第87話 森での一風景
風の精霊であるフィーの力を借りてドラグノアの街を空から脱出した俺は、街から北に20kmほど行って森の中で、身体を火の精霊サラに譲渡して眠りについていた。
眠りについてから何時間が経過したかは分からないが、不意に鼻に鉄サビのようなキツイ匂いと共に肉が焼けるような香ばしい匂いが鼻に飛び込んでくる。
《う、う~ん、何処からともなく香ばしい匂いが……》
俺は半分寝ぼけながらも地面に手をついて起き上がろうとするも、手どころか腕そのものを動かした感触もない。
それどころか先ほど『香ばしい』と言った声すらも耳に入って来てはいなかった。
《俺は何処に居るんだ。なんで身体が動かないんだ!?》
場に混乱していると女性が俺の声色で喋っているような、何処か気色悪いような声が聞こえてきた。
「あっマスター、おはようございます。良く眠れましたか?」
《だ、誰だ……って、そうだったな。身体を渡して眠りについてたんだったよな。どうやら寝ぼけてたようだ。おはようサラ、フィー、ラクス、ティア、エスト》
《《《《《はい。おはようございますマスター》》》》》
《それはそうと、此れは一体どういう事だ? 睡眠時と起床時の景色が違い過ぎて、何と表現すれば良いか良く分からないんだけど》
目を醒ました俺の視線の先にある物は、文字通り山と化した大量のウルフの死体だった、
そのどれもが目と鼻、口から血を噴き出して息絶えている。
更にその横には一見すると、数多くの肉の塊が部位ごとに大きな葉っぱの上にドンッと置かれていて、その内の1つが火もないのに丸焼き状態で目と鼻の先に置かれている。
先程の香ばしい匂いの正体はどうやら此れらしい。
《山になっている魔物はマスターが眠りについた直ぐ後に襲い掛かって来たので早急に始末しました。内訳で言うと、ウルフが42頭、ホーンウルフが7頭、オークが10体の合計59体となります》
《一応聞いときたいんだけど、目の前でバラされている肉や丸焼きにされている肉はなんだ? まさかウルフを丸焼きにしたって言うんじゃないよな?》
《それこそ『まさか』ですよ。昨日も言いました通り、ウルフを始めとする魔物には毒があり、そのままでは食用には向きません。此方の肉は私が倒したウルフの肉を掠め取ろうとしてきた、強かな野生動物を仕留めたものです。人間の街では一般的に食べられている物なので害はありませんよ》
《どうも魔物と動物の違いを見分ける事ができないんだけど……》
《慣れとしか申し上げる事が出来ないです。それはそうと朝食を召し上がってください。と言っても肉を焼いただけなので、御口に合うかどうかわかりませんが。御身体をお返しいたしますね》
俺の身体を動かしていたサラがそう言った瞬間、まるで身体が前方に引っ張られるかのような感触と共に俺は俺の身体を動かすことが出来る様になっていた。
言っている事は分かり辛いとは思うが、目が醒めてから今の今までサラが俺の身体を動かしていたので俺が思い通りに自分自身の身体を動かせることが出来る様になって何処か安堵している俺が居た。
「思えば昨日、宿で朝食を摂ってから水しか口に入れてなかったな……まぁ、それは兎も角として頂くよ。う~ん、当たり前だけど肉の味だな」
肉はただ焼いただけなので肉本来の味と焦げた味しかしなかったのだが、俺の為に野生動物を狩って捌き、焼いてくれたことに対して途轍もなく感謝の思いで一杯だった。
昨日、寝る前までは今日の朝食も水で済まさねばならないと思っていた事から、例え味が無くとも咀嚼できる食べ物が出てきたことは涙を流したくなるほどに嬉しい物だ。
目の前でばらされた肉のブロックは全部で18個、一個辺りは大体2~3kgになる。
1日朝・夜の2食にすれば9日分、朝・昼・夜の3食なら6日分ってところか……それまでに街か村に到着し、少し足元を見られて割高にされたとしても我慢して食料を購入しないと。
因みに肉をどうやって切り分けたのか聞いてみると【マジックウェポン】でナイフを召喚したそうだ。
全く味のしない肉を水と一緒に無理矢理、胃へと流し込んで簡単な朝食を済ませた俺は、明るいうちに少しでも遠くに進もうと腰を上げてその場から離れようとしたところでエストから念話で話しかけられた。
《マスター、ちょっと待ってください》
《どうした? 何か忘れ物でもあったのか》
《はい。周囲に倒れている魔物を一緒に持って行きましょう》
《う~ん、討伐証明をギルドに持って行って報酬を貰うつもりなんだろうけど、俺は今追われる身だからな……》
《いえ、そうではなく食料として持って行きましょう》
《食料って、魔物には毒があるんだろ? 幾ら食料に困っているとはいえ、それはちょっと》
《聖域に暮らしている亜人種たちは何時も食糧難に陥っていますからね。中でも竜人族は毒があっても関係なしに魔物でも食べられますし、エルフやドワーフといった種も長年の研究の成果、魔物の毒抜き方法を見つけ出したので獲物を御土産として持って行けば可也喜ばれますよ》
食料難の辛さは身を持って理解してるから共感できるな。
俺の場合は運よく野生動物をサラが仕留めてくれた御蔭でひもじい思いはしてないけど……。
《私達精霊と契約なされたマスターの立場なら、何も持って行かなくても歓迎してくれるとは思いますが、手土産持参なら更に喜ばれると思いますよ》
《そうだな。別に持って行くこと自体は亜空間内に放り込むだけだから特に苦にならないしな》
そう考えた俺は早速、古代魔法【ディメンション】を唱えて亜空間倉庫の入口を出現させると、周囲で息絶えているウルフとホーンウルフ、合わせて49体を奥から詰める様にして放り込んでいく。
オークの死体も10体あったが、流石に此れは食料には向かないだろうと思って見て見ぬふりをしていたのだが……。
《それも食料として一緒に持って行きましょう。大丈夫ですよ、彼等は机と椅子以外の足のある物は全て食べることが出来ますから》
どうも異世界に来る前に何処かで聞いたようなフレーズだけど、自分的には如何しても二本足で歩く生き物を食料として見る事に違和感を持っていた。
結局は人間と亜人は違う生き物だという風に無理矢理、自分自身を納得させてオーク10体も一緒に倉庫に詰めこんだ。
自分の旅の食料である野生動物の肉を同じ空間に置く事に抵抗を感じたものの、両手に持って歩いて行くわけにもいかなかったので其処は我慢した。
一方その頃、クロウが脱出したドラグノア城内はというと……。
宰相クレイグの執務室にて。
「すまぬが、もう一度言ってくれぬか? どうも耳の調子が悪いようなのでな」
「は、はい。現在、冒険者ギルド所属の魔術師クロウを騎士・衛兵殺害及び、帝国の間者である疑いで目下探索中でございます。ゲイザム卿からの命により、この手配書を周囲の街や村に随時送るよう言われております」
宰相の執務室においてクレイグに対して報告している騎士が懐に手を入れると、手書きだと思われる、怪しさ満載の人相書きが机の上に広げられた。
其処には余程クロウ本人に対して強い恨みを持っているのか、此れまでには考えられないほどに凶悪な目つきをした人物像が描かれていた。
更に人物像の下には『生死問わず、発見した者に金貨100枚』と書かれている。
「騎士・衛兵の殺害だと? 何が起こったのか知っている事を話せ」
「はい。先日の早朝の出来事なのですが、凶悪犯クロウに帝国の内通者である疑惑が浮上したとの事で上級騎士1人と衛兵4人が凶悪犯クロウの宿泊する宿屋へと向かいました」
クレイグは自身のエルフ族が崇める神子であるクロウの名前を呼ぶときに一々『凶悪犯』と付けられることに対して眉間に血管が浮き出るほどに嫌悪感を示していたが、報告している騎士は国に信用されていたクロウが裏切った事に対して激怒していると勘違いして報告を続ける。
「宿へと拘束しに行った彼らに防具や剣、所持品などを預けて凶悪犯クロウは騎士に促されるままに何の抵抗も見せることなく、跳ね橋を渡り入城しました」
「待て。預けた物の中に不審な物は見当たらなかったのか?」
クレイグは前日に手渡した緑色のカードが今何処にあるのか心配していた。
「報告によりますと、その時に預けられたのは何の変哲もない軽鎧と細剣、それに数枚の銀貨のみだったという事です。報告に戻りますが城の入口へと連れてこられた凶悪犯クロウは其れまでの態度を一変させ、城内に居た騎士7名、衛兵21名を次々に魔法と剣を駆使して惨殺し、街へと繋がる門を破壊した挙句に街中に屯していた冒険者十数名に軽傷を負わせた後に、北の貴族街に逃げ込んだとの事です」
「この件に対して、陛下はなんと仰っているのだ?」
「別の騎士が謁見の間において同じ内容を報告したところ、『頭痛がする』と仰せになられて自室へとお戻りになられました。その後は数人の大臣らが今後の事で陛下に謁見をと申し出ましたが『今は誰にも会いたくはない!』と強い口調で仰られて顔をお見せになられません」
儂の知らぬところで何が行われようとしているのか、早急に調べる必要があるな。
「報告はそれで全てか?」
「もう一件ございます。此方もゲイザム卿の命で調べていた事なのですが、先日の魔物襲撃に於いて不審な輩が街に侵入してないか調査するためにギルド協力の元に住民調査が実施されました。街の門を完全に閉鎖して調べていたところ、街の中で身分証明証を紛失したという緑髪の男が何とか街の外に出る事が出来ないかと門の警備に当たっている騎士に詰め寄っておりました。その後、逃げるような素振りを見せた事から不審者という事で一時的に拘束しようとしたところで逃げられてしまいまして」
「緑髪の男とな……騒ぎは先日だと言っておったな。今現在はどうなっておる?」
「騎士20名、衛兵30名で街中を隈なく捜索しておりますが未だ発見できません。その騒ぎより前から街の門を閉鎖しておりますので、捕縛されるのも時間の問題でしょう。空を飛べるというのであれば別ですが」
「報告は分かった。もう下がってよいぞ」
「はっ、失礼いたします」
報告をしていた騎士は頭を深く垂れて退出する旨をクレイグに伝えると足早に執務室を出て行った。
(緑髪の不審な男とは、恐らく風の精霊様と同化した神子様であろう。神子様、どうか無事に聖域に辿り着けますよう。 それにしてもゲイザムが此処まで動けるとはな、裏に誰か居る事は間違いないだろう。さて、儂は如何すべきか)