。五人の影が白くくっきりと空に浮かび上がっている。

「わあ! すごい!」

 ダリアがはしゃいで大声を出す。慎は何か思い出しそうになった。あのフラッシュバックの衝撃に耐えようと心の準備をしたのだが、何も思い出さなかった。おそらく、影に関する記憶が何もないのだろう。

「知ってるか?」

 幸久が空を見上げたまま言う。四人は幸久に目を向ける。

「影は人間の魂そのものなんだそうだ。その影を空に送る、この『影送り』という遊びは――」

「おい、怖い話はやめろ!」

「安心しろよ、俺が今即興で作った話だ」

 幸久のその言葉に御手洗が間抜けな表情をしたため、他の三人もたまらず大笑いした。自分達のことに夢中になって校庭から聞こえてくる運動部の声に気が付かなかった。下から「おつかれー」という声が聞こえる。

「あ、やべえ! 先輩に雑用のこと何も言ってない!」

 御手洗が少し顔を青ざめながら言う。

 誰も慰めの言葉を言わず、「あーあ」という幸久の言葉しかなかった。

「どうすりゃいいんだ……殺される……」

「自業自得だ。殺されとけ」

「いやだ! 俺は生きてやる!」

「なら生き地獄を楽しむがいい」

 幸久と御手洗の二人の掛け合いに他の三人も笑いながら参加する。




「あいつら帰ってくるの遅いなー。どっか寄り道でもしてんのかなー。」

 弐衛門が縁側に寝そべりながら言う。腹の上にはシュレーディンガーが乗っており、弐衛門をじっと見つめている。月白は机の下で眠っていた。

「なあ、シュレ」

 眠っている月白を気遣うように、弐衛門は小声でシュレーディンガーに話しかけた。

「最近慎から、変な霊力を感じるんだ」

 シュレーディンガーは何も言わない。ただただじっと弐衛門を観察する。

「でも、あれは霊力より妖力に近い。それに、あいつはなんか妙なんだ。内面が、とかじゃなくて。うーん、まるで別の人間があいつの中にいるみたいなんだ。よくわからないけど……」

 シュレーディンガーの瞳孔がきゅっと細くなる。まるで何かを指摘するように。弐衛門もそれに気づいてシュレーディンガーと目を合わせ、鼻で笑う。

「俺も同じだって言いたいんだろ? でも俺と慎は違う。慎のほうは、たぶん守護霊的なものだ」

 ここで弐衛門は月白に一瞥をくれる。

「あの狛犬も、ただの神獣にしては力が強すぎる。覚醒したら俺だけじゃ止められんだろうな。どうやったらあんなすごいものが、あんな子供についてくるんだか」

 シュレーディンガーが目を細める。何を咎めるでもなく、ただじっと弐衛門を見据えている。


「あいつは何者なんだろうなぁ……」



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