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第一章1 『初仕事、初体験』

「はぁ……めんどくさい……」

 俺は自販機の前で小銭入れを片手に立ち尽くしていた。

 人間界のことは社会のルールからあらゆる民族の仕来(しき)たりまで広く深く学んできたつもりであったが、知識を得るだけでなく実践することも必要だということを痛いほど思い知らされた。

 人間界に降りてから三日が経ち、その間飲まず食わずで過ごしていた俺はさすがに空腹と喉の渇きを感じていた。そのため、身に付けた知識に従い、褐色のコインを一枚だけ自販機に入れてボタンを押してみるが出てこない。足りていないのではと思い、もう一枚同じ色のコインを入れるも結果は変わらず。次はコインの種類自体が違うのではないかと考え、銀色の小さなコインを五枚ほど入れてみるが、全部下の返却口から返されてしまった。

「たかが人間が作った(もろ)い機械、壊した方が絶対楽なのに……」

 俺はぶつぶつ(つぶや)きながら歩き始める。

 お金を使えるようになるのはまだ先の話だったようだ。そして、必ず一度は耐え難い(はずか)しめを味わうことになるだろう。もしかしたらこれが意思の強さを試す試練なのかもしれない。例えそうなったとしても堕天使になった俺が罪を犯すことはないだろう。恐らく精神的に死んでいるだろうからな。

「あの親父か。おとなしい顔してるのに……人は見かけによらずとはこのことだな」

 雑居ビルに囲まれた小さな公園の隅っこにあるベンチに、うなだれながら静かにたたずむ五十代ぐらいで紺色のスーツを着た男が座っていた。

 彼の情報が次々と頭に浮かんでくる。しかし、彼がいつ、どのように、何をするのかは教えられない。天使が干渉して運命をねじ曲げられないようにするためだ。

「どうしたんですか?」

 基本的にターゲットと接触するのは禁止(タブー)なのだが、彼の行動を制限したり(うなが)したりするものでなければ問題ないはず。

「……君のように若い年代にはまだ関係のないことだよ」

 男は俺を一瞥(いちべつ)すると、ため息をついてから蚊の鳴くような声で答える。

 見た目で判断したんだろうが、俺はおっさんの数百倍は生きてるぞ? なんて言えるわけもなく、黙ることしかできなかった。

 いくら天使の俺が人間の数倍生きているとしても、天界ではまだまだ若い。その外見は人間界でいうならば十六歳前後だろう。この幼い姿をしている限り、彼ら人間が年相応の扱いをしてくるだろう。しばらくは我慢だ。慣れるしかあるまい。

「へー、大人の話ね。でも赤の他人だからこそ話せることもあると思うけど? そしたら楽になるかもしれない」

「君……そうだね、いまさら話したって結果が変わるわけではない。少し私の愚痴(ぐち)を聞いてもらえないかな?」

「喜んで!」

 嬉しそうに返事をしたのはまずかったと思いつつ、人の秘密を知るのは楽しいので隠すことはできなかった。

「私はね、五年前に交通事故で人を(あや)めてしまったんだよ。それから刑務所で五年間暮らしてようやく出てこれたんだ。しかし、いくら私が刑務所に入って懺悔(ざんげ)をしたとしても死んだ人は帰ってこない。その人は妻を(ガン)で亡くしていた。そして一人娘も癌だった。一生懸命に働いて手術費を稼いでいたんだろうね。私はその稼ぎ手を死なせてしまったんだよ。一応彼女の関係者である私は医者から聞いた。彼女はもってあと一ヶ月と。寝たきりの娘さんは手術をすればわずかだが助かる可能性もあるらしいが、親族がいない彼女にそんなお金はなく、あとは残った人生を寝て過ごすしかない。だから彼女の父親を死なせてしまった僕にはするべきことができたんだ。彼女の手術費を作るというね。独り身の僕には人生最後(・・)の生きがいだ。どうだい? 気が重くなる話だろう」

 「ありきたりだね」そう言いたかったが、すんでのところで(とど)まる。

 天使の俺から見れば人間の一生なんてほんの一瞬だ。また、その過程に起きるできごとも些細(ささい)なことに過ぎない。

「交通事故ならしょうがない……って誰もが考えるけど、そこに責任感じてるところはすごい正義感だと思う」

 その場を繋ぐために適当なことを言う。

(なぐさ)めは求めてないよ。聞いてくれてありがとう。僕はこれから……やらなきゃいけないことがあるから」

 男は話すだけ話してすっきりしたのだろう。彼の顔は決意に満ちていた。これから彼が何をしようと俺は一切関与しない。してはいけないのだ。

 彼は立ち上がり、そして去った。

「じゃあ俺も行くかな」

 どこに行くのかは自分でも曖昧(あいまい)だ。でもこれだけははっきりしている。自らの役目を果たすために俺は行くのだと。

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