第二章1 『始まり』
「おはよー、渚ちゃん」
「おはようございます、悠生さん」
はたから見れば何の変哲もない挨拶だが、昨夜は恐ろしい事件に巻き込まれていた。
「制服姿の渚ちゃんも可愛いね」
「やめてください、セクハラですよ」
真顔でそう言われると少し傷付く。でも嫌がる人をついついからかってやりたくなるのが俺の性分だ。
「昨日はあんなに俺に抱きついて『悠生さーん、悠生さーん』って泣いてたのになー」
渚の隣に並んで歩く。
いつかは自然と距離を置かれていたというのに……俺も昇格したのかな。
「そ、それは忘れてください! 本当に心配したんですからね! そんなことよりも入院してなくて大丈夫なんですか?」
「あー病院ねー……抜け出してきたよ」
「えぇー! 何してるんですか! 背中の傷酷いんですから安静にしてください」
「俺さ、昔から傷治るの早いんだよね。左腕だってほら、この通り」
左肩をぐるんぐるん回して元気アピールをする。
「いくら治りが早くても背中はまだでしょう。無理しないでくださいね」
「おうよ、愛する人に心配されるのもなんだか嬉しいね」
ぶっちゃけると背中はすでに完治していた。人間とは違い、天使には力がある。怪我を治すことなど雑作もない。
「バ、バカァ! 変なこと言わないでください!」
顔を真っ赤にして早足で俺を置いていこうとする。
照れてる渚ちゃんも可愛いですなー、にやにや。
「修学旅行は行かないことにしたんだ」
これから登校するのであろう制服姿の渚は鞄一つ持っただけで他に荷物はない。
やはり昨日の出来事を引きずっているのだろうか。目の前で人が死んだのだ。無理もない。
「修学旅行に行かない人は昼から講習会が開かれるんです。仕方ないですよね、私の家にお金がありません。私だけが楽しんじゃいけないですし……あっ、すみません! 変なこと言っちゃって……」
急に思い詰めたような暗い表情をする渚。俺はそのわけを知っていた。
彼女の家は母親と長男、渚と妹の四人家族だ。父親はとうの昔に事故で他界しており、長男は放浪癖があるため家にはいない。母親は病弱な体なので働けない。そのため家計を立てているのは彼女であり、国からの補助金と合わせて家計が成り立っている。
そんな複雑な家庭事情の彼女が修学旅行に行くため、一体どれだけ自分の時間を犠牲にしてバイトに励んだことか……。
「学校終わったら俺とデートしない? 終わるの待ってるからさ」
「デートはしません。でも……少し遊ぶくらいならいいかな」
「決まりだ。学校終わったら校門のところで待ってて」
「分かりました」
話に夢中になっていて気付かなかった。俺たちはすでに学校の前にいた。
もう少し話していたかったが、デートの約束にこぎつけたしよしとするか。
渚の姿が見えなくなるまで笑顔で見送る。
第三者からはストーカーのようにも見えるだろうけど、俺はデートの約束までした仲なのだ。嫉妬と受け取ろう。
一人残された俺は特に目的があるわけではないが歩きだす。
俺もちゃっちゃと仕事を片付けるか。
リストにある情報を頼りに俺は俺のやるべきことをやろう。