第91話 久々の再会
長い長い道のりを越えて『聖域』と呼ばれている森に何とか辿り着いた俺は、森の入口らしい開け放たれた場所から森の奥へと足を進めてゆく。
予想としては森に入る前に聖域の門番みたいな者に止められると思っていたのだが、意に反して森の前には誰一人としておらず、すんなりと呆気なく森の中へと進むことが出来た。
更に驚いた事は森に近づくにつれて段々と魔物の気配が少なくなっていた事だった。
湖を飛行していた時にも思ったのだが、出発してから4時間くらいまでは普通に上空をワイバーンが飛んでいたにも拘らず、もう少しで湖を渡り切ると思ったところでワイバーンを一頭たりとも見かける事がなくなったのだ。
《大平原の魔物もそうだったけど、ワイバーンまでもが姿を見せなくなるなんて……此処にはそんなに恐ろしい敵がいるのか?》
《いえ、そうではなく。多分ですが、聖域に住んでいる竜人族を恐れているんじゃないかと思います。前にも言いましたが、聖域に住んでいる者達は魔物を食料として見ています。その為、魔物たちは本能的に此処に近づこうとはしないのだと思われます》
《そういえば確かにそんな事を言っていたような。今更だとは思うが、そんなとこに不用意に近づいて大丈夫なのか? 気付いた時には竜人族の腹の中だったって笑い話にもならないぞ》
《御心配には及びません。亜人達は基本的に人間族に対して好意的ですので》
《それは餌としてって意味じゃないよな?》
《まぁ自分達に危害を加えようとする人間に対しては容赦しませんが……》
聞かなきゃよかったと思いながら鬱蒼と茂った森を進む事、1時間。
微かにではあるが森の奥から子供のような声が聞こえてきた。
それと同時にカツンコツンと木を叩いてるかのような音も聞こえてくる。
『どう……ったら…………に成れるの?』
『う………長老……認め…………』
言語からしてエルフ族のようだけど、一体何を話しているんだろう?
と聞き耳を立てながら、もう少し奥まで進んでみようと足を前に出したところで突然後方から声を掛けられた。
『ほう、これは珍しい』
その声に驚いた俺は咄嗟に前方にジャンプしつつ後ろを振り返ると、其処には終始にこやかな笑みを浮かべている年配のように見えるエルフ族の男性が居た。
その後ろには同じく笑みを浮かべているエルフ族の女性が2人と、ウルフだと思われる獲物を引き摺っている小柄な獣人族が4人、怪訝そうな顔で此方を見ている狐のような耳と尻尾を持つ男が1人。
狩りの帰りなのか、俺に対して笑みを浮かべているエルフ族の男性の服には血のような染みが幾つも付着している。
『まさか此処で人間に会えるとは思いもせなんだ。観光かいのぉ?』
『ちょっと隊長。こんな所に観光しに来たこと自体が怪しいじゃないですか』
『それ以前に殆どの人間はエルフの言語を理解できませんよ』
何処か抜けているような『隊長』と呼ばれたエルフの男性の横に、後方で笑みを浮かべていたエルフの女性2人がヤレヤレといった表情で話しかけている。
『それもそうか。誰か人間の言葉を話せる奴はおらんか?』
『あっ、俺なら分かりますよ』
隊長と呼ばれている男性が周囲をキョロキョロとしながら困っていたので、エルフ語を理解する事が出来ると教えたのだが……。
『そうかそうか。ならお前さんに言葉を訳して貰おうかの』
これは本気で言っているのかな? それとも冗談で?
エルフの女性2人は俺がエルフの言葉を使った事に驚いているようだが、隊長と呼ばれた男は『あれ? 言葉が分る奴、どこに行きおった?』と突っ込みどころが多すぎる言動を繰り返しながら茂みの中へと入っていく。
『隊長……』
『もうほっときましょ。それはそうとこんなところで人間族に会うだなんて珍しい事もあるものね。こんな遠くまで一体何しに来たの?』
『知り合いのエルフから何かあったら此処に行くように勧められまして。それで遠路はるばる』
『なるほどね。まだまだ聞きたい事が山の様にあるけど、取り敢えず長老に会ってくれる?』
『と言っても此処に来た事を責めているわけじゃないから安心していいわよ。外から誰かが来た場合は必ず長老達に引き合わせないといけない決まりになってるから。たとえそれが私達に害を及ぼそうとしている輩であったとしてもね』
『そんな簡単に一番偉い人に会わせても良いの? だからと言って害を及ぼす気もないけど』
『長老に会えばそんな気も失せるから。じゃ行こっか』
エルフの女性はそう言うと1人は俺を引っ張る様にして奥へと進み、もう1人は獲物を引き摺っている獣人に指示を与えつつ、背中を押すようにして俺を奥へと誘ってゆく。
2人とも年齢は20代半ば位だと思うが、長命なエルフ族の事だから見かけ通りの年齢ってことはないだろうな。
『ん? 今誰かに失礼な事を言われた気がする』
因みに隊長と呼ばれていたエルフの男はというと、姿を消したままで一向に姿が見えない。
エルフ女性に手を引かれるままに森の奥へと進む事、凡そ30分。
漸く開けた場所に着いたかと思いきや、其処には数多くのエルフたちが思い思いの作業をしながら。突然の訪問者である俺を穴が開くような視線で興味津々といった具合に見つめてくる。
森の中を流れる小川で洗濯をしている年配のエルフ女性。
其の小川の上流で裸ん坊になって水遊びをしている、エルフと獣人の子供たち。
樹の幹に括り付けられた的に対して矢を撃っているエルフの戦士。
上空で翼を羽ばたかせながら俺を殺せそうな視線で睨めつけてくる獣人など多種多様だ。
俺の方を見てボーっとしている洗濯中の女性の手から衣服が離れて、どんどん下流の方に流されていくが、あれは大丈夫なんだろうか?
『私達に興味を持ってくれる事は嬉しい事だけど、まずは長老に会って貰わないと。ちょっと其処で私達を睨み付けている翼人族の君、長老達に会議場に集まってくれるように言ってくれない?』
上空から此方を睨めつけていた翼人族とやらは何の返事もしないままに森の奥へと飛んで行った。
『翼人族の奴等って相変わらず感じ悪いわね。あ、気にしないで奴等、誰に対してもあんな感じだから』
そう言いながら俺の手を引いていた女性はそのまま俺を森の更に奥へと手を引いて行く。
もう1人いたエルフ女性はというと、獣人に引っ張らせていた獲物を広場の中心に置くように指示を出していたかと思うと、周りで此方に視線を向けていたエルフたちに獲物を指さしながら何かの指示を与えているようだった。
『ん? 如何したの? ああ、あれね。狩ってきた獲物を捌いて毒抜きをしているのよ。今日は久々に御馳走にありつけるわ』
『話には聞いてたけど、本当に魔物を食料にしてるんだ』
『そっか……人間族は魔物を食べないんだっけ。あんなに美味しいのに、殺すだけ殺してそのまま放置だなんて勿体ないなぁ』
此処で亜空間倉庫に隙間なく詰め込まれている魔物を取り出したらどうなるんだろう。 大騒ぎになること、間違いなしだろうね。
『何を笑ってるの? 面白い事でもあった?』
『いや何でもない。こっちの事』
『ふ~ん、あっ会議場が見えてきたよ。さっきの翼人族がちゃんと伝えてくれてれば良いんだけど』
会議場が見えてきたと知らされて前を見てみると其処には樹齢何万年でも言い表せないほどの巨大すぎる樹木が天を貫かんばかりに聳え立っていた。
《あれが聖域の中心となる樹木。通称、世界樹です》
《遠くで見た時にも大きいと思ったけど、此処に来て改めて見ると想像の範疇を越えているな》
世界樹の根元を良く見てみると、勢いよく水が流れ出て池となっていた。
更にその池から何本もの小川に枝分かれして森の彼方此方に綺麗な水が流れていく。
世界樹を正面に見て、池の左手に植物の蔓で形付けられたような立派な建物(?)がある。
逆に池の右手には何本もの木材を積み重ねたログハウスの様な二階建ての建物があり、建物の一階部分から桶を担いだ女性が現れては池の水を汲んで建物内に戻るという作業を延々と繰り返している。
『会議場は池の左側にある建物よ。それにしても罰とはいえ、彼女もよく続くわね。私だったら適当な理由をつけてサボるんだけどな……』
『で、後で見つかって、それ以上の罰を与えられると』
『そうなんだよねぇ……って如何して分かったの?』
『何となく、それがオチかなって』
『オチって……』
俺を此処まで案内してくれたエルフの女性は口元に笑みを浮かべながら俺と共に池へと歩いて行く。
行先は会議場なのだが、その会議場に向かうためには池の近くを通らないといけないわけで。
『あっ、トリスさん。狩りの方は如何でした?』
『まぁまぁってとこかしら。それにしてもセルフィってば、まだ水汲みをしてたのね』
『漸く今日の分の半分まで水を溜めることが出来たんですよ。えっと其方の人間は……ってクロウなの!?』
池で汗だくになって水汲みをしていたエルフの女性は以前、ドラグノアに行く途中のとある村で出会った、あのセルフィだった。