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祓人稀有道中筆録  作者: 天城 晴巳
狛犬編
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記憶の奥

 入学式が終わってすぐ。慎は毎晩のように同じ夢を見ていた。真っ白で何も見えない空間にいる慎。すると突然何か白く大きなふわふわした物体が慎に触れた、その瞬間。何かざらりとしたものが慎の心を撫でる。気付くと場所は一瞬にして、すぐそこに海が見える草原に移る。木陰の下にレジャーシートを敷いて、その上にはたくさんのおいしそうな食べ物。

「今日は天気がいいわねえ。最高のピクニック日和ね」

 頭上から優しそうな女性の声が聞こえ、見上げてみる。が、体は見えるのにその女性の顔は暗くてよく見えない。

「もう入道雲が出来ているのか。今年は早いな」

 左の頭上から、男性の声が聞こえる。こちらも同様に、体は見えるのに顔は見えない。

 慎はなんとなく、この二人が自分の本当の両親であることがわかった。この夢が欠けている自分の記憶であることも。しかし、何故この夢なのかは記憶がないのでわからない。

 それにしても、この夢は居れば居るほど心地いい。この夢を見ているときにある胸騒ぎも、居れば居るほど忘れていく。一生この夢を見続けていたい。慎がそんなことをふと思うと、突然腕を掴まれたような圧迫感を感じ、そのまま木漏れ日の影へ引っ張られていく。遠ざかる両親。必死に手を伸ばそうとするも、引っ張る速さはどんどん速くなりついに両親の姿が見えなくなる。

 というところで慎はいつも目が覚める。大抵目が覚めたときは幸久が心配そうに慎の名を呼びながら顔を覗きこんでいる。どうやらうなされているらしかった。たまにシュレーディンガーが顔を覗かせることもある。

 この現象について、弐衛門が言うには、まだわからないらしい。とりあえず、慎に憑りついている狛犬が慎のことを信頼し、式鬼になれば全貌が見えてくる、と言う。そんなに知りたいのなら死にもの狂いで、血反吐を吐くまで修行しろ、とも言われた。その後、慎は幸久から慰めの言葉として、「ニエはああ言っているが、あんまり急いでも意味はない。こういうのは時間と自分のペースが大切だ」というのがとても心に残った。


「ただいマッカートニー!」

 仕事から弐衛門が帰ってきた。

「おかえリンカーン」

 幸久が洗濯物を畳みながらそう言った。

「覚えていると信じていたぞ、弟よ!」

 弐衛門が幸久に抱き付いた。慎は幸久の仕事を手伝いながらぼんやりとその光景を眺めた。

「酔ってる?」

「聞けェ慎! この合言葉は幼き日の俺達が考えたものだ!」

 聞いてもいないことを言い出した弐衛門。しかし、慎は少し気になっていたので察してくれたのだろうと解釈した。

「ふーん。いいな、そういうの」

「ん?」

「俺には、そういうこと言い合える人がいなかったからな」

 沈黙が訪れた。慎は今の発言にひどく後悔し、二人の顔が見れずにいた。

「じゃあ新たに俺達三人の合言葉を考えるか!」

 弐衛門はまるで当たり前のようにそう言った。慎が呼び寄せてしまった空気を一気に吹き飛ばすような明るい声で。

「慎がいいんなら、俺は別に構わんぞ」

 幸久が畳み終わった弐衛門の真っ黒な着物を、弐衛門に押し付けながら言った。

「いや、俺はそんなつもりで言ったんじゃない。気ィ遣わせて悪い。」

「気を遣う? この俺が誰かのために気を遣うとでも思ったか? 違うな。俺は当たり前のことを言っている。お前はもう俺達の家族なんだから、家族が家族のために尽くすのは当然のことだ。違うか?」

 慎は弐衛門がこんなまともなことを言うのに驚いた。慎は幸久の反応を伺ったが、幸久は特に気にすることなく家事の続きをしている。

「違……わない」

「その通り! で、早速考えたいところなのだがァ、ちょっとばかし忙しいんでまた今度な」

 弐衛門は慎の肩に置いた腕をパッとのけて、すぐに立ち上がった。

「この時期は依頼も少ないから忙しくはないだろ?」

 幸久が畳み終わった洗濯物を片付けに行って戻ってきたところだった。

「今年はボウヨウ祭を早めに執り行うんだよ!」

 そう言うと弐衛門はせかせかと階段を駆け上がり自室に戻っていった。

「ボウヨウ祭ってなんだ?」

 慎が任されていた洗濯物を全て畳み終わって幸久に聞いた。

「あいつのための祭りだ。この家の当主は昔からボウヨウ様って呼ばれてんだよ。『傍ら』に『妖』と書いて、『傍妖』。まあ呼んでんのは爺さん婆さんばっかだけどな」

「ほーん。具体的には何するんだ?」

「幽世に行くんだよ。享史さんは神が住む世界だって言ってたな」

「なんでそんなとこ行くんだ?」

 慎のこの質問に幸久は顔をしかめた。

「さあ? 俺はただの付き添いで、ニエについて行くだけだからな。ニエは幽世でいつも何か持ってくるんだ。何なのかは俺も知らない」

「ふーん」

「ほら、どうせ暇なんだから修行してこい修行」

 幸久がどこかへ行き、慎は渋々修行場へ行った。


 修行場は家のすぐ隣にある小屋で、見た目はとても古いのにも関わらず、雨風を全く通さない、蟻一匹も入るような隙間もないとても息苦しい空間だ。ドアの両端には盛り塩が置かれている。そこには円を描くように長い台があり、その台の上に水が入ったコップが置かれている。このコップの水の水面に波紋を浮かばせ、さらには自分が指定する特定の場所だけに波紋を立たせるようにしなければならないのだそうだ。何故このようなことをするのかというと、力の使い方を理解することと集中力を高めることが同時に養われるからだそうだ。

 風を操るのは、家のすぐ後ろにある森を抜けると山への入り口があり、その山にある大岩で修行をする。その岩の上は風が強い。その風向きを自分の場所だけ替えれるようになればいいとのこと。使いこなせれば神通力の一つである、天耳通が使えることもあるらしい。

 二人の手本には慎も圧巻した。水は波紋を描くどころか宙を舞い様々な形に変形していく。風の場合は、本当に本人たちがいる場だけ風向きを逆にしてしまった。偶然かとも思ったが二人の側に立ててある旗は二人とは逆向きにはためいているので偶然ではないことがわかった。


 慎は修行をする気が全くなかったため、小屋に入るとすぐ床に腰かけた。修行のおかげかどうかはわからないが、狛犬の気配だけは感じ取るようになっていた。今は慎の足を甘噛みしているような感覚がある。

 慎は天井を仰ぎながら、今後のことについて考えた。自分はこんなことをしていていいのだろうか。自分にはもっと大切なやるべきことがある。慎にはそんな気がしてならなかった。こんなことをしている場合ではないのに……。特に用事もないのにそんなことを考えてしまう。慎から胸騒ぎは消えない。何に焦っているのかは自分でもわからない。思春期特有のものだろうな、と自分で悩んでおいて勝手に解決させてしまった。

 暇だったので、手元にある携帯電話で『幽世』について調べてみることにした。

『幽世、または常世ともいい、神霊や神々の住まう神域。死後の世界であり、黄泉の国も幽世にあるとされている。』

 ――死後の世界?

 つまり「幽世に行く」ということは、「臨時体験をする」ということなのだろうか? 思考を巡らせても、どういう風に行くのか皆目見当もつかなかった。

『常世は、常夜とも記されることがあり、常に夜の状態である。』

「……へぇ」

 本当にこういう反応しかできなかった。言葉に出してみて初めてその幽世とかいう世界にそれほどの興味がないことに気付く。


 ふと視線を落として床を見ると、床の先に何か黒い物体が見える。黒い物体がなんなのか確かめるため目を凝らすと、その黒い物体に細くつり上がった目がついているのがわかった。それが確認できた途端、黒い物体が素速い動きで慎に近づいてきた。慎は後ずさろうとしたが後ろは壁になっており逃げることができない。黒い物体は狐の頭の形に変形し慎の腕に噛み付いた。あまりに突然のことに慎は何が起こったか分かっていなかったが、それを体から離そうとする。しかしなかなか外れない。歯がくい込むばかりだ。弐衛門に助けを呼ぼうとしても痛みで声が出ない。歯がくい込めばくい込むほど慎の力がなくなっていく。どうやら力を吸い取られているようだった。

 もう駄目かと思った瞬間。何かが狐の頭を弾き飛ばした。狐の頭は悲鳴をあげ、壁に叩きつけられずるずると床に落ちた。狐の頭はもとの黒い物体になって小屋から逃げ出そうとしたが、獣に噛まれているような歯型が物体につけられて動けないでいるようだった。慎は噛まれた部分から血が出ていたため、止血のためにそこを抑えながら、この光景を呆然と眺めていた。

「何事じゃーい!」

「うわっ!」

 弐衛門が大声を上げながら小屋の戸を蹴破って入ってきた。弐衛門は慎を見、そして慎の傷を見て憤慨した顔付きになった。その形相のまま黒い物体を睨みつけた。物体にはもう噛まれている跡はなく、傷ついた部分を引き摺りながら必死に逃げ出そうとしていた。しかし弐衛門が平手でそれを床に叩きつけ潰してしまった。弐衛門が手を引っ込めると、そこにはもう何もなかった。

 弐衛門はゆっくりと立ち上がったあと振り返って慎に近づき、また腰を下ろして慎と目線を合わせた。

「大丈夫か?」

 弐衛門は囃し立てるような笑みを浮かべながら言った。

「あ、ああ」

 慎がそう答えると小さく頷いた。そして慎の負傷した腕を手にとって傷口をじっくり観察し始めた。

「こりゃヤコだな」

「ヤコ?」

「文字は野狐って書くんだ。呪いももらってないようだから、すぐ治るだろ」

 弐衛門はそう言うと慎の両腕を掴んで立ち上がった。それのせいで慎も自然と立つことができた。

「ほれ、治療治療」

 弐衛門は慎の背中を強く叩いて先に行くように促した。慎は叩かれたことが不満そうに小屋から出た。その時、慎は確かに小屋から出るときに弐衛門の「やっぱり札が古くなってたかぁ……」という言葉を耳にした。小屋の戸には札が貼られてあり、それが古くなって欠けていたのを、慎は覚えていた。


「よかったなぁ、慎」

 弐衛門が慎の腕に包帯を巻きながら言った。

「全然よくねえよ。噛まれたんだぞ」

 慎が不満そうな顔で言った。弐衛門はその言葉を聞いて小さく笑った。

「そのことじゃなくてな。お前に憑いてる狛犬は、ヤコを追い払ったんだろ? ということは、狛犬はお前に悪意をもって憑いてるわけじゃないってことがわかったんだ。逆に守ってくれてるんだよ。それに、最近は縄の痕も噛み痕も消えている。進展が見えてよかったな」

「ああ、なるほど――」

 慎は少し思案してそう答えた。今は慎の左の横腹に何か温かく柔らかいものがあたっている感覚がある。狛犬が寄り添ってくれているのだろう。

 ふと、慎は昔のことを思い出した。昔もこんなことがあった。まだ妖が見えていなかった頃。野良犬に似た何かに噛まれ、傷を負って家に帰った。母親が不在だったのか、父親が迎えて包帯を巻いてくれた。そんな光景が慎の脳内にフラッシュバックされた。

「慎? おーい」

 何度か話しかけてきていたのか弐衛門が呼んでいることに気づいた。

「あ、ごめん。なんだ?」

「いや、今の修行が終わってもまだ次があるから気ィ抜くなって言いたかっただけだ」

「ああ」

 弐衛門は無邪気に笑った。

 慎がふと視線を外すと、弐衛門が首から下げている水晶が淡く光っているのが見えた。

「ニエ、叢主殿から使者が……」

 庭にいた幸久が障子を開けて中に入ってきた。しかし、そこまで言って凍りついた。視線は慎の包帯が巻かれた腕に釘付けだった。

「何があった!? まさか狛犬が――」

「落ち着け、幸久。これは俺のミスだ」

 弐衛門が呆れているような困っているような顔をして言った。それを聞いた途端、幸久の表情から焦りが消え、無表情になった。

「使者から手紙を預かった」

 幸久が仏頂面になって言った。弐衛門が意地悪そうに微笑みながら手紙を受け取り、手紙を開いた。

「なーんだ。大事な知らせかと思ったら、ただの協議のお礼状だった。叢主様がご褒美くれるんだって」

 弐衛門は終始笑いながら言い、手紙を丁寧に戻した。

「そうか。よかったな」

 幸久が腕を前に組んで微笑した。弐衛門が自分の側で寝ていたシュレーディンガーの頭の上にバランスよく手紙を置いた。

「さっきから聞いてたんだけど、叢主って誰? 叢主殿って何さ」

 慎が眉間に皺を寄せて訊いた。

「叢主はな、団長のいない八花団を取り締まっているお方だ。叢主殿ってのは、叢主がいる御殿だ」

 弐衛門が爪をいじりながら言った。

「へー。協議ってどんなことやるの?」

「ただの縁日みたいなもんだよ。みんなで珍しいもの持って、露店を開くんだ。そして、その日までに起こった仕事の報告会をする」

「その協議って俺も出るの?」

「俺が招待するやつはみんな出られる。基本的に本家と分家は――あ、本家ってのは組長の家のことで、分家ってのは本家直属の部下というか、お気に入りかな。は、出る」

 慎は質問も終えてもう特に話すことがなかったため、ずっと弐衛門の首からぶら下がっている水晶を見ていた。水晶は未だに小さく点滅している。その明かりはどこか温かく懐かしい。あの夢に出てくる太陽に似ているからかもしれない。



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