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祓人稀有道中筆録  作者: 天城 晴巳
狛犬編
6/33

お仕事

「うぅ……ぐぐぐ……」

 慎は小屋の中でうめき声をあげ、自分の身体の周りを旋風が巻き起こるのをイメージする。すると慎の周りに風が起こり、周囲に置かれたコップの中の水を揺らした。

 それに気づくと慎の体から一気に力が抜け、その場にへたりこむ。今まで小屋の端でこちらを見守っていた前足と後ろ足だけが見える狛犬が歩み寄ってきた。慎は息を弾ませたあと、大きく深呼吸して立ち上がった。

「朝から精が出るな」

 いつの間にか弐衛門が小屋の戸を開け、その戸にもたれかかりながら立っていた。慎は乾いた笑い声を上げた。

「この短期間でここまでできるとはなぁ。初心者にしては上出来だ。朝飯できてるから、さっさと行くぞ」

 弐衛門が大あくびと伸びをしながら行ってしまった。


 朝食を済ませ、幸久と慎は学校への道のりを歩いていた。さっきから何故か弁柄が幸久の体から出ていて頭が痛そうな仕草をとっている。

「弁柄、どうしたんだ?」

 慎が心配そうに幸久に訊いた。

「ただの二日酔いだろ。全く、なんでニエもこいつもこんな感じなんだか」

 幸久が呆れたように言い、大きくため息をついた。

「ため息ついたら、寿命が三年縮むんだよ?」

 そう後ろから話しけてきたのは、赤縁の眼鏡をかけたダリアだった。後ろに高梨もいる。

「だからあんたは老けてんのかー」

 高梨は高い声で笑った。幸久はその高笑いを耳障りなものでも聞いているかのように顔をしかめた。

 慎がここ最近気付いたことは、この高梨という女はとても美人だということだ。言動からして女子らしさを感じないが、「可愛い」というよりは「綺麗」に近い方の美人だった。ダリアと並べば美女二人組だった。しかし少々性格がきつい。残念美人とはまさに高梨を指す言葉だとも思った。

 突然、幸久は逃げるように小走りになってその場から退散した。慎もそれに続いて小走りになった。後ろから高梨とダリアが追いかけてきたが、何故か幸久は学校とは真逆に方向にばかり走って二人をまいてしまった。

「いいのかよ」

 走ったせいで慎は少し息が弾んだ。

「何が?」

 幸久は息切れすることもなく平然としてそう言った。

「学校遅れるぞ」

「大丈夫だよ。弁柄を使えば学校なんてすぐだ」

「……前から思ってたんだけどさ。飛んでるとこ見られたら、色々とまずいんじゃないのか? 話してるとこ見られたりとか」

 幸久はきょとんとした。「今更か」、表情は明らかにその言葉を浮かべている。

「それなら問題ない。式鬼、つまり妖に触れられる、またはこちらから触れるということは、奴らの領分に入るってことだ。領分っていうのは、自らの妖気を隠したりする結界のことだ。その結界に入れば、俺達も姿が見えなくなる」

「じゃあ、視えないやつと話してて、いきなり妖のほうが話しかけてきたり、触れて来たりしたらパッといなくなっちまうってこと?」

「そんなことはまずありえない。特に式鬼は、契約によって心を通わせている。口頭でなくても、意志を伝えあうことができる。知らない妖が向こうから話しかけて来たり触れようとしてきたら、こっちが無視すればいい。式鬼がなんとかしてくれる。妖どもの申し訳程度の配慮だろ。多分」

 幸久が腕時計を見た。

「そろそろ行くか。今日は試験だし、遅刻したら流石にやばい」

 そう、今日は一学期最初の試験、中間考査がある。

 幸久が上で頭を抱えている弁柄を口笛で呼んだ。すると弁柄はめんどくさそうに降りてきて幸久の体に溶け入るように消えた。そして幸久の背中から弁柄の黒い翼が生えた。

「背中のせてくれんの?」

 慎がにやりと笑って訊いた。

「誰がのせるか」

 幸久は慎に自分の鞄を押し付けてふわりと舞い上がった。そして慎の脇の下を掴み、合図と共に空へ羽ばたいた。




「テストどうだったよ」

 靴を履き替えて出ようとしたとき、慎が幸久に訊いた。

「まあまあかな」

 幸久は涼しい顔をして言った。きっとまた高得点をとる自信があるのだろうと慎は思った。

「どうしよ~」

 ひどくうなだれたダリアは半べそをかきながら近付いてきた。

「全然わかんなかった……」

「ちゃんと勉強しなかった自分を恨むんだな」

 幸久の言葉にダリアはしゅんとした。

「ま、まあ赤点とらなきゃいいんだし、そう落ち込むなよ」

「慎ぉ……」

 潤んだ瞳でダリアは慎を見上げた。その情けない表情がどこかおかしくて、思わず吹き出しそうになってしまう。

「よーう、天才お二人組」

 後ろからいかにもやんちゃそうな男子生徒が話しかけてきた。幸久の友人で御手洗という。慎と初めて対面したときに、慎が都会の出だというのを知り「ここは確かに田舎だが、俺の家から歩いてすぐにコンビニがあるくらいには田舎じゃないぞ!」と、おかしな自慢をしてきた。幸久が初めて会ったときもそう言ってきたらしい。

「テストも終わったことだし、これからどっか行こうぜ」

 御手洗がそう言ってきた。それを聞いた瞬間、ダリアは少し寂しそうな表情をして「じゃあ、またね」と言って帰って行った。

「すまん。今日は客がくるんだ」

「あちゃー、じゃあまたにするか」

「ああ」

 御手洗が走って校門を通り抜けて行った。校門の向こうから「ダリアちゃーん、一緒に帰ろー」という御手洗の声が聞こえ、慎は呆れてしまった。

「客って昨日言ってた分家の人達のこと?」

「そうだ。だから今日はあまり居間にはいられないな」

 昨日、弐衛門に連絡が入った。佐竹家の分家、竹川家の娘が妖に憑かれたようなのだ。


 家に帰ると嫌な空気が漂っていた。幸久によると、こういうのを"瘴気"というのだそうだ。昼間にも関わらず、何か大きな影が家の中を這いずり回っているかのように、廊下やのれんの向こうに見える台所は暗い。

「まずいな。もう来てたのか……」

 幸久が若干焦ったように言って、忍び足で居間を覗きに行った。慎もそれに続いた。

 居間の襖を少し開けると、部屋の真ん中にあった座卓は壁に立てかけられていて、変わりに白い紙の上に女の子が座っていた。その女の子の前に火のついた蝋燭があり、弐衛門が女の子と向かい合う形で座っていた。

「幸久さん……」

 中年男性が台所から生気のない顔をして出てきた。すると突然幸久の肩にしがみついてきた。

「娘は助かるんでしょうか……」

 男は幸久の肩を力なく揺さぶる。幸久は鬱陶しそうにそれを払い除けた。その後、男に喝を入れるように、男の肩を強く叩く。

「安心しろ。ニエに任せて、あんたは大人しくしてろ」

 幸久が静かに、それでも力強く男を諭した。男が弱々しくその場にへたり込み、項垂れた。

 幸久は一仕事終えたように一息つくと、慎の手首を握って二階に上がろうとした。しかし、慎は弐衛門のすることが気になって仕方がなく、幸久の手を振りほどいた。その放心している男を押し退けてまた居間を覗く。

 少女は気分が悪そうに顔を青ざめている。弐衛門は札のようなものをもってそこに書かれている文字を読んでいるように見えた。しかし、口に出ている言葉は全くわからない。まるで弐衛門の声じゃないかのような、低く、地響きのようなゴロゴロしている声でわけのわからない言葉を話している。蝋燭の火が揺れる。途端に少女は首を斬り落とされたかのようにガクンと首を垂れて動かなくなってしまった。弐衛門は何も言わず、静かに少女を見つめる。

 幸久が後ろから小さな声で早く部屋に上がるように促しているが、慎には全く耳に入らなかった。急に蝋燭の火が激しく揺れ、弐衛門が首から下げている水晶が薄明光線のような光の帯をつくりながら輝いた。



 そして、慎の目の前が真っ白になってしまうほど光が大きくなるまで、時間はかからなかった。あまりに急に眩しい光を見たため慎は目が痛くなり目を閉じた。瞼越しでもわかる光が、小さくなるまで目を閉じていた。しかし一向に光の強さは弱まらない。

 仕方なくゆっくり目を開けてみると、そこはさっきまでいた佐竹家の家ではなかった。先程までの水晶の光は木漏れ日の太陽の光に変わっていた。

「雲行きが怪しくなってきたな」

 頭上から声がする。見上げてみると、夢に出てくる父親の姿があった。慎は声を出そうとするが声が出ない。父親は真っ直ぐ海とは別の方向を見ている。慎の体が勝手に向きを変え、父親と同じ方向を見た。そこで慎は気付いた。自分は今、当時の自分の中にいること。だから体が思うように動かなければ声も出ないのだと、すぐに理解できた。

 山のほうから暗雲が近寄ってきている。

「今日はずっと晴れの予報だったのに……」

 母親が残念そうな声を上げた。

「嵐になりそうだな。早く片付けて帰ろう」

「でも、もし雨が降り出したら……土砂崩れとかないかしら」

「大丈夫。この辺りは地盤が固いから」

 母親も父親もそう言い合い、慎をレジャーシートから離れるように言い、片づけ始めた。慎はずっと黒く大きな雲を見つめる。子供の慎の心が恐怖で震えているのがわかった。実際、大人になった慎も怖がりはしなかったが、妙な胸騒ぎがあった。

 片付けを終えた両親に呼ばれ急いで車に戻る。車に乗った途端、激しい雨が降り出した。叩きつけるような雨の中、父親が車を発進させた。子供の慎は激しく訴えた。

「帰ったら駄目だよ。あそこにいようよ」

 不安に震える子供の慎の声。

「大丈夫よ。ちゃんと家につくから」

 母親が優しく呼びかける。

 それでも尚、子供の慎は訴える。帰っては駄目だ、何かある、これから嫌なことが起こる。そんな子供の慎の心の不安が、成長した慎の心に染みわたってきた。

「駄目だ……」

 子供の慎でも、本来の慎でもない感情が現れ、そして声に出た。

「慎?」

 いきなり口調の変わった息子を不思議そうに母親は眺めた。父親も違和感を感じているようだった。

「そっちへ行ってはいけない!」

 子供の慎が立ち上がったが、これは本来の慎の意志でも、子供の慎の意志でもない。何か別のものが慎を動かしていた。

「どうしたんだ、慎。怖いのか?」

 父親が笑いながら言う。その隣で、母親は笑わなかった。自分の息子に異変を感じて真剣な表情で慎の見つめる。

「――慎?」

 さっきとは別の声色で母親が名前を呼んだ。




 そこで慎は目が覚めた。いつの間にか自分の部屋で布団の中で眠っていた。起き上がるとひどい頭痛がする。狛犬が心配そうに顔を覗きこむ気配がする。狛犬をよく見ると、尻尾が見えていた。白くて大きな、柴犬のような尻尾だ。慎は少し嬉しくなり見えない狛犬に微笑みかけると、狛犬は尻尾を振った。慎は立ち上がって居間に向かう。もう少女とその親が帰ったのか二人は居間の座卓を元の場所に戻していた。

「あれ、起きるの早かったな」

 幸久が既に制服から部屋着の姿になっていた。

 部屋を元通りにして疲れたのか、弐衛門が座卓の上にドカッと腰を下ろす。その瞬間幸久の拳が弐衛門の背中を殴って弐衛門は畳の上に体を打ち付けていた。

「机の上に座んな」

「疲れたんだよぉ……いてて」

 弐衛門が背中をさすりながら起き上って言った。シュレーディンガーが突っ立っている慎の横を通り過ぎて弐衛門の膝の上に寝ころんだ。

「あの子に憑いてた妖ってなんだったんだ?」

 慎がまだ痛む頭に顔をしかめながら訊いた。

「えっ、わかんない」

 弐衛門が当たり前のように言った。

「わかんないってどういうことだよ。色んな種類の妖がいるから、それに合った対処方法とかあるんだろ。それでわかってたからあんな風に――」

 慎はなんと言っていいかわからなかった。あれが何という名の儀式なのかわからなかったからだ。実際儀式なのかどうかもわからない。

「……もしかしてお前、俺が渡した資料読んでないの?」

 弐衛門が少し考え込んで言った。

「ああ、あの和綴じの? めんどくさくて読んでないな」

 ここへきて八花団の説明を受けたとき、一緒に渡された数冊の和綴じの本があった。慎は面倒くさくて一度も開いたことがなく、今や学校の教材の一番下で眠っている。

「あれ渡したのだいぶ前だぞ。なんで読まないんだよ」

「まぁ別に読まなくてもいいぞ、慎。俺も読んでないから」

 ちょっと怒り気味の弐衛門に対し、幸久はへらへらしながら笑った。

 弐衛門が溜息をして話しはじめた。

「俺らが退治している妖は、物の怪に近い。もともと俺らにとっての妖っていうのは人間の言霊の権化みたいなもので、その時その時で形を変え、その時その時で新しく生まれる。俺らにとって奴らは妖だが、奴らを妖とは呼ばないやつもいる。あいつらは完全な妖ではないからだ」

「言ってることがよくわかんないんだけど……」

 慎は眉間に皺を寄せた。

「資料読まないからだろ。――まぁ言ってしまえば、妖を祓うのが陰陽師なら、‟妖になり損ねた、または妖を超えてしまった妖‟を祓うのが俺ら祓人だ」

「……は?」

 慎はよく考えてはみたが全くわからなかった。そんな様子の慎を見て弐衛門は小さく頷いた。まるで、それくらいの理解でもかまわない、と言っているようだった。

「俺にもよくわからんような中途半端なやつを俺らは退治している。でもたまに、本に出てくるようなのに似た妖にも遭遇する。だからといって、俺達は陰陽師ではないし、相手は‟俺らにとっての妖‟だから、教えの通りの正しい祓い方では祓えないときもよくある。そんなときは、その時その時で、本当になんとなくでいいんだ。まぁこういうのは経験がものをいうから、『こいつはこうすればなんとかなる』っていうのがわかる。だから、竹川の娘に憑いていた妖がなんなのかは俺でもよくわからなかったから、適当に話し合いで決着をつけたんだ」


「そ、その説明だとさ」

 慎が額に指を置いて考えながら言った。

「弁柄は天狗になり損ねた天狗なのか?」

「いや、弁柄はれっきとした天狗だ。」

 弐衛門が口を開きかけたときに幸久が遮った。弐衛門は不機嫌そうにむっとして幸久を見た。その時、幸久と慎の間に弁柄が割って入ってきた。

「わしはもともと気高くも美しい大きな鳥だったのだ! それがいつの間にか人の姿になり、山伏の格好になり、最後には顔が赤くなり鼻まで伸びる始末だ! 部下である烏天狗まで人の姿になってしまいそうになった。それはわしが対処したから事なきを得たが……全く人間というやつは――」

 弁柄がそこまで言ったところで幸久が弁柄を押し退けた。

「さっきも言ったように、妖っていうのはもともとは人の言葉から生まれたと言われている」

 弐衛門が膝に入るシュレーディンガーの耳のいじながら言った。

「人の言葉……」

「ほら、言葉には魂が宿るっていうだろ? それを‟言霊‟っていうんだけど、妖はその言霊の権化だったりするんだよな。さっき弁柄が言ったように、天狗っていうのはもともと、大きな鳥のことを指していたんだ。でもいつしか、人々は天狗は人の形をしていると言うようになり、天狗は鳥ではなくなってしまった」

「へー。じゃあ日本の人がみんな『天狗は鳥の姿』って言うようになれば、天狗はまた鳥の姿に戻れるってこと?」

「そういうことになってる。でもまた鳥の姿になるには長いながーい年月が必要なんだ」

「そうなんだ」

 慎と弐衛門が夢中になって話していると、幸久が咳払いをした。

「話戻すけど、まぁさっきの話やこいつを見てわかるように、式鬼にするのはどんな妖でもいいってことだ。力で捻じ伏せればいいだけだからな。だが神辺りまでいくと難しくなる。たとえば、土地神、山神なんかは、畏怖の対象として崇め奉られているものなんかは、元々が妖だ。だからそういった類の神は式鬼に出来ないこともないけど、その神々に見合うくらいの霊力をこっちも持っていなければならない。お前に憑いてる狛犬も神使だからな。頑張れよ」

 そう言われてもわからない――慎は顔を顰めて難しい顔をした。

「なんとも難しいことだ、奴らを説明するのは。まぁ理解すると案外単純なものだ。なんとなくでいいんだよ、なんとなくで。世界にはわからないことがたくさんあるからな!」

 弐衛門は明るくそう言い放った。慎はそんな曖昧な答えは望んでいなかったため、そっぽを向いた。

 その間、弐衛門の膝の上にいたはずのシュレは慎に憑いている狛犬の尻尾にじゃれていた。狛犬もテンポを合わせるように尻尾を振っている。



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