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難儀なもんだ

作者: 閲覧専用


 確定。実行。操作。また展開して問題箇所を指摘、改変。確定。で、実行。

 私がやっている作業は酷く単調で退屈だ。書類整理、演算と言えば聞こえはいいが、要するに他人が用意した文字を画面上に出力する下準備をしているだけ。

 私が時間を割き汗水垂らすとまでは行かないけれどもそれなりの労力をつぎ込んだ文字列は、明日の学級会議でもしかしたら半分以上の生徒が落書きしたり涎で汚したり仕舞い込んだりといった理由で目に触れさすこともなく消してゆく一片になる。不真面目とも優秀ともつかない学校なんてそんなものだ。進学はしたいけど学力ありません、という輩がゾンビのように彷徨ってたどり着いた学校なんて、そんなもんだ。

 そんな不良でもないくせに勉強が嫌いでしてこなかった自業自得野郎共はまじめに会議になんか参加しない。

 何か質問はありませんかぁ。しーん。では賛成の人は拍手してください。ぱちぱちぱちー。過半数の賛成が得られたのでこの案は採用です。目に浮かぶようだ。明らかに過半数じゃないくせに。

 やる気のない先生の拍手がやけに大きく聞こえるくらいだから相当だ。皆わかってるくせに面倒だからなにも言わない。私がここで感じてる憤りだって義憤や正義感ではなく面倒事を押し付けてさらにそれを無下にしかしない奴らへの純然たる八つ当たりなのだ。

 なんでこんな奴等のために私が頑張らなきゃなんないんだ。

 私の愚痴を一身に背負った指がエンターキーを押しつぶす。返ってきた感触は次の文字を催促する理不尽で風情のない微かな駆動音。私は機械関係に明るくないからこの円盤が回っているようなCDの雑音にも似た音がどこからどうして出ているのかはわからない。それは蚊帳の外の情報だからで、知らなくても一向にかまわないから取り捨て選択の際に捨ててしまったのだ。

 おそらく私が作るプリント一枚も、皆からすれば天から降ってきた程度のものなのだろう。杖の一振りで空気中から生まれ出てきたような受動的な妄想の中にいるのだ。それは夢見がちとかそんなんではなく、理屈と感覚の齟齬で致し方ない範囲なのだ。かつて私が思ったように。

 私は全てを投げ出したくなって、指を動かす。他人の命令にばかり忠実なんだから。いったいどちらが機械だかわかりゃしない。爪を切っていないから滑り止めの施されたキーとたまに擦れてしゃらりと音がする。掠れた反発音は静寂にすら押しつぶされて消えた。


 やっとの思いで打ち込み作業をを終わらせれば最後の一文字まで丁寧に丹念に視線を巡らせ間違えていないかチェックするという最高に面倒な仕上げが待ち構えている。

 自分は間違いなんかしないと豪気にも言ってのけることができればどんなに楽か。そういう奴に限って致命的な間違いに気づかないもんだし、私はそれよりは懸命で在りたかった。

 とはいえ今はする気が起きない。休ー憩ーと自分で聞いててもだるそうな宣言をして目下の問題を先送りにした。画面の見すぎで疼痛を示すこめかみを抑えてぐっと目を瞑る。暗闇の中に明滅するくすんだ赤や緑を追いかけ固まってしまった背骨を歪みから開放する。自らを労って肩を回した。腰から嫌な音がして筋肉が固まったまま回った。

 何で私がこんなこと。そんなのとっくの昔に自問自答して納得のいく回答を叩き出している。そんなの勿論私が学級委員長だからに決まってる。

 報われないわけじゃないなんて綺麗ごと絶対に言ってやるもんか。最悪の中間管理職だ。


 空き教室に使わない机を並べただけの安っぽいパソコン室に並ぶ古くなったパソコン。家に帰ったら最新式の、自分用のがあるのに。

 でも自宅に仕事を持って帰るのだけは何が何でも嫌だった。自分が侵食されてしまう。


 もう一度画面に目を向ける。バックライトに慣れた視界は普通の紙が酷く薄暗く見える。ざら判紙に溶け込もうとする文字を必死で追い回す。擦ってみてもごみがついてるわけじゃないんだから変わらない。わかってる。でも擦る。それが生命線とでも言うように擦る。変わらない現実をかみ締めるのだ。そうして諦めろ。とてつもなくうるさいバックヤードを殴り倒してやりたい。つまりは自分だこんちくしょうめ。


 何度目かの擦り合わせで目が慣れたのか幾分見やすくなった気がする紙面を両端を引いて伸ばす。ぱぁんと軽い音がして真ん中にうっすらとひび割れのような皺ができた。

 またつきたくなるため息を飲み込めば涙が出てしまいそうだった。肺と目は繋がっているのだ。息はためないで吐き出すに限る。二酸化炭素が出て行って体が重くなった。使い勝手が悪くなる紙を机の上に投げる。端が揃わなくてまたいらついて、息を吐く。その度に心臓の下のほうに錘がとぐろを巻くのだった。


 時々窓の外に目をやれば春らしく少しずつ日が長くなる気配がある。薄緑色の帯が白と青の境界で踏ん張っている。朝もやに似た夕方は物悲しくも心が空になる気分がした。


「いーんちょ」


 ぱちりと視界が一瞬遮られる。瞬きの瞬間に声をかけられたのか声に驚いて目を閉じたのか。どちらにせよ酷く恥ずかしいことに思えてさっと俯いた。視界がすぐに教室の緑床になる。

 ゆっくりぎこちなく声の主を振り返れば男子生徒が一人。外見をあまりに言及するのも面倒なのでざっくり言ってしまえば高校デビューといったところか。

 垢抜けたファッション紙の表紙あたりに居そうな奴。モデルほどイケメンとは言わないが不可もなく可よりの目鼻立ち。中の上の中くらいだろう。着崩した制服の留まっていない第一ボタンを煩わしげに弄りながら開け放した入り口にもたれかかりにこりと唇を歪めた。それを見た私は心なしか力の篭った眉間に僅かに皺が浮かんでいるのだろう。なんとなくそんな気がする。

 ぎくりと動きを止めた心臓が遅れを取り戻そうと忙しなく動いている。五月蝿くはない程度、気にはなるけれど。そう冷静に分析して擡げた不安を口の中に溜まった唾液と一緒に嚥下した。


 細めた目はたっぷりと剣呑さを含んでいるはずなのに奴は身じろぎ一つしない。しょうがない奴だと肩を竦めることすらしない。自分の影響力などないのだと押さえつけられて居る気分がして甚だ不快。

 もっと顔を険しくしてやってもいいが女の子としての威厳くらいは保っておきたい。

 警戒を解かない私のパーソナルサークルに異物が徒歩で入り込んでくる。

 奇妙な感覚だ。パソコンの並ぶ机が中央に固まっているから長机を囲むように置かれた椅子の一番端に座っている。その正面の向かい合って置かれている椅子を引っ張って途切れた片側にわざわざ座る場所を設置して着席するこいつが心底わからない。極めつけはそうしてまで手に入れた私の隣で、肩肘を突いて資料プリントを押しつぶして、私の顔を見れるよう画面側に体を倒し、なおかつ何もしていないことが一番理解不能だ。


 奴の行動はいつも理解の範疇を超える。それにわざわざ私が反応してやる義理はない。気にするだけ無駄だからと、私は早々に仕事に舞い戻った。視線がチクリヂクリと頬あたりに突き刺さる。矢印型の光線が下まつげ以下をゆっくりと下っていき首に至る前にまた上に戻って行っているようだ。正直この上なく邪魔だ。

 どんな表情で見ているのか。どんな心情で見ているのか。知りたくなんかないが、視線は一瞬といえども奴に向かった。その事実すらムカついてならないというのに、奴はその顔面を愉快そうに歪めていたのが見えてしまった。何が、そんなに、面白いの!

 頬が引きつって醜く歪むのがわかる。奴といえども男子だ。汚い顔なんて見せたくはない。

 でもそれは自分が奴を意識しているということで、男に媚びているようで腹が立つ。

 そう思うと余計に顔を歪ませずには居られなかった。眉間の皺、追加。その様子をお見通しだと言わんばかりに奴はより笑みを深くするのだ、ムカつくムカつくムカつく!


「暇そうだね」


 皮肉げに笑って見せたつもりだった。顔面筋肉は予想に反してそれほど動いてないのは気づかなかったふりだ。都合の悪い事実は身を滅ぼすもの。真理過ぎて涙が出る。

 呼びかけた理由は、私を探していた理由は。そういう問いのつもりだったのに奴はするりと笑って明後日の言葉を吐き出した。


「そうでもないよ?お転婆なお姫様がすぐに居なくなるから、追いかけるのに必死さ」


 誰だお姫様って。そう問えば無言で指を指された。失礼だと抗議してもいい、叩き落としてもいい。どちらもしない私は臆病なのか。

 私の機嫌が秒単位で急落していくのをわかっているのかいないのか奴はニコニコ笑顔を崩さない。信念があるわけでもないくせに頑なに笑い続ける奴なのだ。マゾのような行動信念には心底頭が下がる。


「じゃあ止めればいいのに」


「いいんだ」


 私の親切心から出た厭味にも奴は即答で否定する。何が楽しいのか私に邪険にされて逃げられて突っぱねられて唆されても奴は笑って傍に寄ることを止めない。いつだって、もう八年もの間、従兄弟の一人が亡くなって無様に泣いてしまったあの幼い冬の日からずっと。

 相手の顔を見ていられなくて元に戻した顔に画面の光が反射して私というスクリーンに歪な光彩が浮かぶ。眼鏡には極小の画面に鏡文字が映っているのだろう。視界の端のほうにCDの盤面に似た虹色がオーロラのように揺らめいている。気まずい雰囲気に呑まれてしまった室内で奴が寂しそうに微笑む。


「それが楽しいんだから」


 楽しいくせになんでそんな顔をするのか、私にはわからないし心配してやる義理もない。こいつはこいつで私は私。完全に分かり合うことは出来ないのだから下手な同情は欺瞞にしかならない。

 だから優しい言葉なんかかけてやれない。望まれても最初に決めてしまったこいつとの関係を壊して再構築する術がわからない。その後どんな関係を築けばいいのかも。

 どこまでも生ぬるくも辛辣な私たちの関係は、いつまでも幼馴染から変化しない。それでいい。


 それがいい。


「ストーカー」


「何、お姫様?」


 軽口の応酬にどちらともなく視線を逸らす。視界は自分とこいつの間から見えるリノリウムの床。ワックスが剥げかけて所々年代を感じさせる染みの浮かぶ冷たい照り返しだけ。夕方の過ぎた室内は暗く夜の帳が薄くかかってきている。太陽の悪あがきも窓際で力尽きている。

 胃の奥から、肺の底から込み上げる気持ち悪さを一息に込めてキスをした。


(難儀なものね、お互いに。関係も生き方も、何一つ思い通りにいかないものね。大嫌いよ)






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