第89話 平原での襲撃
毒草塗れの危険な森を抜けて大平原へと足を踏み出した俺は今、宙を移動していた。
とは言っても上空高くを飛行しているのではなく、地面すれすれを直立不動の体勢で足元に注意しながら時速100kmほどのスピードで移動しているのだ。
一応、周囲に人がいない事を念入りに確認しての行動だった。
人の歩く速度は平均して時速5km程度、一日に行動できる時間が朝6時から夜9時までと考えて15時間。『時間×速度=距離』の単純計算ならば、休憩なしに移動すれば1日に75km進める計算となる。
が、俺の場合は時速100kmでの飛行移動なので、同じく15時間休みなく飛び続けられれば1500kmを移動する事が出来る。
この世に生を受けて二十何年もの間、文字通り地に足を付けて生活してきた俺のとって空を飛ぶ行為というのは何処か不思議な感覚だ。
最初の1時間こそはフィーに一時的に身体を譲渡して飛び方を教えてもらいながらだったが、今は自分の思い通りに空を移動する事が出来る様になっていた。
というか、単純に立ったままで乗るジェットコースターを頭の中でイメージしたら簡単にできた。
《マスターは呑み込みが早いですね。それと前にも言いましたが、くれぐれも地面から離れすぎないようにしてください》
《分かってる。俺も流石にアイツらの胃袋の中には入りたくないしね》
そう言いながら上空に目を向けると、其処には獲物を探しているワイバーンの姿があった。
しかもその姿は一つや二つどころではなく、ちょっと見ただけで確実に10頭以上は確実にいる。
前にエストに聞いた話に因れば、見かけによらず知性が高いようで滅多な事では地上に降りてこないらしい。
あんなに強そうな魔物が地上に降りてこないなんてと思っていた矢先、その理由を身を持って感じる事となってしまった。
「グオォォォーーーー!!」
「グギュゥゥゥゥーーー!」
「な、なんなんだ、此奴等は!?」
地面スレスレを時速100km近くで飛行する俺の後ろから、森で襲い掛かってきたウルフを5倍くらい大きくした謎の黒い魔物が2頭、涎を垂らしながら追いかけて来ていた。
頭の上から背中にかけて立派な鬣が風に靡いていることから狼というより、獅子に近いんじゃないかと襲われている最中というのに楽観的な考えを持ってしまっていた。
《あれはベヘモスのようですね。大きさから察するに、まだ幼生体だと思われますが》
《あれでまだ子供なのか!? どうすれば倒せるんだ》
《マスターさえ良ければ、私が代わりにやりましょうか?》
戦いの経験値を得るために本当なら俺が倒さないといけない所なんだが、ハッキリ言ってあんな巨大な魔物に勝てる気がしない。
《情けないけど俺には無理だ。フィー、悪いけど頼めるか?》
《はい! お任せくださいマスター》
このやり取りの直後、俺の身体を一時的に同化しているフィーに譲渡する。
高速で移動している時に大丈夫かと思ったが難なく入れ替わる事が出来た。
《フィー? 分かっているとは思いますが、マスターの御身体を傷つけてはなりませんよ?》
《分かっております、お母様。あのような獣如き、瞬きをする間もなく倒して見せます》
フィーとエストによる物騒な会話が行われた直後、フィーに操られた俺の身体が進行方向と逆向きになり、ベヘモスとお見合いしているような形になるや否や不意に右腕をベヘモスの頭部に向けて真っ直ぐに伸ばしたかと思うと次の瞬間、ベヘモスが左右の前足で頭部を押さえながら地面に横倒しになる。
「グアフ!?」
「グギャオォォォォーーー!?」
その後ろを走っていた2体目のベヘモスも1体目を避ける様にしてジャンプするが、苦しんでいるベヘモスと同じ位置まで来たところで此方も同じように頭部を押さえながら同じように苦しみ始めた。
《えっと……フィー、一体何をしたんだ?》
《大気を操ってベヘモスの身体の周りから空気を抜いただけです。このまま待っていれば直ぐにでも片が付く事でしょう》
窒息死か……えげつないな。
その後、苦しみだしてから1分も経たないうちに2頭のベヘモスはまるで出目金かのように目玉が飛出し、口元から泡を噴き出しながら地面に倒れた状態でピクピクと痙攣しだした。
意識はないようだがピクピクと動いている事から、まだ息はあるようだな。
《トドメはサラにお願いしますね》
身体を使っているフィーがそう言いながら、泡を吹いて倒れているベヘモスの鼻先へと近づいて行く。
するとベヘモスの頭に手が触れるか触れないかというところまで近づいたところで風の精霊フィーと同化して緑色に染まっていた髪が瞬時にして燃えるような赤へと変化する。
これはフィーから火の精霊サラに入れ替わった事を現している。
《さ~て獣の分際でマスターに危害を加えようとした事、許せません。その命をもって詫びて頂きましょう》
そう言いながらベヘモスの眉間部に手を置いた次の瞬間、森に倒れていたウルフと同様に眼・鼻・口・耳から夥しいほどの血液を噴出して、あれほど驚異的だと思っていた魔物が簡単に息絶えてしまった。
もう一体の魔物も同様に手を置いた瞬間に頭部の穴という穴から血を噴き出して地に伏した。
《えっと……この台詞も二度目だけど、サラ何をしたんだ?》
《獣の頭に手を置き、外部から脳を沸騰させました。先のウルフと同様に聖域への手土産とするのであれば、なるべく外傷が少ない方がより喜ばれますから》
《コレも持って行くのか……亜空間倉庫にこんな大きい物入るかな? それ以前にどうやって入れればいいんだ?》
ウルフ程度なら軽々と持ち上げて運ぶことが出来るけど、そのウルフの5倍以上もの体格がある物をどうやって持ち上げて運べばいいものやら……。
《それなら良い方法がありますよ。取り敢えず御身体をお返しいたしますので【ディメンション】で亜空間倉庫の入口を開いて頂けますか》
《? ……分かった》
意味も分からずに意識を身体に戻した俺は言われた通りに倒れているベヘモスの傍で【ディメンション】を唱えて亜空間倉庫を出現させる。
倉庫の入口は十分な高さがあるし、先に倉庫に入れたウルフやオークも奥に詰めてあるのでベヘモスを入れるスペースがあるが……。
《ありがとうございます。っという事で、ティア出番ですよ》
ティアというのは土の精霊の事なんだが、彼女(?)が何をするというのか。
《何か私の扱いが雑過ぎませんか? まぁマスターの御役に立てるというのであれば喜んで力を貸しますが。という事でマスター、同化して頂いても構わないでしょうか?》
契約時以外では初めて喋るけど、周りに比べて随分と大人しめな感じだな。
《同化する事は別に構わないけど、どうやってあのデカブツを運び込むの?》
《それは後の御楽しみという事で。では失礼します》
同化は良いんだけど、どうも後ろに引っ張られるかのような感覚と自分の身体が勝手に動き出すという感覚は慣れないな。
この事により赤かった髪の色は瞬時に黄色へと変化する。
《これがマスターの御身体なんですね。これまでに類を見ない、溢れんばかりの魔力に感無量です》
《ティア、マスターの身体と同化して嬉しい気持ちは分らなくもないけど早めにね》
《はっ!? そうでした。つい心躍らせてしまいました。では「土の精霊ティアの名に於いて命ず。大地よ我が意のままに……」》
俺の身体を使っているティアが地面に掌を触れて何か呟いた次の瞬間、地響きを立てながらベヘモスの倒れている地面が徐々に隆起していったかと思うと、まるで滑り台で滑っているかのようにベヘモスの身体が移動していき、スッポリと亜空間倉庫の空いている場所に収まった。
もう一体も同様に滑り台を滑って行って倉庫内に入るも、頭部だけが外に出ている状態になっている。
このままだと亜空間倉庫の入口を閉めることが出来ないが、頭部だけと言っても可也の重量があるため人の手では持ち上げる事が出来ない。
《あら? 入りきりませんでしたか。もう一度「土の精霊ティアの名に於いて命ず……」》
再度地面に手を置いて何かを呟くと、地面から2本の腕が生えてきてベヘモスの頭部を持ち上げると、そのまま折り畳まれて今度こそ倉庫内に収納された。
ついでとばかりに襲撃された事で足を止めた俺は此処で昼食を摂る事にする。
昨日までは食料の量からして一日二食で我慢するつもりだったが、一つの肉ブロックが大体2~3kgほどあった事から一つのブロックを3等分して一日の食事に宛てる事にしたのだ。
それでも一回の食事量が1kgというのは多いような気がするが。
その後、肉を焼いた匂いに誘われたのか地面にしみ込んだ、仲間の流した血に誘われたのかは分からないが先ほど倒して亜空間倉庫に無理矢理詰め込んだベヘモスより、一回り小柄なベヘモスが食事中に襲い掛かってきたが同化したままだったティアの能力によって、四肢を地面に縫い付けられて身動きが取れなくなったところにサラの追撃(脳への沸騰攻撃)が決まり、為す術もなく聖域への御土産に追加された。