第73話 前線部隊、出発前夜
訓練7日目。
いつものように訓練の為に城を訪れたのだが、城内の雰囲気は明らかに昨日までとは違っていた。
昨日までなら城の中庭付近に足を進めた段階で、両手で耳をふさぎたくなるほどの剣の打ち合いなどの騒音が聞こえてくるのだが、今日は『カキンッ! カキンッ!』と控えめな音しか聞こえてこない。
昨日デュランドルさんが言っていた『2日後の朝、戦場に赴くものは本日と翌日を休みとする』の言葉からして、訓練場から姿を消した人員が明日には前線に赴くという事か……。
そんな事を考えながら、何時もの様に訓練場までの案内役となる騎士を待っていると左手の奥から俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
「クロウ、丁度いいところに居た。少し話があるんだが、良いだろうか?」
そう俺に声を掛けてきたのはギルドランクSの冒険者にして、ドラグノアギルドマスターのジェレミアさんだった。
いつもの眼のやりどころに困るようなきわどい服装(?)ではなく、遺跡調査に着て行ったような黒い鎧に金属製の肘当てと膝当て、それに片手で持てる大きさの斧を2本、腰に付けている。
「訓練場までの案内をしてくれる騎士を待っているところなので、少しの間ならば構わないかと」
「まぁ時間を気にするような長い話ではないので大丈夫だ。其れに前もって、クレイグ様にはクロウと話しをする時間を特別に貰ってある」
なるほど。それでか……何時もなら余計な騒動を防ぐために案内役の騎士が俺より先に来て、待っていてくれるのに今日はいなかったのは。
「他の訓練所に居る冒険者にはルディア達が伝言を持って行っているが、クロウが訓練をしている場所へは、例えギルドマスターである私にも容易に立ち入る事は許されていないんでな」
確かに魔法騎士隊の訓練所へと繋がる、重く冷たい鉄の扉には『魔法関係者以外、立ち入り禁止』と書かれているからな。
後から聞いた話によれば、此れまで何人もの魔法騎士や街で医療行為をしていた魔術師が城の内外を問わず、行方不明になっているという事から出入りがかなり厳しくなったというのだ。
現に城内や街の彼方此方に交代で多くの衛兵や騎士たちが見張りについている。
「話というのは他でもない。既に聞き及んでいるかとは思うが、明日の朝には多くの騎士たちが戦場になると思われる国境付近へと前線部隊として出発する。そして我々冒険者達も其れに参加することになった」
「じゃあ、今日ここに来たのは俺も前線部隊に参加しろという事ですか?」
「いや、上とのやり取りで決めた事はギルドランクF,D,B……それに私以外のSランク冒険者4人だ。クロウの場合はCランクという事と、クレイグ様からの御要望という事もあって、城の防衛に当たって貰う事となった。私の場合は他の街にあるギルドからの返事を受け取らないといけないという理由で此処に残る事になってしまったわけだ」
そうなると、ランクDのイディアは前線に。この前の食事の時にBランクに昇格したって騒いで、女将さんに宿代の増額を言い渡されたグリュードさんも前線部隊か…………なんだか寂しいな。
「でも前線にレギオンが現れた場合はどうするんです?」
俺が2人いるわけではないから、前線にも城にも俺が居るという訳にはいかないだろうが。
「その事については、私の話が終わった後でクレイグ様の方から話があると言っていたぞ」
と話していたところでタイミングを計っていたかのように1人の騎士が通路の奥から姿を現した。
「冒険者クロウ殿、宰相様がお呼びです。此方へ……」
「では私は訓練があるので、これで失礼するよ」
訓練があると言って通路の奥へと消えていくジェレミアさんを見送った俺は、先導する案内役の騎士に促されるままに通路を歩くこと数分後、少し前に訪れたクレイグさんの執務室前へと到着した。
「冒険者クロウ殿を御連れ致しました!」
「入室を許可する。案内してきた騎士は部屋の前で待機。此方からの命があるまで、誰であろうと取り次がない様に!」
何時もの様に芝居じみたやり取りが騎士と部屋内で取り交わされた後、促されるままにクレイグさんの執務室へと足を踏み入れた俺は、其処でこれまでに感じた事のない強大な威圧感を感じた。
まるで心臓を鷲掴みにされているような威圧感から膝を落しそうなほどの震えが脚に来たが、なんとか踏みとどまって威圧感の発生元に目を向けると、執務室の壁に背中を預けて腕を組んでいる青い騎士鎧を着た人物が目に入った。
「貴様が話に聞いていたクロウか。手加減しているとはいえ、私の視線を浴びて膝を落すことなく睨み返してくるとは……」
「何をしておる! そのような事をさせる為に此処に呼んだのではないぞ!」
クレイグさんから、正体不明の第三者に対する怒気が発せられるとともに俺の身に降り掛かっていた威圧感は何事もなかったかのように掻き消えた。
「ハァハァ……い、一体何が?」
威圧感が消えたと同時に、まるで前方に引っ張られるかのように倒れ込み両手両膝を床に付けて四つん這い状態になった俺の眼に飛び込んできたのは、手に持っている筆を手の中で真っ二つに圧し折りながら壁際に立っている男を睨み付けているクレイグさんだった。
「冗談だ。何をムキになっている?」
「貴様……」
その後、5分近く睨み合いが続いたが正体不明の男が降参するかのように腕を上に掲げた事で膠着状態が解けた。
「態々呼び付けておいて、このようなことになってしまい申し訳ない。コヤツは」
「近衛騎士隊総隊長ライオリアだ。よろしくな」
そう言って握手でもするかのように伸ばしてきた腕で、未だに床に這い蹲っている態勢の俺の腕を掴むと、そのまま2本足で床に立つように引っ張り上げてくれた。
「は、はい。冒険者ギルド所属、クロウです」
「全く、戦争の鍵を握るかも知れぬクロウ殿を一目見たいというから許可したというのに、このようなくだらない真似をするとは。あきれて物も言えぬわ」
「この者に対して、様々な噂が飛び交っていたのでな。ちょっと自分なりの方法で試したまでだ。俺は実際に其の為人を見るまでは納得しない。まぁ見た感じ、ギリギリ合格といったところか」
その後も此方を見ながらブツブツと独り言を言いながら、クレイグさんが座る執務机の脇に置かれている椅子に深く座ると、すぐ近くに宰相であるクレイグさんがいるにも拘らず足を組んだ。
「本当に融通の利かない奴だ。さて色々と混乱はあったが、此処にクロウ殿を呼んだのは他でもない。明日から最前線に騎士と冒険者の混合部隊が送られるのは既に知っているだろう?」
「はい。先ほどギルドマスターのジェレミアさんから聞かされました」
「で、その部隊の総合指揮官として此処で踏ん反り返っているライオリアが就くことになったのだが、我等には心配事が一つある」
「国境側に現れるか、城側に現れるか分からない闇獣レギオンですね」
「そうだ。幾らライオリアが化け物じみた強さを持っているとは言っても、本当の化け物であるレギオンには太刀打ちできない」
「おい! 誰が化け物だ」
紹介されたライオリアさんはクレイグさんに対して拳を握りしめて苦情を言っているが、クレイグさんは何処吹く風で淡々と説明をしている。
「一応は魔法騎士隊の方からレギオンに対抗すべく、高魔力を持つ者達を連れている予定ではあるが心もとない。其処でクロウ殿に頼みがあるのだ」
そう言ってクレイグさんが立ち上がるとライオリアさんが居る方とは逆方向の、部屋の隅に置かれていた木箱を持って俺の前へと歩み寄ってきた。
「これは……魔法玉ですか?」
木箱に入っていたのはギルドで騒動があった時に目にした、魔法を封じ込めておくための道具『魔法玉』だった。
「然様。急な事で5個しか用意できなかったが、これにクロウ殿の高魔力で唱えた【シャイニング】を封じ込めてほしい」
確かにこれがあれば俺がその場に居なくてもレギオンに対抗できると思うけど、問題は『魔法玉』自体が俺の魔力に耐えれるかどうか……。
「取り敢えず、やってみます。一応聞いておきたいんですが、込める魔力が大きすぎて破裂してしまうという心配はないのでしょうか?」
「魔法玉が実用化されてから100年近く経っていると聞いているが、今のところ破裂したという話は聞いたことが無いが、出来るだけ『人間並』の魔力で込めてくれると助かる」
最後の『人間並』というところだけ、小声でエルフ言語を用いて発せられた。
精霊と契約して魔力が増加しているのを知っているからこその言葉だよな。
その後、クレイグさんに言われる通りに5個の魔法玉に対し、エストに聞いて人間の持てるギリギリの魔力で【シャイニング】を唱えて、無事に破裂することなく依頼をやり終えたのだった。
【シャイニング】を封じ込めた事で白く輝く魔法玉をそっと木箱に仕舞いこむと、
まるで腫れ物を扱うような手つきでライオリアさんが大事に木箱を持って部屋を後にした。
落したところで破裂する事は無いと思うのだが、あれだけの魔力を込めた代物だ。少し及び腰になるのも何となくわかる気がする。
そして部屋に2人きりになったところで俺の立場が冒険者から神子へと変化し、先程のライオリアさんのした事に対する非礼の言葉を床に跪いたクレイグさんから聞いた後で本来の魔法訓練に就いた。
昼頃になってやっと姿を現した俺に対して、サミュエスさんからお叱りの言葉が飛んできたが、クレイグさんとライオリアさんに呼ばれていたという事を話すと、一応は納得したようだった。
その日の夜、宿屋にて。
翌朝、国境に向けて街を出るイディアとグリュードさんに一言『気を付けて』と言おうとしたのだが、俺が宿屋に帰ってきた頃には既にグリュードさんは就寝してしまい会えなかった。
イディアの方も宿屋の規定で、女性の部屋がある3階に行くのに女将さんの許可がいるとの事で訳を話したのだが、何故か許可を貰えなかった。
そこで男女共用のトイレの前で彼女が降りてくるのを待っていたのだが、一向に姿を見せることはなく結局、言葉を交わす事が出来なかった。