第42話 ゴブリン討伐
エリスがパーティーメンバーに殺されかけたというトラウマが、想像していた以上の物だったことを思い知らされた俺とイディアは、エリスを伴って広場で話し合いを続けていた。
「私の立場から言わせてもらえれば、エリスには出来れば冒険者を辞めてほしいんだけど」
「お姉ちゃんの気持ちは分かるけど、私としてもギルドの仕事を続けていきたいと思ってる。それにクロウさんが言っていた『とらうま』でしたっけ? いつかは治るんですよね?」
「俺は専門家じゃないから詳しい事は言えないけど、時間が経てば治る見込みはあると思う。ただ、心の傷は目に見える傷とは違うから治ったかどうかは、その張本人にしか分からない」
「それだけで十分です。私は此れから街の中で出来るFランクの依頼を続けていこうと思います」
そんな中でイディアは妹エリスの身体を労って冒険者引退を仄めかせていたが、エリス本人は其の姉の提案を拒否し、街から一歩も出ることなく熟す事が出来るFランクの依頼を続けていくこととなった。
Fランクの依頼は街の清掃や住民の小間使いがメインと言っても良いような仕事ばかりで、手に武器を持って戦うという事から無縁なのでイディアも安心しているようだ。
更に宿はイディアとエリスが共同で1部屋を借りているという事から、エリスが受け持つのは自分の朝夕の食事代である300Gだけである事も分かった。
その後、話し合いを始めてから2時間程が経過したところで、エリスは誰が見ても作り笑いをしている顔で颯爽とギルドへ向けて歩いて行った。
俺とイディアも時間を置いてからギルドに足を踏み入れると、其処にはFランク専用掲示板の前で腕を組みながらブツブツと独り言を言っているエリスと、その様子を窓口の横でドラグノアのギルド長であり、Sランク冒険者であるジェレミアさんが心配そうな視線で見守っていた。
ジェレミアさんは俺とイディアが来たことに気付くと手招きをして俺達を奥の部屋へと招き入れた。
「で、エリスの様子はどうなんだい? 街から出られるかどうか試してみたんだろ?」
「はい。街から外に出る事に対して拒否感を持っていた事から、目を瞑った状態なら少しはマシだと思って試してみたんだけど、結果は見ての通りで…………」
「やっぱり、そんな簡単な事ではないか。エリスは私が聞いた時にも『街の中で出来る仕事をしていきたい』と言ってたよ。Fランクの依頼は報酬の少なさから受けてくれる人が居なくて此方としても助かるんだけど、どうも複雑な気分だね」
ジェレミアさんはそう言うと、眼帯で隠れている右目の辺りを指で掻きながら顔を綻ばせた。
「エリスが抱えている病気の症状としては、街から外に出る事への拒否感と見知った人以外への不信感でしょうから、今回の街の中でのFランク依頼を熟していくうちに少しでもそれが緩和されれば良いんですが」
「そうだねぇ…………時間を掛けて解決していくしか方法はないか」
その後、奥の部屋から出てきた俺達はギルド内にエリスの姿が無い事から、窓口に立っているルディアに話を聞くと、どうやら『老人の話し相手になってほしい』という依頼を受けて先ほど出て行った事が判明した。
更にジェレミアさんの命令で、窓口の担当以外のギルド員がエリスに気付かれない様に終始見張りに就いてくれているという事も教えてくれた。
が、何時までもエリスの事を想っていても始まらないとイディアが言った事で、俺達はギルドで【ランクC ゴブリンの討伐 報酬:20,000G 30GP】という依頼を受けて、ゴブリンは薄暗い洞窟を好んで巣食うという事から食料とランタンを買い込んだ後に街を出るのだった。
ゴブリンというと某RPGでは最弱のイメージがある魔物なのだが、少なくとも20体近い集団で行動するという理由からCランクという事になっているのだそうだ。
更に知能もそれなりに高く、見張り役、襲撃役、指示役とわかれているらしい、
場所は街から徒歩で2日行ったところにある、山の麓周辺の何処かに巣を作ったうえで旅人や近くの村に住む住人などを襲っては個体数を増やしているとの事だ。
俺の脳内図鑑の情報によればゴブリンの性別は殆どが雄で構成されており、個体を増やす場合は人間の女性を何処かから攫ってきては子を作り、人間の女性が必要なくなれば自分たちの食料にしてしまうという。
イディアからの提案で一刻も早く攫われた女性たちを助け出さなければならないという事で俺達は周囲が暗闇に包まれる寸前まで移動を続け、キャンプを張っては夜明け前に出発するという行動を続けた結果、2日目の昼ごろには問題の山の麓へと到着することが出来た。
「さて此処からが本番だ。この山の一体何処に潜んでいるのか…………って、何をしているんだ?」
ふと気が付くと、イディアは身に纏っている肩当てや胸当て等といった装備品を外して地面に置いていた。
「ゴブリンは旅人を、特に女性を襲っているって聞くから私が囮になって奴等を誘い出そうかと思って」
「何を考えているんだ! 駄目だ、危険すぎる」
「じゃあ如何するの? このままじゃ闇雲に山の中を探し回った挙句に犠牲者を増やすだけだわ」
「で、でも……」
「大丈夫、私はこれでも冒険者よ。それに一人じゃないしね。あ、それと魔法で簡単なナイフを作ってくれない?」
彼女は其れだけを言うと俺に【マジックウェポン】で小型のナイフを作るよう要請してきた。
俺は意味が分からないままにイディアの要望通り、小型の果物ナイフを作り出して、彼女に手渡した。
イディアによると、自身を冒険者に見えないようにする為に戦闘用ではない、一般人が持っていても違和感のない小型のナイフが必要だとの事らしい。
「うん、これで良いわ。あとは私が街道を歩くから、クロウは私を見失わない様に姿を隠しながらついてきて」
「分かった。でも本当に気を付けろよ」
「大丈夫だってば! もう心配性なんだから」
イディアは其れだけを言い残すと、態と隙が出来るように街道を歩いて行った。
俺も彼女を見失わないように木の陰に身を隠しながら後を付いて行くが、一向にゴブリンは姿を現さなかった。
それから1時間、2時間と時間だけが過ぎて行き、周囲が薄らと暗くなりかけたところで遂に動きがあった。
俺が隠れている位置からイディアを挟んだ正面の森の中に身長1mくらいの緑色をした生き物が数体、イディアが歩く姿を目で追いながら、仲間と何か手で会話をしているようだった。
イディアの方に視線を遣ると彼女もそれらの存在に気が付いているようで、俺が魔法で作り上げたナイフの柄に右手を置きながらチラチラと何者かを横目で見ている。
やがてイディアが彼等を誘うようにして街道から外れた獣道に入ったところで、ついに襲い掛かってきた。
「ギギギッ!」
「ギイ、ギギギィ」
襲撃者は全部で7体。
何れも肌は緑色で体長は1mほど、耳はエルフの縦に長い耳を横に倒したような形状で鼻は尖がっており、手には各々ナイフや縄を持って、同じくナイフを手に持ったイディアを遠目から警戒しているように取り囲んでいる。
個体ごとに少しずつ体格や皮膚の色が異なるが、いずれも図鑑に載っていたゴブリンの絵に類似していた。
俺はそれらに気付かれない様に早足で静かに近づくと、此方に背を向けている個体を一撃で切り捨てる。
「ギャヒア!?」
仲間の1体が切り殺された事で動揺が走り、他のゴブリン達はイディアを取り囲んでいる事を忘れたのか一斉に俺へと襲い掛かってくる。
だが、その隙をイディアが見逃す筈もなく……手に持ったナイフで1体、また1体と数を減らしてゆく。
そして敵が残り2体となったところで分が悪いと判断したのか、一目散にその場から逃げだした。
「クロウ!」
俺はイディアの声に黙って頷くと、打ち合わせ通りにイディアが持っていたナイフを消して新たに【マジックウェポン】でボウガンを手元に出現させると、逃げるゴブリンの脇腹を態と掠るようにして矢を打ち出した。
2体のうちの1体は手元が狂って身体の真ん中を打ち抜いて即死させてしまったが、残りの1体は右脇腹に深い傷を負わすことに成功した。
後は傷を負ったゴブリンが自らの巣穴に逃げ込んでくれれば、残敵を一網打尽に出来る。
知能が高いと言われているゴブリンが陽動行為をしなければの話だが。
俺は彼女が脱ぎ捨てた装備品を再び身に纏っている間に、此処で倒したゴブリンの討伐証明である長い耳を切り取っていた。
丁度6体分のゴブリンの耳を斬り終えたところでイディアの用意が整い、俺達は地面に点々と続くゴブリンの血であると思われる、緑色の液体を追って森の中へと進むのであった。