第34話 拾い者
ギルドで依頼を受けてドラグノアから北に半日ほど行った場所でコボルトを狩っていた俺は背後から近づいてくる、別のコボルトの存在に気付くのが遅れ、両足(左右の脹脛と右足の太腿)に深い傷を負ってしまったのだ。
深い傷を負った事から血を多く流し過ぎた俺は、意識を朦朧とさせながらも街を出発するときに購入しておいた果物を食すことで、結果として命を長らえる事が出来たのだが体力は未だ回復していないようで、脚に全くと言って良いほど、力が入らなかった。
「ちっ! 血の匂いに引き寄せられたっていうのか」
悪い時に悪い事は重なるようで、自分が流した血とコボルトの死体に引き寄せられたのか森の動物たちが俺の居る場所へと引き寄せられてきたのだった。ハッキリ言って魔物と動物はあまり区別はつかないが。
下半身に力が入らないものの、辛うじて上半身が無事だったことで剣を構えて、今まさに襲い掛かろうとしているコボルトや森の動物たちに対峙していると何処からともなく遠吠えのような唸る声が聞こえてきた。
この唸り声に対してコボルトは顔をキョロキョロと動かしているだけだったが、血の匂いに誘われて森の奥から姿を現した動物たちは姿を見せない何者かに怯えるような仕草で、俺という恰好の獲物に目もくれず四方八方に逃げて行ってしまった。
これで残る敵は目の前に居るコボルト1体だけなのだが森の動物出現⇒謎の遠吠え⇒動物逃走という、俺にとっては絶体絶命からの余裕が出来たという事で自身の足を【ヒール】で治療し、【マジックウェポン】で後ろ手に隠した左手にクロスボウを出現させると、一目散に逃走した森の動物たちの行動を目で追って顔をキョロキョロとさせていたコボルトを一気に始末することが出来た。
「やった……一時はどうなる事かと思ったけど、如何にか命を長らえることが出来た。此処で暫く休んでいたい気分だけど、長居すると遠吠えの主に俺が襲われる可能性があるな。かといって、未だに力の入らない足を引き摺って森の中を歩くのは『襲ってくれ』と言っているようなものだしな」
俺は周囲に警戒しながら身を休ませることが出来る安全な場所を探していると、丁度背中を預けている樹齢何百年は経っているであろう大木の、地上から7、8mのところにある太くてしっかりとした安定感のありそうな枝が眼に入った。
「木の上だからといって安全とも言えないけど、地面で無防備に身体を横たえるよりは幾分かはマシか」
自分自身をそう無理矢理に納得させると、唯一無事だった腕の力のみで1時間かけて目標としていた地上7mの枝まで登り切ると、其処に辿り着いた事による安堵感と、コボルトとの死闘、血を多く流してしまった事での疲労も相まって気を失うかのように眠りに落ちてしまった。
木を登っている最中に森まで来る道中に倒したスライムの核や、ウルフの牙などが入っていた腰につけていた道具袋を落してしまったが、態々下に降りて道具袋を拾いに行く余裕があるわけはなく『明日の朝に拾えば良いか』と考えて、木を登ることに専念した。
翌朝、運良く木の上から落下することも襲われることもなく目を醒ました俺は、四肢の具合を見て何事もない事を確認すると、昨夜1時間かけて登った木を1分も掛からずに滑り降りると、木を登っている時に落した口の開いた道具袋を拾い上げたのだが、何故かスライムの核が5個とウルフの牙3本が入っていたはずの道具袋にはウルフの牙3本しか入っておらず、何処にもスライムの核は見当たらなかった。
更に不思議な事に昨日討伐したコボルト10体の死体の内、9体までもが血をすべて何者かに吸い取られたかのように干からびてミイラ化していた。
「はて? 道具袋の中から消えたスライムの核とミイラ化したコボルトの死体…………あまり想像したくはないけど、コボルトの血をスライムの核が吸収したとか?」
その後、ミイラ化したコボルトの死体から討伐証明箇所の耳を削ぎ落して『さっさとドラグノアの街に帰ろう』思いながら森を後にしたのだが、森を出て僅か数m歩いたところで何かに足を取られて躓いてしまった。
この森に来た時は周囲に足を取られる物なんて何も無かったはずだと思い、後方を振り返ると其処には何と少女が腹部から血を流して倒れているではないか。
「お、おい何があった。しっかりしろ! おい」
俺は咄嗟に少女に駆け寄って声を掛けてみるが、意識はないようだ。
腹部を抑えている少女の手の隙間からは血がとめどなく流れているが、出血は大したことがなさそうだ。
胸が微かに上下に動いている事から、まだ息があると分かった俺は少女の手の上から回復魔法の【ヒール】で治療を施し始めた。魔力も俺の体調が回復した事から、通常通り強力な効果をもたらしている。
目の前で倒れている少女はもしかすると、何か悪い事をした為に罰を受けて倒れていたのかもしれないが、少女の様子が先の俺の状態と重なって見えたため、放っておくことは出来なかったのだ。
「これで傷口は塞がったな。あとは様子見といったところか」
血を多く失ったことで意識が無くなったのだとすると、暫くすれば目が覚めるだろう。
かといって放っておくことが出来ない俺は、少女の目が覚めるまで此処に腰を下ろし待つことにした。
その後、色々な事を考えながら、待つこと3時間強。
少女の口から呻き声が聞こえてきたかと思えば、ゆっくりと瞼を開きながら目覚めようとしていた。
「おっ、起きたか。気分はどうだ?」
「えっ? えっと私は確かお腹を刺されて…………はっ!?」
少女は其れだけを言い放つと、目の前に俺が居るというのに着ているシャツを胸の辺りまで捲り上げると、傷が無い事に驚いていた。
「どうして傷が無いの!? もしかして貴方が助けてくれたんですか…………って何故、私と目を合わせようとしないんですか?」
「どうしてって、自分が今どんな格好をしているか分かってるの?」
少女は俺の言葉の意味を分かっていないようだったが、ふと視線を落とすと自分自身の胸が露わになっている事に気が付いて、顔が見る見るうちに赤く染めあがっていく。
此処に来て漸く俺が言ったことを理解したのか『絶対にこっちを見ないでください!』と捲し立てながら、ゴソゴソと身だしなみを整えている。
「もうこっちを見ても良いですよ」
そう言われて視線を戻すと、少女は正座をして下を向きながら顔を茹蛸の様に真っ赤に染め上げている。
「た、助けて頂いてありがとうございました」
「痛いところはない?」
「はい。大丈夫です」
「あまり思い出したくないかもしれないけど、何があったか聞いても良いかな?」
俺は少女に事の次第を聞きながら血を流した事でお腹が空いているだろうと思い、残りの果物を差し出すと。
最初は遠慮していたものの腹から『グゥ~~』という腹の虫が鳴いた事で、再度顔を真っ赤にしながら果物に手を伸ばして齧り付いていた。
俺も遅めの朝食を果物で補いながら少女の話を聞くところによると、如何やら少女と他に男女2人でパーティーを組んで、此処から北西にある山へ採取の依頼を受けて薬草を取りに行ったそうなのだが、その帰り道であるこの場所で昨夜パーティーを組んでいた仲間の一人に切り付けられたとの事らしい。
直前まで報酬の取り分について言い争いをしていた事から、恐らくは人数が一人減れば自分の取り分が増えると思っての仲間割れだと少女は考えているようだ。
「そんなくだらない理由で人一人を殺そうとするなんて許せないな。此処が帰り道の途中だという事は、ドラグノアの街のギルドで報酬を受け取る予定なのか?」
「はい、その通りです」
「此処を通ったのが昨夜なら、もしかすると追いつけるかもな」
「で、でも貴方も足が血だらけじゃないですか。大丈夫なんですか?」
「あ、ああ、ちょっと死にかけはしたけど、傷はもう塞がってるから大丈夫だろ」
「死にかけたって、大丈夫じゃないじゃないですか…………って何するんですか!?」
俺は急いでドラグノアに帰らなくてはと思い、少女を御姫様抱っこをするような形で抱き上げると一路ドラグノアに向けて走り出した。